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中国 某郊外

 中国の一般的な住宅と繁華街が入り交じる街。コンクリートのような土で固められた壁を持ち、窓を数箇所付けた様な家、木造で古びた家などが建ち並ぶ。その一角で男のうめき声が木霊するように響く。

「ぐはっ!」

一・二階建ての古びた建物が建ち並ぶ一角の路地で男が呻き声を上げ、大きなゴミ箱に倒れ込み大きな音を鳴らす。その直後、倒れ込む男を超えるように二つの影が路地から勢い良く飛び出した。

その二つの影を追うようにして多くの影が路地に雪崩のように流れ込む。

 二人の影の前を走るフードを被った一人が後ろの一人の手を引き、飛ぶように狭い路地を駆ける。

 その時、前にいる人影のフードが何かに勢い良く引っ張られるようにズレ、人物の顔を露にする。そして遅れて聞こえてくる銃声。

「ひっ!」

 後ろの一人が短く悲鳴を上げる。飛んできた銃弾が横の缶に当たったからだ。そのことに驚き、足を絡ませ、転けそうになったのを前の一人が手を強引に引くことで体勢を立て直し、言った。

「君は新種のバカか?」

 後ろで束ねた黒髪を揺らしながら後ろに顔を向ける。清楚に整った顔つきに艷やかな黒髪が闇夜に光る。

「ちょ、ちょっと、バカってなによ!」

問いかけられた後ろの一人が即座に反応する。

栗色の茶髪を背中まで伸ばし、短い紺色の短パンにヒールを履き、短めのネックレスを着けている少女だ。

「若い女が夜にこんな所で男共にわざわざ絡むなんて、新種のバカしかいないんじゃないか?」

前の一人は再び前を向き、後ろの少女の手を引きながら路地を細かく曲がって行く。後ろからは数人の男たちの叫び声が時折聞こえてくるが、そちらを見向きもしない。

「だって道に迷って困ってたんだもん、仕方がないじゃないですか!」

「中国語も話せないのに?」

「・・・・・・」

「おまけに、スタンガンで抵抗ときた。だいたいあそこらへんの連中はマフィアの端くれで昼間っからクスリをやってるような連中だ。地元の人間でも余り近づかないよ」

「あなただって女の子でしょ?」

 少女はふんがえしたように言った。

「まあ、骨格や顔立ちから女に見えることは認めるが、一応男なんだけどね」

「・・・う、そ。本当に男の子?」

「ホント。ちょっと仕事の都合で髪を切れないだけだし」

 

路地を曲がるといきなり視界が開けた。狭い路地を抜け、繁華街まで来たようだ。夜も午後九時を回るというのに未だに多くの人々で込み合っている。酒を飲む者、食事を取る者、集団で騒いでいる者など様々だ。

 そんな場所に出た二人は幅10m程の通りを人を押しながら突っ切り、再び狭く入り組んだ路地へと入って行った。

「ところで何で君は日本語話せるの?」

通路に置いてあったゴミ箱をヒョイっと寄けながら少女が思い出したように言った。

「ん、まあ仕事の都合で」

前の少年が後ろを振り向かないまま返事をする。

「ふーん」

 少女は少し納得したように声を漏らした。


二分ほど路地を走ると少年は立ち止まり、後ろを確認して追手がいないことを確認すると、近くのドアを開き店へと入って行った。少女は少し考え少年の後を着いて行った。

 ドアをくぐると中はアメリカ風のバーになっていた。入口から右側にあるカウンター席には二人ほど、左奥のテーブル席には空のビール瓶などの酒瓶を倒し、酔っぱらった一人の客が机に突っ伏して寝ているだけだった。

「珍しいね、客かい?」

 グラスを磨いていたマスターが中国語で声をかけてくる。少女には理解できなかったが、少年は軽く頷き奥の方を指さす。

「いいよ、好きに使いな」

「ありがとう」

 マスターとの短い会話を済ませると店の奥の方へと少年は進んで行く。

 奥のドアを開けると、そこは人が一人通れる程の狭い廊下だった。等間隔で並ぶ暗い電球の明かりを頼りに進み、10m程進むと扉が有り、少年はその扉を開いた。

 中に入ると人影は無く、人が十人程入れるくらいの大きさの部屋だった。先程と取って変わって部屋には綺麗な家具が揃い、天井には小さいながらもシャンデリアが吊られていた。壁も板が剥き出しではなく、西洋風の壁紙が貼られている。

「何か飲むか?」

 テーブルの上に置かれたメニューを手に取りながら少年が聞く。

「い、いや。何があるのか解らないし」

「そうか」

 少年は残念そうに言うと、メニューをテーブルへと戻す。


数分後、中央の椅子にテーブルを挟んで座った二人にマスターが頼んでいないはずの氷の入った烏龍茶を運んで来た。少年はその烏龍茶を無言で半分ほどまで飲むと少女に視線を向けた。

