4 『転移』と『現実』
情報量に脳が耐え切れずめまいがする。そして倒れこむ。
校舎の床の感触とは違う、なんだろうか。ざらざらしていて硬い。
表面が肌に刺さる感じ。これは…。
そうだ。――――石の感触だ。
その感触に気づいたときにはもう、めまいは無くすぐに立ち上がる事ができた。
そしてその光景に唖然とした。
時代はお約束の中世ヨーロッパぐらいの建物が多く並び、全体的に二階建ての建物が多かった。茶色と橙色の中間ぐらいの色味で統一されている感じだ。
大通りに自分が居るのか分からないが人の行き交いが多い。人に酔ってしまいそうだった。
その人もざっとみても様々な人種に分かれていることが分かる。普通のヒトやヒトに獣の耳がついているもの。ヒトではない姿をした者も居る。武装した者もいることからなんとなく身の危険を案じながら道の両脇ある店を眺めながら考えた。
確かさやちゃんと会話している途中に倒れたはず。そしてめまいの前には選択肢の情報が流れてくるあの変な感覚があったはず。もしかして自分はあの『願い』に対して自動で『代償』を支払ってしまったのではないかと思った。
ならばもう一度『願う』ことで元の世界に帰ればいいと考え、『代償』の情報を受け止める。
---はずだった。
情報が一切開示されない。否、情報はある。イメージとしてはモヤがかかってしまった様な、見たくても見れない状態なのだ。月がこれまでに『能力』を発動したのは三十回程度。回数にしてみるとかなりの回数発動している。しかしこんな経験はしたことがない。
解決策が無くなった。しかし生きのびなければあの世界へ帰ることができない。
そして月は行動の第一目標を元の世界へ戻る事とした。
そう決めて、月は一歩を踏み出した。
どんな時でも情報を集める事が現状を打破するには必須。そう何かの本で読んだ事がある。
あのラノベの主人公もそうしていた。それに従って情報収集しようと試みた。しかしどうしても越えられない問題があった。
「言語、ちゃうがな。」
まず、異世界の住人と月が操る言語は違うのである。
軽く耳を澄ましてみれば、
「○%×$☆♭#▲!※」
という塩梅で現時点で月が知っている言語には全く心当たりがない。
「なんや…、ちょっとぐらいはサービス付けてくれてもええやんけ…。」
弱気の言葉が出てしまう。月の『願い』で飛んだ異世界なのだから自分が有利になるようにはならないのか。と何度も思った。が、現状どうしようもない問題に対して悩んでいるのも時間の無駄だと判断し、『能力』を使う事で言語の壁を解消しようと考えた。
しかし、一つの懸念がある。それは自分の『願い』が聞き届けられるのか分からないという点だ。これまでの経験から強い願い出なければ聞き届けられないという事も理解している。その点、『代償』はなんなのかは素直に教えてくれる。それは自分にとっての救いだった。
やってみなければ分からない事なので願ってみる。
「もしも、俺と異世界人との言語の壁がなかったら。」
『代償』の提示だ。
『一週間、脳で行われる思考の効率が低下する。』
『自分の操れる言語の一つを忘れる。』
この二つが今回の『代償』である。どちらも自分にとっては大切なものだ。
思考率の低下は何も分からない世界では最悪、死を意味するからだ。効率の低下がどんなレベルになるか分からない以上、元の世界の言語を忘れるしかない。そう思った。
どの言語を忘れるのかは分からないままだが、帰れるかどうかも分からない状態なので後者を選択し『願い』を叶えた。
叶うことは叶ったのだが、様子が何か違う。自分の周りに光の粒子が大量に飛んでいる。自分を包み込むようにして飛んでいる。白や黄色、青色の粒子が。その様子に見とれているのも束の間、自分がどうなっているのか周りの者たちの様子で察した。
「あーみなさん、どうも初めまして。私、今はこうなっているわけですが特に皆様に害を与えようとしているわけではありません。ごうぞご心配なく。」
とりあえずは何か誤解を解かなければと言ってみたはいいものの、信用してくれる気は毛頭なく、疑いの目で見られていることが痛かった。
「ですから、みなさん大丈夫です。だぁあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー」
