3 『物語』と『自分』
「え?」
「え?ってなによーもうっ!ぷいっ!」
理解するまでにワンテンポ要した。自分の本名を知っているはずの無い人間が知っていることに驚いた。そして情報が漏れているという危機感に苛まれた。
どうにかしてその情報は守りきらなければ。少なくともこの場はその名前を知って欲しくない人が多い。そして月は行動を開始する。
「ちょっと来て。」
「えっ?どこ行くの?」
「ちょっと、ね。」
強引に腕を引くがそこまで強い力を込めているわけではない。相手は女子だ。さすがに手加減はする。そう思っていた。
「痛い痛い!痛いっちゅうの!」
「え?あ?あーごめんごめん。」
「人を引っ張っといてその言い方はないんじゃないの?」
「ごめんって。でも場所を変えなあかん。」
「とりあえずは付いて来て欲しい。」
自然と名前を知られていたことに対して力が入っていてしまったようだ。その部分は素直に反省しようと思う。その反省はかなり後回しにすることもその場で感じた。
少女と月は特別教室のあるB棟の最上階、しかも端の教室の中に居た。普通であれば何か告白でもするのにもってこいの雰囲気ではあるが、二人の空気感はどこか違うものを感じる。重たい空気の中、口を開いたのは月の方からだった。
「どうして、俺の名前を知ってる。」
「どうして?どうしてってどういうこと?」
「とぼけないで答えて欲しい。その情報を何処から知った?少なくともその名前を知っているのは俺の親族しかいないはず、それをなんで知っている?」
「私の名前は覚えてないの?」
「は?覚えるも何も初対面やろ、そんなんどうでもええねん。なんで俺の名前を知ってる?」
どうして月の本当の名前を知っているのか一向に喋らない少女、そして自分の名前を覚えていないかと質問もしてきた。その埒のあかない押し問答に嫌気が差した。
「早く、どうして俺の名前知ってるのか教えて。そんだけ教えてくれたらええから。」
この一言の後に少女が静かになった。この静かな時間が二人にとって長いものに感じられた。月は自分が危機に晒されているこの状況に動揺し、少女は何か自分の中に秘めている何かを感じながら。
「---桜 弥生」
その一言を聞いた瞬間、月の記憶の一部が無かった光を取り戻したかのように光り輝き、鮮明にその場面を思い出させた。
確かきっかけは父親に付いて行った食事会での出来事だったと思う。
特に会話に入ることもなく、会場の隅でお手伝いさんの袖をしっかり握って座っていたときの事だった。
「あなた、どこの子供なの?」
静かな綺麗な声でありながら、存在感もある少女の声だった。月はその子を見てこう言った。
「僕は、神在月って言います。」
「そう!神在って言うのね!」
若干突込み気味で言葉を返してきた少女は月にとって太陽の様な存在となって行く。
決して暗い性格ではない月ではあったが、家の環境のこともあって内気な子供になっていた。それを少しは活発な子供にしたのはその少女のおかげである。
その食事会の後に何度か出会う場面があった。どうやら父親との取引相手の様だった。
しかし一時を境に出会う事がなくなり、明るくなった月を残して少女の存在は消える。
そうして現在に至る。
「---さやちゃん。ほんまに?」
「そう。ほんとに。」
「そう…。そっか。」
桜の「さ」と弥生の「や」を取って勝手に月が呼んでいた『さやちゃん』そんな出会いが高校で実現するとは思っても居なかった。
「ライトノベルやんけ…、こんなん…。」
「ライトノベル?軽い小説???」
「まぁこっちの話よ。気にせんといて。」
「あーそう?じゃあ気にしません。」
幼い頃に出会った少女と大きくなってからの再会、これは月が読んだ、いや月しか知らないライトノベルのお話そっくりだ、と感じた。そして『さやちゃん』だと身元が分かって自分が安全だと分かり、ため息が漏れた。
「あ!ため息してるー、ため息したら幸せが逃げるんだよー!」
「そんなん迷信やって…。」
「そんなんとか言わない。それよりも次の授業始まるよ?この時間。」
「え?あ、あーーーーーーー!!!!!!」
ガラガラと音を立て教室に戻りなんとか授業には間に合ったようだと二人は顔を合わせて少し笑った。