「・・・助けて貰ったのは有難いんだけど、あなたなに者なの?ナイフ持った男たち軽く倒しちゃうし」

「櫻野 佳奈芽」

「!! ・・・何で私の名前を?」

「性別 女 18歳 職業フリーライター兼カメラマン。まあ、最初っからキミと会うことが目的で港に入って来た時から後をつけてた」

「!」

佳奈芽は座っていた席から飛び上がり部屋の隅まで下がった。

「・・・何が目的?身代金?」

「おいおい、そんな犯罪者みたいな目で見ないでくれ。別に殺そうとかそう言う訳ではないんだし。だいたい、殺したかったら助けなかった」

 少年はもう一度烏龍茶に手を伸ばし、一口飲む。

「・・・アヴァロンって知ってるか?」

少年は手にグラスを持ったまま話し出す。

「何、それ?」

「・・・知らないか」

 手に持つグラスをテーブルに置き、佳奈芽の方に視線を向ける。

「俺の名前はシルク。アヴァロンのリーダーをしている」

「・・・そのアヴァロンって何なの?」

 未だ部屋の隅で微動だにしないまま佳奈芽が聞く。

「アヴァロンの持つ意味は“楽園”なんだが、アヴァロンは会社名だ。民間軍事会社“アヴァロン”それが正式名だ」

「・・・そんな民間軍事会社が私に何の用ですか?」

佳奈芽が疑問の声を上げる。

シルクはそんな佳奈芽を軽く眺めながら言葉を続ける。

「俺達はある特殊な体質を持つ人を探し、社員として迎え入れているんだ」

「それが私と何の関係が?」

 再度の疑問。

「そうだな、ジニオンって・・・まあ、知らないか」

「・・・ジニオン?」

 佳奈芽は自分の中の記憶を探しているようだが、ないらしい。

「ああ、俺達はある企業が始めた人体実験の被験者と言うべきかな」

「人体実験・・・」

「世界中のあらゆる学者、スポーツマンなどいわゆる能力の突出した者から集められた細胞情報を元にゲノムを作製、それを人体に投与する人体実験だ。様々なゲノムを投与することでそのゲノムの提供者が持つ能力を強化し自分のモノとする事を目的とし、天才児を人工的に創り出す。それがジニオンだ。最初は成功したと思われていた実験は、ゲノムに様々な副作用があることが後になって判り、投与された非検体はその様々な副作用により体組織が変異し多くの死者、失敗作を創り出した。」

そこでシルクは自分の指を目に当て、コンタクトを取り外す。

「これが副作用の一つだ」

コンタクトで隠されていたのは深く澄んだ真っ赤な瞳だった。

「・・・あなたもジニオンなんですか?」

「ああ、俺のこの目はあらゆるものを視覚情報で与える。音はもちろん、振動、敵意などの気持ち、臭いなどが色として認識できる。まあ、さしずめ五感が全て一体化し、強化された様な感じだ。俺はこの瞳だけでで済んだが他に死んだ者も多い。中には細胞に異常がおき、急速に年をとった者、臓器が二つになった者もいる」

佳奈芽はその場に立ったまま静かに聞き入っていた。

「そういった施設を作ったのが“櫻野財閥”、あんたの父親の会社だ」

 佳奈芽の息を飲む声が狭い部屋に響く。

 

沈黙する部屋の中、沈黙を最初に破ったのは佳奈芽だった。

「・・・そんなこと、私に話してどうなるって言うの?」

「・・・君も俺達と同じジニオンだと言ったらどうする?」

「えっ・・・」

「先月、テロリストに襲撃されたアラスカの研究開発所に行ったんだが、そこのデータに、君のカルテが残っていた。発見当初は別人かと思っていたが、先日入手出来た君のDNAが研究開発所のカルテと99,999%一致した」

「それって・・・・」

「データ上にはある人物がまだ幼かった君を引き取ったことになっている。引き取り先は櫻野財閥 現代表取締役 櫻野祐樹、君の父親だ」

「・・・・・うそ」

黙り込む佳奈芽。

「どうやら、色々と知らない事があるようだな」

 シルクはそう言うと烏龍茶を完全に飲み干した。空になったグラスの中で氷がカランと静かに音を鳴らす。

「時々感じた事はないか?自分が他人よりも何か優れているとか、違っていると思った事は?」

「・・・・・・」

 一時の沈黙の後、佳奈芽は口を開いた。

「・・・確かに何か人と違う様な感覚に襲われた事があります。でもそれだけで・・・」

「そうだな、決定的な証拠は副作用による人体組織の突然変異だ」

「・・・突然変異」

佳奈芽は赤く透き通るシルクの瞳を覗く。

「そうだ。俺のこの眼の様な副作用。まあ、外見に影響する様な変異は稀なんだが、何かそう言った事を聞いた事はないか?」

「・・・小さい頃に怪我をして近所の診療所に行った事があるんですけど、怪我した筈の傷口が見つからなかった事があったかも。小さかったし、記憶も曖昧だけど、確かそんな事があったと聞いた事があります」