もう一度大丈夫と言おうとした瞬間に腹に衝撃、しかもかなり力の強い人間が膝蹴りしてきた位の衝撃だった。しかし衝撃を与えたはずの本人の姿が見えない。痛みを覚え腹に目をやったとき、またあの光の粒子が飛んでいることに気がついた。
さっきほどではないが、飛んでいる。
「ぐあはぁっぁぁぁーーーーーー」
考えをめぐらせている間に今度は頭にダメージを受けた。体が完全に浮いて吹っ飛ばされる。
「これは死ぬ…。死ぬって…。」
見えなくなる寸前に何者かが自分の前に立っていることをうっすらと見た。そして目の奥にある神経が痺れて世界が何も見えなくなる。さらに頭からすぅっと血の気が引いていって冷たい頭が残る感じがする。そう感じたときには既に意識が無かった。
「あっ!いってぇ…。おわっ…。」
意識が戻ってきたときには牢屋のようなものに入れられていることに気がついた。
恐らく地下にある石造りのやつだ。ただ自分の知っている牢屋とは違う。鉄格子が赤く光っているのだ。しかも例の粒子を纏いながら。
立とうとしたときに思いのほか力が入らず静かに倒れこんでしまう。なんと無様な姿なのかと自分で自分を嗤った。
「いってぇ…、どこなんだここは。」
自分の居場所を知ろうとするのは自然な事だと思う。そこで月な違和感を感じる。
「あれ?俺の言葉。関西弁チックじゃない。」
自分が喋っている言葉が慣れ親しんだ関西弁ではない事に違和感を覚えた。そして関西弁とは具体的にどんな雰囲気の言葉なのかを思い出せない。
「そうか、『代償』に日本語を。でも関西弁だけって。アリって判断なんだ。」
月自身、関西弁が一つの言語として認められるのは驚きだった。しかしまぁなんと標準語の美しいことか。その感想と共に消えた関西弁が恋しい。
「とにかく起きねぇとだめだな…。」
「おい!何ゴソゴソしてる!静かにしてろ。」
「え?」
「え?とはなんだ。名無しが。」
体を起こそうとした時、鉄格子越しに月に注意された。かなり厳しい口調で。
ただ、言語はなんとか通じるようになっていたことに安堵した。しかし牢に入れられているこの状況を素直に良いとは言えない。そして最後に唾を吐くようにして言い捨てた『名無し』というワードが気になる。
「名無し?俺が?」
「あぁそうだとも。未だに名無しなのはお前と貧民街の奴らぐらいだろうよ。」
「名前はある。しっかりと。」
「ほぉ、威勢がいいじゃねぇか。それが本当なのかはしらねぇけどな。」
「神在月だ。」
「はぁ?カミアリ・ツキ?聞かねぇなぁ。」
そりゃ知らないだろうよ。と内心ツッコミを入れながら言葉のラリーを続ける。
「なんで俺はここに居るのか教えて欲しい。」
「なんでって。そりゃ魔術の類を発動させたからだろうよ。」
「魔術ってなんだよそれ。」
「さぁな。もういいから黙れ。」
そうして看守から黙れと命令され黙り込む月。いや、この世界ではツキだろうか。
まずこの世界で明らかにもとの世界と大きく変わっている点がある事を知った。
それは『魔術』というものが存在することだった。そしてこの世界では使用禁止のものだった。というところか。でも自分にダメージを与えてきた奴も粒子を出していた。魔術の使用で粒子が出るのならあいつはどうなのか。許されるのか。その疑問が頭を駆け巡った。
「あー。もう。なんなんだ。」
ツキがついに我慢の限界を迎えたようだった。これでも有名な一家の末裔ではあるが公立学校のおかげで歳相応のバカな精神が根っこには残っている。その根っこの部分が自分の体を動かす。
「おい、おまえっ!それにさわる…」
看守がツキに触るなと言おうとしたが遅かった。ツキが鉄格子に触れた瞬間まばゆい量の光が飛ぶ。そしてツキは手が焼けるような感触を味わった。しかしそれも一瞬の出来事でむしろ鉄格子を握っている手から何か力のようなものを体内に取り入れているような気がした。
「お前、まさかじゃないだろうな。」
看守が一言言ったがツキは無視して牢屋から出ようとする。赤く光っていたはずの鉄格子がだんだんと色が抜け、最後には黒い鉄の色になってしまった。そしてボロボロと朽ち、ツキの弱い力でも潰せるほど脆いものになっていた。
ツキが牢屋から出ると居たはずの看守は居らず、ツキ一人だった。