【ネタバレ注意】映画『シン・ゴジラ』の感想を全部書く
『シン・ゴジラ』を観た感想を、思いつくまま脈絡なく書き殴ったものです。
映画本編についての言及が大量にあります。全部ネタバレです。
文章を論理的に構成したりしていません。文法上のミスなど放置しています。
この文章は、筆者が映画『シン・ゴジラ』を観た感想を書き殴ったものです。
映画に関するネタバレを含みます。映画未鑑賞の方はご覧にならない方がよいと思います。
また、文章の構成などはせず書き殴ったものですので、脈絡混乱や文法上の間違いを放置しています。
何卒ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。
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「私はすきにした」博士の行動原理がほぼホバエイイチすぎる。もはやパトレイバー映画版て日本映画の呪縛なのでは。
会議ばっかり会議ばっかり、でも状況が動いている。つまり状況が動いている感があればいい。
『踊る大捜査線 the Movie』っぽくもあるよね。官僚目線。
物語の最初の時点で「生物なんじゃね?」って想定できる矢口すごすぎるだろ。そして怪獣映画がないのに怪獣研究できる人がいるのがすごすぎるだろ。そこが主人公たちの主人公たる由縁か。
でも、年寄り学者さん連は全く間違ったことは言ってねえのよ。そりゃアカデミシャンであると自負してりゃああいう答えになるんだってば。それこそ想定で物事進められるかどうかの違いってもんです。
矢口は二世議員つまり矢口=シンジ、カヨコ=アスカ、尾頭さん=綾波なんじゃないのか。
『シン・ゴジラ』ではこの3人キレイにはまってるのにどうしてエヴァはああなった……?
矢口の意識がすぐに「戦前の日本軍の失敗」にリンクできるのがすごい。なかなかできない歴史的思考。
この描写で、もしかして映画の中の日本では敗戦以降巨大災害に類するもの、たとえば阪神大震災も起きてないのでは、って思ったんだけど(反省点もしくは過去に学ぶためにさかのぼる先が他の大災害ではなく、ピンポイントで大東亜戦争太平洋戦争だった)これは矢口が官僚だからすぐに旧日本軍に跳べたのもあるのかな。
大田区が壊滅していくのを見て、これもかなりパトレイバー感。
二人の年寄りを巻き込めないというあたりが大杉漣総理の限界であり人間味か。しかし、二人のよぼよぼじーちゃんばーちゃんを見捨てなかったことによって東京は火の海になるし、自分も死ぬんだよね。二人を救って東京を滅ぼしたことになっちゃうね。それはたぶん100年後くらいの評価だろうから作品内でツッコむことじゃないけど。
たしかにカヨコの登場時の印象は「なにこいつ」なんだけど、大口叩くだけの見返りなり協力なりちゃんとしていて、口だけにならないというのはキャラ立ての基本中の基本ということか。
虚構という限られた枠内での行為や言動、むしろ行動と言動のみで人物を理解する虚構作品内の人物評価はいかに行動と言動を一致させるかにかかっているのか。
ちゃんと自分の仕事をすること、情報をかくさない、滞らせないことで「カヨコは言うだけのことをやるオンナだ」というのがわかり、アメリカの名門政治家を排出してきた家の出で、さらに祖母は原爆に遭っているというあたりでカヨコのヒロイン力が爆上げになるつくりは本当すごいよね。主人公かヒロインか難しいところだけど。
ゴジラは進化する。「人間は進化するから、人間以外の進化しない生物には負けない」理論はフィクションで何度も何度も何度も描かれてきたが、人間よりハイスピードで進化するゴジラには歯が立たないわけで、ある条件をもとに勝ち進んでいったら、理論上自分よりその条件に適合した存在が現れたらそりゃ負けるよね当然だ。一定のルールの中でひとつの条件(強み?)だけを突き詰めていっても限界がある。
ではどうやって自分より条件に適合した奴に勝つか?
多くの知恵を用いてトライアンドエラーを繰り返し、必勝法を計画し準備して、それをきっちりやって勝つんだよ わかったか!!!
政治と省庁の鼻つまみ者たちが集まって力を合わせて勝つってーのは、それはもう『七人の侍』であり『パトレイバー』であり『踊る大捜査線』なわけで。
この世界、『パトレイバー』の太田さんみたいな人がいなくて本当に良かったなあ……いたらどっかで勝手に撃って日本滅びてたよね。下町が破壊されるので、ほんとどこから太田さんのレイバーが出てくるかとヒヤヒヤしました(いないんだから心配せんでも)。
とまあ太田さん系の頭を使わずに行動で解決しようとする人とか、頭を使わない人がメインキャラクターの中で本当にいない。スバラシイ。ちょっとだけデモのシーンがあったけど、群衆とかパニックとか「愚かな行為」が本当出てこなくてすごかったね。デモとかあったからカメラを移せば、ゴジラを神の遣いとあがめる終末論者とか、ついったパニックとか、よくわからん買い占めとかありそうだけど、そういうのなくて対策に全部集中できてよかったよね。まあ悪い部分は(よい部分も)大杉漣総理と一緒にふっとんだんだろうね。
ゴジラの出す火炎が首都を焼きつくす様は関東大震災であり東京大空襲であり阪神大震災でありヒロシマでありナガサキだったのだろうな。あかりのないまっくろな夜にもえあがる赤い火の美しいことよ禍々しいことよ。
延々ガトリング砲もミサイルも効きません!てのはエンゼルギアのシュネルギア開発の前にこういうのが繰り広げられたのだろうと思うとロボットアニメ好きとしては大変胸熱ですね!