「・・・それから怪我をしたことは?」

「うーん、骨折したときは1週間で完治したし、その他に怪我というと・・・」

「・・・まて、骨折が1週間で完治したのか?」

「え?骨折ってそのくらいで治るもんじゃないの?」

「いや、普通は人によってだが3ケ月程かかるものだ」

「え、本当に?」

「ああ」

佳奈芽は両手で抱えていたバッグを床に落とした。

「ここでハッキリしたな。君は間違いなくジニオンだ。それも自己回復能力ときたか」


 話が途切れてもう10分程たつ。未だに状況を飲み込めないのか、部屋の隅に座り込んだままの佳奈芽。

 彼女は時々目をつむり、何かを考えているようだ。そしてそれからさらに10分が過ぎようとしたとき、佳奈芽は立ち上がり、シルクの方を向いた。

「事実かどうかパパに確認してくる」

「・・・それは余り賢明な判断ではないと思うが、まあ君が決めたことにとやかく言う資格は俺にはない。だが最初に言ったがアヴァロンはジニオンを社員として迎え入れている。もちろん民間軍事会社だから傭兵の仕事などもするが所属する部署によって仕事内容が異なる。俺は君をアヴァロンに招きたい。そのためにここまで君に会いに来た。それだけは覚えておいて欲しい」

 シルクはそれだけ言うと空になったグラスをテーブルに残したまま立ち上がり、入ってきたドアに向かって歩き出す。ドアノブに手を掛けた所でそのまま前を向いたまま佳奈芽に言った。

「もし帰ると言うのなら夜も遅いから、付き合って貰った礼にホテルの近くまで送るよ。どうせここで放り出しても迷うだけだろうし」

 佳奈芽はそんなシルクの言葉を聞き、半分驚きの顔をしながらもコクりと頷いた。


 店を出て走ってきた路地をゆっくりと歩いてたどる。部屋にいた時とはうって変わって二人とも無言だ。狭い路地を抜け、大きな通りに出た。時間が時間なのか来るときに見た大勢の人々はいなくなり、今は露店を片ずける数人の人がゆっくりと動いているだけだ。

 所々に落ちたゴミをよけるように通りを渡る。途中通りの端にいる人が二人を見つめていたが、数秒見つめると元の作業に戻った。

 

 大通りを15分程中央広場に向かって歩くと色々なネオンの色に包まれるホテル街に着いた。

 佳奈芽の隣を膝程の黒のロングコートを羽織ったシルクが歩いている。青いネオンの看板のホテルの入口までシルクはついてくると、ポッケットから無造作に紙切れを取り出す。

「俺の連絡先だ。気が変わったら連絡をくれ」

「・・・わかりました」

 佳奈芽の返事を聞くとシルクは直ぐに通りの方へ歩いて行く。

「あ、あの!」

シルクの背中に向けて声が投げかけられる。

「今日は、ありがとうございました」

 佳奈芽はそう言うとペコリと頭を下げた。

 その姿を見たシルクは笑みを浮かべて闇に消えて行った。



 眩く太陽の光が窓辺から差し込み、ガラス越しに木製の床を鈍く照らす。

 ベッドの上ではシーツにくるまるように佳奈芽が寝ていた。

 昨晩、そのままベッドに入ったようだ。服装が変わっていない。

「・・・結局寝れなかったな」

 佳奈芽は一言呟くとベッドから這出る。

「・・・シャワー浴びなきゃ」

 隅に置いてあったスーツケースからバスタオルと着替えを取り出すと浴室へと向かう。ドアを開け、中に入る。

「・・・昨日も思ったけど、やっぱり狭いね」

 部屋の中には浴槽は無く、シャワーのヘッドとホースが付いたジャグジが一つ。広さは人が立って二人入れるかどうかという位の広さだ。

 佳奈芽は赤色と青色のジャグジをまわし、水を出す。シャワーヘッドの先から出ていた水はやがて湯けむりを上げ始めた。

 そのことを確認してシャワーを浴び始める佳奈芽。


 10分後。バスタオルで長い髪を拭きながら佳奈芽はベッドに座っていた。

「・・・パパに電話しても日本に戻ってから詳しく話を聞くって言うし。・・・やっぱり、日本に帰るかしかないかな」

 そう言うと思ったら即行動なのか佳奈芽は荷物をまとめ始める。

「・・・一応帰るって伝えといたほうがいいよね」

 昨晩、シルクから貰った紙切れを見つけた佳奈芽が呟く。

 おもむろに携帯を掴むと紙に書いてある番号を打ち込む。

「・・・・・・・・・もしもし」

 三コール目にしてシルクが電話に出る。

『なんだ、もう決まったのか?』

「いえ、まだ決まってないんですけど。やっぱり日本に帰ってパパに確認してきます。電話じゃ話ずらそうだったし」

『・・・父親と連絡を取ったのか?』

「はい。あなたの名前は出してませんがジニオンの事をパパに聞きました。そしたらなんか深刻な声で日本に戻って話そうって言われたんです」

『・・・そうか。分かった、何かあったら連絡してくれ』

「はい。ではまた・・」

 

