ある騎士の話
王都中心の繁華街より外れた裏通りに、都人の間でちょっとの有名な料理屋がある。
北部の山岳地域で用いられる丸太造り(ログハウス)という珍しい外観もさることながら、料理の味もまた格別であるというのだ。その店は昼間でこそ商人や職人の向けの手ごろな値段のランチや軽食を提供しているが、夕方にもなれば居酒屋へと早変わり。王宮勤めの人間や冒険者達も加わって、毎夜喧騒に包まれている。
その店はガタイのいい寡黙な亭主と若い頃は美人だったと自称する笑い上戸な女将が取り仕切る店で、騒がしい店内を若い娘が駆け回り、厨房のほうからは弟子の若い男たちが掛け声を出し合っている姿を確認できる。
聞くところによると、料理長の亭主は元王宮の料理人だったそうで、王族の中には今でもお忍びでこの店に来る者もいるとか、いないとか。
そんな店のある日の夕暮れ時、四人組の男たちが店を訪れた。男たちは騎士団の制服―それも礼服を着ていて、否応なく視線を引く。最後に礼服に似合わない髭面の中年の男入ってくると、さらなる視線が集中するが、視線に宿ったのは疑念ではなく納得だった。
「おい、どうしたんだヤン、お前がこんなところに礼服なんぞ着てくるなんて」
「そうだ、似合ってねぇぞww」
男は周囲から飛んでくるヤジにニヤケ顔でうるせぇやい!なんて言い返しながら席に着く。そして人数分のエールを持ってきた女将からも、一言。「髭ぐらい剃ったら?」男はどうせこんな日くらいしか礼服なんて気ないからいいんだよなんて言いながら立ち上がり、木製のジョッキを高く掲げる。すると、店にいた客達は会話を止めて視線を再度男へと集中させる。男はこの界隈では有名な呑兵衛であり、貴族階級の人間が多数を占める騎士団で中隊長にまでのし上がった知らぬ者のいない町のスターであった。
「騎士アルデの昇進と無事の帰還を祝って、カンパ―イ!」
男があたりに響くような大声で言うと、周囲の他の客(酔っ払い)たちも持っていたグラスを掲げ「カンパーイ!」と大きな声で叫び、店内はまた喧騒に包まれていく。
今日は軍に派遣される半年間の国境警備任務を終え、首都に戻ってきた騎士・アルデの祝いの会だった。
男たちは
「ぷはぁ~、あ~ッ最高だぜ、仕事終わりの一杯は」
髭面の中年騎士が言った。中年騎士はこの五人の小隊長であり、小隊を纏める中隊長権限をも持ち合わせているベテラン騎士だ。
「いやぁ、これでお前も念願の小隊長だな。騎士団に入って僅か三年。快挙だぞ。」
「ありがとうございます」
アルデが照れたように言った。
「しかし、寂しくなるな。これでお前も来年からは小隊持ちか。」
アルデは農民の出だったが、幼いころから村で一番優秀だった。それを見た村長は中央騎士団に推薦状を書き、試験を受けさせた。結果は無事、合格。二年間の下積みを経て無事、一人前の騎士として認められた。それを機に村の幼馴染と結婚。その後、アルデに最初に課された仕事が今回の国境警備への出張だった。
「先を越されてしまったな。」
アルデの隣に座った、30歳ぐらいの丸眼鏡の騎士が、アルデに肩を組みながら言った。
「ほんとだよ」
そっと、呟いたのは17歳の若い騎士。
「リンガーさんは資格持ちの担当官じゃないですか。平の小隊長の僕じゃ、階級的は並びましたけど、実際にはリンガーさんのほうがずっと格上ですよ。」
アイルが尊敬する丸眼鏡の騎士と話が盛り上がり始めたのを察して、中年騎士は空気を読んで若い騎士の呟きを拾い上げた。
「アイルは、もう少し年齢が上にならないと厳しいかもな。部下より小隊長が若すぎるわけにはいかないからな。」
「ちぇ」
「でどうだったんだ西方は。教国と緊張が高まっているとは聞いているが。」
丸眼鏡の騎士は通信魔法の得意さを生かして諜報員資格を取っていた。故にこの質問は本人にとっては無意識なものだったが、必然といえた。
「あぁ、教国との小さなドンパチは何回かあったんですが、問題はないですね。今のところは落ち着いてます。とりあえず休戦協定もまとまったようですし、妻の出産前に帰れてよかったです。」
「そうだ!アルデ、子供生まれるんだろう」
その言葉を聞いた中年騎士が、突如破顔してアルデを見た。
「いやぁ、おめでとう」
中年騎士は持っていたジョッキをはなし、アルデと大きく握手した。