あ、あとマイナーかなとは思うんですが『地球防衛企業ダイ・ガード』の影響も見逃してはいかんのではと。あれは“阪神以後”のアニメでやっぱり災害のアレゴリーとしての怪獣で、映画観ながら赤城の「城田さんアンタわかってないよ!」のセリフがリフレインされました。あ、キャラ配置が“踊る大捜査線後”でもあるんだねダイガード。
そういえば再び谷口巧と正太郎コンビが生まれてしまって尾頭さんが依子さんに見えるワナ。鉄面皮系女子(造語ですよ)に縁深いハセガワさん。(月9ドラマ『デート』のネタです)
竹野内豊がエエ声でエエ仕事をしている。
ゴジラに立ち向かうために政治家から掃除のおばちゃんまで一丸となって立ち向かってるのがすごいよね。
実はオリガミだったんです、に『ガンダムF91』かーいっ!!って思った人はどれくらいいるんだろう僕だけですかあれはアヤトリですけど。
あああと『逆襲のシャア』っぽいなとも思ったんだけどどのへんだっけああそうだヤシオリ作戦周りかな、みんなの命をくれ、ロンド・ベルは宇宙なんで普通に核使ってましたけど。矢口がブライトさんかな、あの現場でがんばってたヘリの人とか戦車の人にアムロがいるはず。
斎藤工さんが戦車乗ってた。バリトンボイスを意図的に隠していただろう!
会議シーンが緊迫して面白いというのは『相棒』なんかでもそういう傾向があったと思うので、事件は現場で起きているのはもっともなんだが会議室も戦場なのだぜ。
たぶん90年代~ゼロ年代あたりに「事件は会議室で起きてるんじゃない現場で起きてるんだ」ってフレームが何度も何度も何度も使われて、いま現場を向きすぎていたのの反動が来てるんじゃないかって思う。
会議とか後方だって詰まるところ現場とつながっているわけだし(現場がどこか、というのはあくまで視点の問題になってしまうわけだよ)現場を滞りなく進めるために会議室があるのです。
ヤシオリ作戦が駆除とか殲滅でないのが本当によい。合理的で、乱暴じゃない、頭使ってちゃんと準備したいい作戦だなあって思ってて、真っ向から叩き潰すだけじゃない、敵と戦うだけでは本当に戦えない相手がやってきたらどうするのか、ネゴシエーションも立派な戦いだし、できる方向で できるやり方で無効化するのが それだって立派な戦いで いろんな脳筋マッチョどもに見せたい!!!
これだけいろんな事を考えるだけの情報が詰め込まれてる映画が作れてるってことが本当すごい。ムダなもの1コマもない、一心不乱なのがわかる、変な横道にそれない、ゴジラを無力化するただそれだけに全身全霊を投入している、好きなことしかやらない、好きなことしかしない、そういう話だ。すきなようにした映画なんだ。
エヴァの使徒はゴジラだったんだ。エヴァはロボアニメじゃなくて怪獣映画だったんだ。先に怪獣があって、それに対抗できる人間を作ったらエヴァとネルフだったんだ。巨大生物対策課があんなにきれいに回ってるのにネルフがどうしようもない秘密結社になってしまったのはなにが原因だったんだ……
大理不尽に人間が知恵で立ち向かうんだよ、面白くないわけがない。神話からオデュッセイアからホームズまで繰り返されてきた物語だ。
核の使用をほんとギリギリまでみんな何とか阻止しようとしてるのがほんといいよね。プロメテウスの火の力を知ってるというか敵と同じこと(ゴジラのエネルギーが核分裂)をやってもくり返すだけだそれは次のゴジラを生むだけだ(ロボットもの、ヒーローもののお家芸「今回は撃退してもいずれ第二第三のうんたら」)ってのがわかってる あるいはそっちのルートに入らないようにしている。むしろ自分よりすごい奴が来たら勝てないから「さらなるパワーで勝つ」をやらないんだ。
『踊る大捜査線』では「後方でケツで椅子を磨いているやつらではなく日々の業務を雑務をしっかり体当たりで毎日うまずたゆまずやってるやつの勝ち」というのがいちばん言いたいことだったんだと思う。でもいつの間にか「現場の最前線に出ているやつは一番危険で一番わかってて彼らの現場感覚に基づいた横車なら通さねばならない」という、~するべき論に変容してしまった。
現場も大事(『シン・ゴジラ』のクライマックスは、当然のように作戦の現場だ)、準備や後方も大事というバランスを見せつけた映画なんだと思う。
ゴジラはわかりやすく天変地異自然災害の寓意なんだけど、寓意化して怪獣になれば対処できる、データがあれば倒せるTRPG的視点にも通じてて好き。
『パシフィック・リム』で災害が起きたら収まるのを待つしか無いけれど、イェーガーに乗れば(乗り手の二人が心を一つにすれば、生き残った人類が協力し合えば)Kaijuを倒せるのと同じテーマ。
本当の災害は倒せない。完全に防ぐことなんてできない。でも、災害を怪獣という寓意にすれば、虚構に仮託すれば、全力を持って倒せる。防げる。それがこの映画の、物語の虚構の力の本当にすごいところなんだって思うよ。
無人在来線爆弾考えた人はほんとすげーよ。圧倒的な「くそつまんない、いやな日常」の象徴を景気よくすかっと吹っ飛ばしてくれた、ありがとう。その発想に乾杯。
以上です。