 電話が終わり、静まりかえる部屋。

「・・・はあ」

 短い吐息を吐き出す佳奈芽。若干疲れた顔を軽く両手で叩き、立ち上がる。

「さあ、帰ろう!」

 携帯をバッグに放り込むと、手早く外出用の服装に着替えると、スーツケースと手提げバッグを持ち、部屋を出る。あちこち傷が付いた廊下を軽く軋ませながら歩き、フロントに向かう。

 

佳奈芽はフロントでチェックアウトを済ませるとタクシーを外の大通りで拾った。タクシーの運転士に空港まで、と短く中国語で指定してドアを閉めた。



 切れた電話の画面を見るシルク。

 古びた壁からの隙間風が心地よく前髪を揺らす。その光景とは逆にシルクの表情は険しい。

 一度、天井を見上げると一息付き、携帯にもう一度視線を戻す。滑る滑らかな動きでボタンを操作し、アドレスデータからある人物に電話をかける。

「・・・ああ、俺だ」

 ワンコールで出る相手。

「・・・お前に頼みがあるだが・・・」

 話をしている険しいシルクの顔が話の最後に少しばかり緩んだ。



 空港に着いた佳奈芽は足早にタクシーを降り、運転手に賃金を支払う。

 自分で荷物を降ろし、空港のドアをくぐる。平日の午前中で有るため、小規模であるこの空港には余り人影がない。壁際にある売店に数人の外国人観光客が買い物をしているぐらいで、掃除をしている作業員の姿が壁からちらほら見え隠れしている。

 キャスター付きのスーツケースを引きずりながら受付カウンターに向かう佳奈芽。客が少ないため、並ぶ必要が無く直ぐにカウンターへとたどり着く。

「・・・日本 羽田空港行きの便お願いします」

 日本語で受付の係員に言う。

「はい。一番早い便ですと、日本 羽田国際空港行き10時50分発145便になります。よろしいですか?」

「・・・はい」

「わかりました」

 係員は機械的にそう答えると手早くチケットを用意する。そのチケットと引き換えに現金を渡す佳奈芽。

「では出発は4番ゲートとなります。よい空の旅を」

 係員の案内を軽い会釈で返すと、チケットを手に4番ゲートに向かう佳奈芽。空港名物の免税店を軒並み無意識に通過すると英語と中国語で4番ゲートと書かれた文字が目に入る。

 その出発ロビーには佳奈芽を含め、十数人の客が待っている。

 やがて搭乗を開始し、順番に飛行機機内へと足を運ぶ。


 飛行機は中型機で余り大きくない機体だった。前の入口から中に入ると、先頭にはビジネスクラスのシートが数列並んでいた。その間を通り抜け、エコノミークラスのシートの後方、尾翼に近い場所の窓際に座る。

 数人のキャビンアテンダントが手荷物を入れた棚のロックを確認し、テキパキと離陸準備を進めていく。

 やがて飛行機はゆっくりと後退し始めた。エンジンの回転数を上げ、徐々に滑走路に侵入していく。

 メイン滑走路に侵入後、機長からの日本語での挨拶があり、機体は徐々にスピードを上げ始めた。やがてフワッとする浮遊感と共に機体が空へと飛翔した。


 ある程度高高度に達したのか、シートベルト着用サインが消え、キャビンアテンダントが飲み物の配布をし始めた。佳奈芽は昨晩寝れなかった事もあり、直ぐに寝に入った。その時機首の方から短い悲鳴が上がった。

 膝掛けを掛けて寝ていた佳奈芽はその声で目を覚ました。


『この機体は我々が掌握した。下手に動くとこの機体を爆破させる』

機内アナウンスで流れる男の声。

 その声を聞いて席の半数程の乗客のうち数少ない女性の悲鳴が上がる。


 上空1万2000メートルのハイジャック。 

 最近では機内持ち込みの検査が非常に厳しくなり、飛行機内での事件は911いらい世界中で起きていない。その事が頭の中にあったせいか、職員の対応もとても稚拙なものだった。ハイジャックした4人組の男達は一人をコックピット、残りを均等に機内に並べている。手には銃器の代わりに白いナイフが握られている。