そして授業中、月は大切な事を忘れている様な気がしてなにか落ち着かなかった。
その日の授業が終わり、放課後の出来事である。
少女、いや、さやちゃんが月のほうへ近づいてきてある話をし始めた。
それはまるで童謡のような、でも何か悲しい物語だった。
「あるところに『力』を持つ男の子が居ました。」
「その男の子は自分のために『力』を使ってしまいました。そうすると自分は周りの人から偉い、凄いと
褒められていくようになりました。」
「だんだんと『力』を使う事に抵抗がなくなっていったある日、大変な出来事が起こってしまいます。」
「小さな村に住んでいた男の子以外の村の人々が突然、居なくなってしまったのです。」
「そして不思議な声が聞こえました。耳に話しかけるのではなく、脳に、感覚に、話し始めました。」
『お前の願いで幾つの命を奪った?答えろ。』
「そうすると少年は答えます。」
『僕はそんな事してない!村の人を願って得た力で助けてるんだ!』
『その願いがただで叶えられていると思っているのか?』
「そう言われて男の子は黙ってしまいます。」
『ただ願うだけでは何も叶うことは無い。しかしお前は代償を支払う事で叶えたのだ。』
「と不思議な声が言います。そうして少年が何を代償にしたのか分かりました。」
「それは、―――――――村人の命でした。」
月はその話を自分のことのように聞いていた。そして月は口を開く。
「もしかして、俺の『能力』を…」
知っているのか。と聞こうとした瞬間にさやちゃんは手を叩き、「はい、おしまい。今日は帰るね。」とそう言って帰っていった。
夕方の教室の片隅に一人、月は椅子に座っていた。
時刻はその日の晩、夕食と入浴を済ませた後、自室で状況を整理しようとノートを開いた。
こんな事を小学生の頃の自分もやっていたな。と少し懐かしんでから今日の出来事を綴った。
不審者が校内へ侵入。『能力』の使用によって無かった事に。
『代償』は二ヵ月もの時間。これは自分を狙ってきた不審者が侵入しようと思い始めた時期と思われる。
『代償』を支払った結果、二ヶ月後のクラス内に転移。そしてさやちゃんが転校していることを発見。
さやちゃん:幼い頃の友達、太陽のような人、転校初日にクラスメイトに不思議がられ…。
「あ。それや。」
授業中に感じていた何か大切なものを忘れている様な感じ。それがこれだった。
『私の願いは異世界へ転移する事です。』
この事を忘れてたのか。と月は自分の記憶能力の無さに少し落胆した。
異世界転移が願い。そして月が『能力』を持っていることを知っているかのような言動。
もしかしたら自分が利用されそうな気がして、さやちゃんが昔のさやちゃんでなくなったかの様に感じ、寂しさを覚えた。
「今日は大変やった。なんやろ。なんなんやろ…。」
そうぶつくさと呟いて布団に入っていく。そうすると思いのほか早く寝付くことができた。
もう今日はおしまい。また明日。明日やればいい。そんな気がした。
夜が開け自分の顔を太陽が照らす。そんな朝を迎える。
「ふぁぁぁ~~~~あ。」
あくびをしながら背伸び。これがまた気持ちいい。
今日もまた学校へ行く。これまでよりは学校へ行く足取りが軽かった。
さやちゃんとは何度か話はするものの、昨日のことには全く触れさせてくれない。
「昨日のさぁ?」
「あ!ごめん、先生呼ばれてて、ごめんね!」
という塩梅である。これでは何も進展が無い気がして、違う部分から切り込んでみた。
「さやちゃん、異世界に行きたいん?」
その一言でさやちゃんの目が変わった。自分には無いものを尊敬して見つめる少女の目だった。この言葉にはさやちゃんと昨日の話がしたいことと、自分のあのライトノベルの影響を受け、異世界に興味があることも混ざった言葉だった。
「月、ほんとに言ってる?」
「さやちゃんこそ、行きたいんやろ?」
「うん…。」
「じゃあさ、行こうよ!」
そう言ったときに何か歯車が動き出した気がした。そして『代償』の選択肢が表れる。
そのはずだった。
情報量の多さに脳が処理しきれなくなったのだ。めまいがする。その場に立っていられない。
倒れこむと悟った。学校の床は確かタイルのような感触のはず。受身を取ろうにも力が入らない。そして倒れる。何か感触が違う。そう。これは。
――――石の感触。