「子供は可愛いぞお」
中年騎士は三人の子供を持つ父親で、酔いが回ってくると、子供の話ばかりをする癖があった。いつもは相槌を打つばかりでロクに話を聞いてなかったアルデだが、妻の妊娠を経て、気持ちが変わった。生まれる前だとしても、子供は可愛かった。
今日ばかりは中年騎士の話をゆっくりと聞き、夜は深まっていった。
****
早めに帰るつもりだったが、なんだかんだと少し遅くなってしまった。とはいえ、まだ飲み屋が閉まる時間ではない。呑みすぎた中年騎士が倒れたのを理由に会はお開きとなった。当初、自分も中年騎士を家まで運ぶのを手伝おうとしたのだが、丸眼鏡の騎士に妊娠して10か月の腹の大きくなった妻は何をするにも大変だろう、と早く帰ることを勧められたのだ。
言葉に甘えて家路についたアルデ。
最近の趣味は子供の名前を考える事だ。息子か娘かは生まれてこないとわからない、と理解していても、考えるのをやめられない。
しばらく歩くと、家が見えた。明かりがまだついていた。
起きててくれたのか。
今日は遅くなるから、先に寝てていいと言ったのに。
妻の優しさに、アルデは胸が温まった。
「ただいま」
アルデはゆっくりと扉を開けた。
目の前に天井から、何かが吊り下げられていた。
アルデは一瞬、それが何なのか解らなかった。
いや、頭が受け付けなかったのだ。
天井からつるされていたのは全裸の妻。中に子供がいたであろう胎は、盛大に切り裂かれ、干物のように開かれている。
妻の両手に打ち込まれた楔が痛々しい。近所でも評判の笑顔を絶やさない可愛らしい顔は、悲痛に歪み、目を真っ赤に晴らしていた。
突然、痙攣でもするように、胃の中の物が逆流してきた。アルデは耐えられずに床に手をついて吐き出した。今日口に入れたものをすべて吐き出したような、それくらい吐き続けた。もう、胃の中には何もない。わかってはいるのに、縮こまった胃は身体から空気でさえも、押し出そうとする。
黄色く濁った、自分の吐瀉物を眺める。アルデは胃の中身を吐き出したことで、僅かに冷静さを取り戻した。
ふと、視線をそらすと、白濁とした液体が溜まっている。それが何なのかアルデは知っている筈なのに、わからなかった。
ぴちゃ
その液だまりに粘り気のある白い水滴が落ちてきた。
そのまま顔を上げると、それは妻の股の真下だった。
「なんで・・・」
アルデの呟きに答えるものはいない。
アルデは怒りすら抱けなかった。ただただ悲しみだけが、胸を刺すようにしてアルデを痛めつけた。
アルデの受難はまだ終わらない。
机の上に料理があった。
妻が作ったのか。判断力の乏しくなっていたアルデはそう考えた。
けれど、違った。
テーブルクロスの上に綺麗に並べられていたのは、胎児のフルコース。
トマトと一緒に煮込まれた真っ赤な、頭のスープ。レアな焼き方の足のステーキは、切り口からは血が滴っている。そして、まるでチキンのようにこんがりとした胴体の丸焼き。
部屋の中は血の匂いと料理の匂いがまざり、なんとも言えない悪臭が漂っていた。
アルデは再び、身体が絞られるようにして嘔吐した。
***
アルデの家から少し離れた木の上に暗闇に紛れるような黒髪の青年がいた。
「アッハハハハハ。やっぱり最高だよ。」
青年は腹がよじれるようにして笑っていた。
「お食事はお召しにならなくてよいのですか?」
言葉をかけたのはメイド姿の長身の美女だ。そのそっけなさに青年との温度差を感じさせた。
「ゴメンね、せっかく用意してもらったのに。今回はなかなかな傑作だから、このままにしておこうと思うんだ。」
ザザッ
突風の様な強い風が吹いた。メイドの長いブロンドの髪が風に靡く。
青年はブルりと身体を震わせた。
「流石にもう秋だね。木の上だと寒いや。帰ろうか。帰りに魔物でも捕って、それを夕飯にしよう。」
「ご主人様、まだ牢のほうに若い娘が残っております。わざわざ新しく食材を確保しなくてもよろしいかと。」
「えぇ、あれはまだ使ってるのに・・・。まぁいいや、ヒルノートがそういうなら、アレを食べる事にしよう。」
青年がパチンと指を鳴らすと二人の姿はたちまち見えなくなった。
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