誤解と正体
私、いつの間に寝ちゃったんだろう。アースが私の頭を撫でてくれて、私が泣き止むまで、ずっと傍に居てくれたのは覚えてる。
アースが居てくれて本当に助かった。アースと出会わなかったら、私は昨日死んでいたのだろう。
もし、借金が返せなければ、この店を明け渡すと契約書には記載されていた。お父さん、お母さんとの大切な想い出が沢山詰まった酒場を明け渡すくらいなら、もう死んじゃおうって考えてた。いや、そんな勇気は無かったのかもしれない。
アースが私にもうちょっと頑張ろうって思わせてくれた。アースには感謝しないと。まずは今日の朝食を豪華にしてあげよう。と、思考に耽っていると、ある違和感が私を襲う。
「アース?」
隣で寝ているはずのアースが見当たらない。もしかしたら、喉が渇いたりして、一階にいるかもしれない。
「アースどこー?」
声を張り上げてみるが、反応はなく、一階の酒場は静寂に包まれている。
「アース! ねぇ! アース!」
昨日だったら、「きゅい!」と言ってくれたアースがいない。私はある予想に行き当たる。
「そっか……私愛想尽かされちゃったか……」
自嘲気味に呟くが、それは今の私には、巨大なハンマーで殴られたみたいな衝撃だった。
「しょうが……ないよね……だってアースはお利口で、きっと……もっとアースに相応しい人のところに行っちゃったんだ」
わかっている。わかってはいるが、感情は言うことを聞いてくれない。私の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「アース……アース…………うっ……うわぁぁぁぁぁぁ」
帰ってきてほしい。また、猫にしては、おかしな鳴き声を聴かせてほしい。けれど、それはきっと叶わないのだろう。もういいかなって、もう頑張らなくていいんだって思っちゃったから。
「ねぇアース……ほんの一日だったけれど、友達ができて嬉しかったよ?」
「きゅい?」
入口から声がした。今、一番聴きたい声が。そこには――
「……アースなの?」
額に宝石があるリスのような生き物だった。
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俺は三十層の転送魔法陣から、一層まで戻ってきた。せっかく神隠しを手に入れたのだ。使ってみたい気持ちを抑えきれなかった。魔法で身を包み、一層の入口に立つ門番の横を通り過ぎた。誰も俺がいることに気づかない。少し楽しいが、急いで戻らないと朝になる。
そして、迷宮を出て空を見上げると、そこには燦々と輝く太陽。しまった、もう朝になっていたのか。
全力で疾走し、酒場の前まで辿り着いた俺は、神隠しを解除し酒場に入る。
「ねぇアース……ほんの一日だったけれど、友達ができて嬉しかったよ?」
「きゅい?」
なんの告白だろうかと思ったら、振り返ったエリンは目を真っ赤に腫らしていた。もしかして心配をかけてしまったのだろうか、申し訳ない。エリンは俺を見ると同時に目を見張る。
「……アースなの?」
一瞬、エリンがなにを言っているのか理解できなかった。そして――遅れて気づく。俺はカーバンクルに戻ったあとに擬態し忘れていたのだと。慌てて猫に擬態しようとしたが、致命的に遅かった。諦めて、カーバンクルのまま返答する。
「……きゅい」
自分の姿を隠し、猫として接していたことが露見してしまった俺は、騙していたことの罪悪感から俯く。
「アース……でいいのよね?」
「きゅい」
「そっか、カーバンクルだったんだね」
「きゅい」
伝承としてのカーバンクルは有名だ。エリンもやはり知っているようだった。
「確かにカーバンクルなら姿を隠さないと、冒険者に狙われるもんね」
と、エリンは静かに言った。そして――
「帰ってきたってことで……良いのかな?」
もし、カーバンクルでも許されるのなら、俺はここに居たい。恐る恐る、肯定した。
「おかえり、アース……アース……」
エリンは顔をくしゃっと歪めると、涙が堰を切ったように流れ出す。かなり強めに抱きしめられてしまった。俺としては、エリンのために迷宮に行ったのだが、かなり寂しい思いをさせてしまったみたいだ。
「きゅい……」
大丈夫だから、とエリンの顔に手を添える。
「アース……もうどこにも行かないでね?」
「きゅい」
全てを無くした俺は、新しい居場所ができたことが何より嬉しく、大切にしようと心に誓った。