 先程、悲鳴が上がったのはどうやら機長が犯人グループに反抗したため切りつけられ、それを見た若いCAが悲鳴を上げたようだ。

 佳奈芽は一番後ろの席で大人しく席に座っていた。寝ていた時身に付けていた膝掛けを足の上に掛けなおし、事の真相を探ろうとしていた。

 犯人グループは事前に用意していたのか各自手に無線機を持ち定期的的に連絡を取り合っている。そして先程から佳奈芽に一番近い場所にいる犯人の一人は衛星電話で誰かと連絡を取っている。話しているのが日本語ではないので佳奈芽には理解が出来ない。その犯人の会話をどうにかして聞き取ろうと聞き耳を立てていた時、腰に着けている無線機が鋭い音を上げた。

 犯人は驚きの目を見せ、慌てた動きで無線に出る。

「どうした?」

『・・・・・・』

話しかけたが無線からの返事はない。男が首をかしげながら無線を切ろうとしたときだった。

『・・・一人完了』

 無線から先程話していた仲間達とは違う声が聞こえてきた。その声を聞いた瞬間、男は腰から二本のナイフを引き抜くと機首の方向に向かって歩き出した。それと同時に無線で他の二人に鋭く司令を飛ばす。

 

 「前で何が?」

 機首から二番目の位置にいたグループの一人がリーダーからの司令に首をかしげながら前へ向かう。席と席の間隔が狭いエコノミーと違い、間隔が広いビジネスの席の間を抜ける。

 CAの控え室を過ぎたところで男が不意に身を引いた。

「っく!」

 男は後ろへと下がりながら腰のナイフを前に構える。

「・・・誰だ?」

 鋭い目付きを前へと向けながら言い放つ。

「・・・さっきのを寄けるか」

 男の視線の先から髪を後ろで結い、短めのコートを羽織った少女が出てきた。手には男と同じナイフが若干血を点けて収まっている。

「女?」

 男が一瞬疑問の声を上げる。そして瞬時に少女の手の中にあるナイフへと視線が行く。

「それは・・・」

「ああ、ちょっと拝借した」

 少女は男の言葉を続けるように話した。そして逆手に持ち替え軽い体制で前に構える。その構えを見た男は一瞬驚く様な顔をした後、少女に話しかけた。

「なあ、どうやって前の奴を倒したんだ?」

「あ?ああ、それなら安心しろ。別に殺した訳じゃない、今は軽く夢を見てるさ」

「・・・おいおい、あいつはそんなヤワな奴じゃないぜ。端くれでも元軍人だ、こんな細い女の子にやられる程油断していたのか?」

「別に油断していた訳じゃない。正面下から顎に一発と腹部に二発見舞ったら気持ちよさそうに寝たよ。あとな、俺は男だ」

「なっ!おいおい、アイツ俺よりも体格いいだろうに・・・」

 男はそう漏らしながら再びナイフを構える。右手に持ち、左手を右手よりも若干引くようにした形だ。

「まあ、俺も元軍人だ。しかも特殊部隊のな!」

 男はそう叫ぶと少年に向かって蹴り出す。体を前に倒し、右手に持ったナイフを前へと突き出す形だ。その体型のまま少年へと突っ込む。右手のナイフを手前に引いた男は体の勢いと共に前へと突き出す。

「悪くはないかな・・」

 少年は突っ込んでくる男の姿を見て言った。

 少年の体の中央、心臓に向かって伸びてくるナイフ。そのナイフの切っ先を左手のナイフで軽く抑えるようにしてずらし、右足を腕の遠心力と共に後ろへと引く。

 キンッ

 ナイフが金属音としては低い音を立てる。

「それにしてもセラミックとは考えたな・・・」

 男をすれ違う形で後ろへとずらし、少年が呟く。そして体を男の方へと向けると軽く笑みを浮かべ、体勢を低くする。

 その様子を少し息を上げながら男が見ている。先程持っていたナイフを逆手に持ち替え、再度突撃を仕掛けようと左足を下げる。

「・・・次で決める」

 男は短く言葉を吐くと再度加速した。その様子を真正面から見ていた少年もほぼ同時に足を蹴った。

 二人の間は3メートル程。ビジネスからもう一ランク上のスーパークラスのシート席に変わっているので比較的広い空間になっている席との幅。その廊下を一直線に駆ける少年と男。その二人の距離があと一メートルと迫り、やがてゼロになる。

 キンッ

 再びナイフが重なり合い、音が響く。突き出して来た男の右手のナイフを少年は同じく右手のナイフで迎える。体格の差があるのにも関わらず、お互いの力が拮抗する。その直後、男が空いた左手をねじるように少年の腹部へと入る。しかし、その拳は目標に届く事は無かった。

 男の驚きの顔が見える。男の拳が狙った場所は位置的に少年の死角だった。しかし、今その拳は少年の左手によって受け流されている。左手の手の甲で滑らせるようにして力を斜めに受け流したのだ。

