冒険者酒場オベロン
俺たち兄妹は、幼い頃に両親を迷宮で亡くし、孤児院で育った。孤児院は暖かく俺たちを育ててくれ、テッドという親友もできた。しかし、運営が厳しいらしいことを聞いてしまった俺とテッドは、孤児院を抜け十五歳の時に冒険者登録をした。アリスを養えるように、毎日死に物狂いで魔物を狩る。ある程度強くなった俺は、孤児院からアリスを引き取り、宿屋から迷宮に行く生活をしていた。
皆で笑って暮らせる居場所を作りたくて、安い宿屋で節約して、貯蓄を続けた。もうすぐで、家を買う予定だったが、それももう叶わない。安住できる場所をもっと早く用意していれば、そこに帰ることも出来たのだろう。だが、宿屋暮らしを続けた俺には帰る場所が無かった。宿に向かっても追い払われるだろう。
(これからどうしようか……)
行く当ても無く、ぶらぶらと歩く。無意識ではあったが、北区に辿りついてしまった。
迷宮王国は、迷宮の運営で成り立っている国家だ。迷宮には財宝や希少な魔物の落とし物など、一攫千金を夢見る冒険者たちが集まる。国家としては、危険な迷宮の上に都市を作るというリスクはあったが、冒険者の稼ぎの一部を税金として徴収している。迷宮を管理するだけで莫大な利益が生まれているのだ。
ドラグニアは、迷宮区を中心にした、東西南北の地区に分かれている。
王侯貴族が居を構える貴族街の東区
平民が暮らす居住区とも呼ばれる西区
闘技場などの娯楽施設が並ぶ南区
冒険者用の商業施設の北区
北区には、鍛冶屋や道具屋、宿屋に酒場などがあり、夜でも活気に溢れていた。
だが、そんな夜の熱気から取り残された店があった。
(オベロン酒場?)
そこは、いつもなら一仕事終えた冒険者が集う酒場だった。明かりは付いているから営業中なのだろう。だが、夜なのに店には客がいなかった。不思議に思った俺は近づいていく。
「あれ? 水色の猫なんて珍しいね。お腹空いたの?」
いきなり話しかけられて驚いた俺は、警戒しながら声のした方角を見上げた。そこには、輝くようなゴールドの髪をサイドに結んだ美少女が立っていた。
「いきなり話しかけてごめんねっ。野良猫かなー? 怖くないよーおいでー?」
警戒したことに気づいたのだろう。声を柔らかくして、害を加える気はないとアピールしている。それを察した俺は素直に、近づいていく。
「わっ、ちゃんと来てくれた。よーしよし、良い子だねー。もふもふだー」
猫が好きなんだろうか。なでなでとモフモフをされたが、悪い気はしない。今は誰でもいいから人の温もりが恋しかった。喉をゴロゴロと鳴らし、もっと構ってとアピールする。
「お腹空いてるのかな?ウチくる?」
「きゅいっ!」
「あははっ変な鳴き声だね君」
少女は祭りが終わってしまったかのような寂しい笑顔で、俺を抱え上げた。なんだろう、違和感がする。しかし、少女に包まれた俺は、いい匂いがするのと、胸の柔らかさで頭の中がキャパオーバーしてしまう。
「ここが私のお家だよー」
と、少女が入ったのは『オベロン酒場』だった。中には、表からも見た通り、誰もいない。しかし、先ほどまで食事をしていたのか、料理が並べられている席もあった。
「今日はもうおしまい! 君はここで待っててねー」
少女は店の暖簾を引っ込め、入り口を施錠する。まだ稼ぎ時のはずだが、もう閉めるんだろうか。そして、席にあった料理を捨てていった。中には手つかずの料理もあるようだが、迷わず片付けていく。とても美味しそうなのにもったいない。腹が減っている俺は、物欲しそうに見つめる。視線に気づいたのか、少女が手を止め、
「ごめんお腹空いてるんだったよね。お魚でいい?」
魚があるのか……俺は魚が大の苦手なのだ。
「きゅいっ!」