「・・・おしい。でも残念ながら俺には死角が少ないんだ」

 少年はその言葉と同時に男の前から姿を消した。いや、正確には男が少年のあまりの速さに姿を見失った、と言うほうが正しい。左足を高速に右側にずらし、右足で地面を強く蹴る。そして、右手の握っていたナイフを放し、左手で男の手首を掴み、引く。

 男は引かれることで大勢を崩した。そして、その崩れた大勢の男の背中、上へと飛んだ少年は右手で鋭く首元を強打した。低い声を漏らしながら床に崩れ落ちる男。その姿を一度見た後、少年は尾翼の方へと視線を向け、言い放った。

「隠れてないで出て来いよ」

 少年の声に反応して数メートル先の影から衛星電話を腰に下げた男が現れた。髪型は角刈りで額の左側に古い切り傷が残っている。背格好は先ほどの男と変わらないが、ヒゲを生やしているせいか40歳程の年に見える。

「・・・元軍人の二人をこう軽くあしらうとは、君は何者かね?」

 中年の男は手に持ったナイフを右手、左手と交互に渡しながら少年に尋ねる。

「そうだな、少なくともお前らの雇い主とは有効的な状況にない者かな・・・」

 少年は少し難しそうな顔をしながら答えた。

「まあ、そう詮索はよそう。後でいくらでも調べる事が出来るからな・・・」

 男はそう言うとナイフを構える。先ほどの男と代わり、軽く立つように構えている。

「へえ、お前特殊部隊出身だろう?何でこんな下っ端がする様な仕事をやってるんだ?」

 男の立ち振る舞いを見た少年が床のナイフを拾いながら尋ねる。

「君には関係なかろう。せいぜい立っていられるのは数秒だ」

 そう男が言い終わると、体が左右に振れた。男は先程の男の加速力程まではないが、前へと加速してきた。少年はすぐさま対応する姿勢をとる。腰を下げ、両手をぶら下げるようにして力を抜いた。

 その体勢をとった少年を見た男は目を丸くする。普通はナイフを警戒し、同じようにナイフを構える。しかし少年はそのセオリーを無視したスタイルをとっていた。

 男は一瞬のうちに判断した。ナイフを突き出す動きから、回し蹴りへと動作を変える。加速している体の芯をズラし、右足を大きく踏み込む。そして左足を踵から右後ろへと引き、そのままの動きで体を回転させる。

少年のナイフは右手。対して男の踵は少年の左側から迫って来る。加速力と回転力を足した力が男のさけびごえと共に少年へと突き刺さる。

「うをおおおおおお!」

 しかし男の踵は少年に触れる事はなかった。回し蹴りで踵から少年へ向かった男の足は、少年に触れる直前、左手により止められた。男はその驚きの念を顔に出しながらも素早く後退した。