首を横に振り、否定の意を伝える。そして、捨てられた肉料理に顔を近づけ、こっちがいいとアピールした。
「えっ……言葉わかるの?」
と、少女は驚愕に目を見開いた。自分の言葉に反応し、否定されたら、誰だって驚くだろう。意志疎通のチャンスだと思った俺は、「きゅい」と肯定した。
「すごいすごい! 言葉がわかる猫なんて初めて見た! 誰かの使い魔だったりするのかな?」
「きゅーい」
否定する。
「野良猫なの?」
「きゅい!」
「そっかお利口さんだね、事情はわからないけど、きっと魔物使い」か精霊使いの所に居たのかもね」
違うのだが説明できないため、それで良いだろう。
「お肉食べれるの?」
「きゅい」
猫はネズミなどを食べるため肉食だろう。俺が肉を望んだって、なにもおかしくはないはず。
「んーじゃあ牛にしましょうか。そこの料理は捨てた物だから食べないでね?」
わかったと頷き、料理を待つ。厨房でごそごそと少女が食べ物を漁り、俺の前に肉が乗った皿を持ってきたのだが……
「きゅーい」
生は無理だ。この身体ならイケるかもしれないが、前世が嫌だと叫んでいる。焼いてほしい。
「もしかして生肉ダメなの?」
「きゅい」
この少女は天才かな? 俺が言いたいことをわかってくれている。
「グルメだねー。しょうがないなぁちょっと待っててね」
そう言って、お皿を持って厨房に戻り、少し待つと、少女は焼いた肉を持ってきてくれた。塩分も味付けも何もないが、有り難く頂いた。猫舌を心配したが、中身はカーバンクルだったようで、熱い物も平気そうだ。
「君、ウチで暮らす?」
がつがつと食事を続けていると、少女が唐突に提案してきた。帰る場所が無い俺としては、願ったりだが、親の許可を取らずにいいのだろうか?まだ、少女はオーナーとしては若すぎるため、オベロン酒場のオーナーの娘なんじゃないかと思っていた。
「今ね、この店は私一人だけなの。だから、話し相手が欲しかったんだ。どうかな?」
俺は少し納得した。野良猫相手に喋りかけて、餌まで与えてくれるのは、少し違和感があったのだ。最初は善意からだと思っていたが、きっと寂しさが根底にはあったのだろう。
「きゅい!」
断る理由もなかったので快諾した。
「そうだ名前はあるの?」
「きゅーい」
アスマという名前があるが、伝えれないので、名前はないと否定しておく。
「私がつけてもいい?」
「きゅい」
名前を付けなきゃ不便だろうし、ここはお願いしておく。
「じゃあサメタイガー」
「!?」
なんて? サメタイガーってなんだ? そんな名前は嫌だ。
「きゅーい」
「む、気に入らなかったの? 私は渾身の名付けだったんだけど……」
「きゅーい」
「じゃあミノタウロス」
「きゅーい」
「ポチ」
「きゅーい」
「シャミタロウ」
「きゅーい」
と、延々と繰り返した。まさかのネーミングセンスが皆無だった。ここまで来たら、納得できる名前が出るまで、首を振り続けよう。そして、三十分ほどしただろうか。
「アース」
「きゅい!」
良い名前が出てきた。生前の名に近いからこれで行こう。
「えぇほんとにー? やきもろこしのほうが良かったよー」
「きゅーい」
絶対に認めてはいけない名前だった。
「しょうがないなぁ、じゃあ君の名前はアースね! 私はエリン、よろしくね!」
「きゅい!」
「まずはアースを綺麗にしなくちゃね! お風呂いくよー」
「!?」
嫌だ! 女の子と一緒にお風呂なんて恥ずかしくて死ぬ!子供の頃はアリスと入ったりしていたが、もう俺は大人なんだ。
「こーら、暴れないの」
「きゅい! きゅーい!」
離せ! エリンはいいのか? 男と一緒なんだぞ? と、ここまで考えて、俺は自分が猫だったことを思い出した。
「お、観念したね。いくよー」
脱衣所に連れ込まれ、エリンは躊躇うことなく、服を脱ぎ捨てていった。