「・・・体術。それも日本の合気道というものか」

呟く男。

「よく知ってるな、でもまだまだ序の口だよ」

 次の瞬間、少年の姿が霞んだ。男は瞬間の判断で両腕を前でクロスする。そしてその直後車と衝突した時のような衝撃が男を襲った。

「うっ!」

 少年の蹴りにより数メートル後退した男は片膝を着き腕を抑える。額からは焦りからか水滴が滴り落ちる。

「・・・早いな」

 そう言うと男は立ち上がり、ナイフをもう一本腰から抜いた。

「おっ、ズルっ」

 からかいげな少年の声が届く。

「そんな事を言っている状況ではないようなのでな」

 男はそう言うと再度加速の姿勢に入る。その動きを先に読んでか、少年は動き出していた。左手に持ち替えたナイフを持ち、真っ直ぐに男へと向かって行く。

 数拍遅れで男も動き出す。

「よっと」

 少年が軽く声を上げながら体を捻る。踏み出した右足を軸に左足を後ろに回す。

 少年の体が宙に浮き、回転する。男にはその光景がスローモーションのように見えた。

 男は大勢を低くして加速姿勢を取っている。少年が前へと加速したのを見たからだ。

「くっ!」

 男は苦言を口から漏らしつつ、対応する。

 低い大勢を更に低くし、加速させる。空中で身動きの取りにくい少年に攻撃するためだ。

「はぁぁぁあああああ!」

 男はまだ回転をしている少年にナイフを突き込む。完全なキルレンジだ。

 しかし、少年の体に入るはずだったナイフは虚しく空を切り、少年の持つナイフに止められた。

 その直後回転していた左足が男の首の付け根に埋まる。

「ぐっ・・・」

 男は低い声を漏らすと床に倒れ込んだ。

「・・・・元特殊部隊か。少し厄介な連中だな」


 コトッ

「さてとっ、確かあと一人いたような・・・・」

 少年が男の持っていた二本のナイフを拾い上げた時だった。

 ガクン

 少年の体が大きく傾いた。

 「しまった、コックピットか」

 少年はそう呟くと手にしていたナイフをその場に放り投げると、機首の方に向かって走り出した。


 少年は機首にあるコックピットのドアまでたどり着くとドアノブを回す。

 カチャ

 予想していた事とは裏腹に軽くドアノブが回った事に驚きながらも室内に入る。その時、少年の目にギラリと光るものが映った。少年は咄嗟に膝を折り、後ろへ倒れ込んだ。

 少年の頬に赤いラインが浮かび上がる。それとほぼ同時に鈍い打撃音が少年の足元から聞こえる。

「・・・素人がCQC(近接格闘)なんて出来るわけがない」

 少年は気絶して自分の上に倒れ込んできた男をどかしながらつぶやいた。

「さてとっ、パイロットはーっと」

 気絶した男を跨ぐようにしてコックピット内に入った少年は操縦席に手をかけながら呟く。

 数秒当たりを見回して、少年は直ぐにパイロットを見つけた。

 帽子を抱えるように血塗れで壁に寄りかかっている機長。その横で額から血を流し、気絶している副機長。状況は最悪だった。

少年は直ぐにそばに行き、手を首元に当て脈を確認する。最初に確認した機長はもう脈はなく、下の床には大きな血だまりができている。横の副機長は血塗れだが、脈はあった。

 確認を終え、機長を床に寝かせようと機長に手を掛けた時だった。

 少年の耳に鋭いアラート音が飛び込んできた。急いで機長を床に寝かすと、その音源へと向かう。

「ちっ・・・」

 赤く点滅するライトを見た少年は小さく舌打ちをした。

「燃料がもう底を突いてやがる・・・」

 少年はそう呟くと急いで操縦席へと座った。直ぐに席の横に掛けてあったイヤホンマイクを付けるとチャンネルを設定し呼びかけた。

「こちら中華航空725便、管制塔応答願う。繰り返す、こちら中華航空725便、管制塔応答願う」

 操縦桿を握り、開放中だった燃料タンクのバルブを締め、点滅しているランプを消す。

『こちら羽田国際空港管制塔、725便どうぞ』

「こちら725便、端的に説明する。現在機長及び副機長が負傷し、操縦不能となっている。それと燃料タンクがすでに空だ。まだエンジンは動いているが、あと数分で止まるだろう」

 少年はマイクで喋りながらあらゆる機器系統を確認してゆく。

 最初に管制塔から応答があってから数分が過ぎようとしていた時、返事が来た。

『こちら羽田国際空港管制官の西田だ。このまま日本語でも構わないかな』

 応答に応じてきたのは最初に応答した若い管制官の声ではなく、低い年季の入った声だった。

「構わん。状況が状況なのである程度省略する。俺は特家所属のシルクだ」

 男の声に気軽に答えるシルク。

『特別国家公務員のかたでしたか。こりゃあ失礼しました。で、テロってことで理解していいんですかな?』

「あらかたその通りだ。機長は死んでるが副機長は気絶してるだけだ。乗客に死者はいないが、かすり傷は数人いるみたいだ」

『わかりました。機体の状況を教えてもらえますか?』

「ああ、機体に破損場所は今のところない。だが、犯人の一人が燃料タンクのバルブを開放して燃料を放出させた。そのせいで両側共に燃料ゼロだ」

『わかりました。高度とスピードはどのくらいですか?』

「高度22500フィート速度857m/hで飛行中。現在はエンジンが止まっているせいで徐々に落ち始めているがな」

『わかりました。こちらのレーダーでも機影を確認しました。航空自衛隊にスクランブルを要請して誘導に戦闘機を回して貰います。そちらの誘導にしたがって下さい』

 無線の向こう側からの男の声を聞き、再び計器に目を落とす。

「なぁ西田さん、一つ聞いていいか?」

『・・・・なんでしょう?』

「いや、なんでもないわ。滑走路開けといてくれよ」

『・・・無事を祈ってます』

「ありがとよっ」

 シルクはそれだけ言うと無線を切った。

 視線を再び計器に落とし、少し操縦桿を押し込む。機体が前方に傾き、降下を始める。

 手元に近い場所にあるマイクボタンを押し、マイクを口にあてる。

「こちらコックピット。乗客の皆さん、今から着陸体制に入る。そこらへんに転がっているテロリスト達を縛り上げて、席に縛り付けてくれ」

 そこで一度息を吸い、再び喋り始めた。

「機長及び副機長が負傷したため、緊急着陸を予定している。離陸時に習ったように対ショック姿勢を取り、必ずベルトを締めるように。あとの事はキャビンアテンダントの人たちに任せた。5分以内に用意しろよ、以上」

 それだけ言うとシルクはアナウンスを終了させた。

「ったく、日本政府は残酷だねえー」

 イヤホンマイクを頭から取り外しながら窓の外を見る。シルクの視線の先には白い尾を引く二機の戦闘機が飛んでいる。

 シルクは自分のコートの内側から携帯を取り出した。小型の衛星電話であるシルクの携帯のアンテナを伸ばし、番号を押す。

「非常事態だ。この機体をどこか下ろせる場所ないか?」

 繋がったと同時に話し始めるシルク。

『・・・・・・分かりました。しばしお待ちください』

 数秒の間があってから返事がある。

『こちらで用意しました。今から指示する方向に向かって下さい』

「りょーかい」

 その後短い話をしてから電話を切り、再びコートの中にしまった。

 その時、コックピットのドアを控えめに叩く音が聞こえた。

「いいよ、入って」

 シルクは操縦席から立ち上がり、自分のコートで機長に掛けながら言った。

 軽い回転音がしてドアが開く。

 ゆっくりと開いていくドアの先には一人の少女が立っていた。シルクはその少女が来ることを知っていたかのように驚きもせず、中に招き入れた。

 

「一昨日以来かな?」

 シルクは再び操縦席につきながら少女に言った。

「・・・はい。やっぱりこれは・・・・」

「はい、ストップ」

 シルクは問いかけにうつむきながら返事をした少女を止めた。

「今のところ佳奈芽の所為だと決まったわけじゃないよ」

 視線を計器類に向けたままシルクは佳奈芽に言った。 

「でもっ・・」

「まあ、そんなに背負い込みたければかまいはしないけどね」

 シルクの言葉にうつむく佳奈芽。

「ほら、立ってると危ないからそっちの席に座りなよ」

 そんな佳奈芽を気にする様子もなく、副操縦席に誘導するシルク。

 佳奈芽が誘導に従って席に着いた瞬間、機体がガクンと大きく揺れた。

「・・・今、どんな状態なんですか?」

「んー、そうだな。燃料が空で乗客240人を乗せたまま落下中ってとこかな」

「っつ!」

 シルクの言葉に息を飲む佳奈芽。

「ほら、横に戦闘機見えるでしょ?」

「・・・はい」

「あの戦闘機は誘導に従わなければ撃ち落とすぞって威嚇してんのよ」

 シルクは少し笑いながら佳奈芽に語る。

「まあ、ギリギリまでは落とされないだろうけどね」

 ふうとため息を一つつきながらシルクは話を続ける。

「んで、ちょっとピンチだからどっかに不時着しようってことになってる」

「えっ?いま不時着って・・・」

「おう、そう言ったけど?」

「けどって、大丈夫なんですか?」

「ん?まあ、やるしかないでしょ?この状況で操縦出来るの俺だけなんだから」

 どうってことないように首をすくめながらシルクは操縦桿を握る手に力を入れる。

「で、来たとこ悪いんだけど操縦の手伝いしてくれない?」

「はっ?今何て・・・」

「操縦の手伝いだけど」

「む、無理無理!私飛行機なんて操縦したことないんですから!」

「まあ、操縦したことあったらビックリだけどな」

 シルクは軽く笑いながら続ける。

「佳奈芽は操縦桿を握ってるだけでいいから、ねっ?」

「ねっ?って言われても・・・・」

「一人では出来ない作業があるんだ。機器の操作は全部俺がやるからさ」

「うーん、握ってるだけだよね?」

「うん、握ってるだけ」

「分かった。私やってみる」

 決意を決めたのか佳奈芽は操縦桿を両手で握った。

 その姿を見てシルクは一瞬笑顔をみせ、顔を引き締めた。

「じゃ今の場所をそのままにして、腕を固定してて」

「・・・・はい」 

 佳奈芽は慎重な動きで操縦桿をシルクに言われた通りに少し引き、固定した。

 その時コックピットに鋭いアラートが鳴り響く。

「なっ、なに?」

 佳奈芽がキョロキョロと首を回す。

「気にしなくていい。君は操縦桿をそのままにしてて」

「気にしなくていいって言われても、なんかランプが点滅してるし・・・」

「・・・ああ、エンジンが停止したんだ」

「・・・えっ?エンジンって、飛行機の?」

「それいがいに何があるって?まあ心配するな。飛行機は空中でエンジンが止まっても落ちない設計になってるから」

「・・・・そう」

 シルクの説明で納得した様子の佳奈芽は再び落ち着いて操縦桿を握る手に力を込めた。

「少し席を外す。一、二分で戻るから操縦桿はそのままにしといて」

「えっ?ちょっ・・」

 立ち去るシルクの背中に向けて佳奈芽の反論は虚しく消えていった。



「さあーて、目的を話してもらおうか?」

 客席に戻ったシルクは先程乗客たちによって席に縛り付けられたハイジャック犯達の元へ来ていた。

「・・・・・・」

 唯一意識を取り戻しているリーダーは黙秘を貫いている。

「まあ、話せったってそう簡単にはいかないよな」

 シートに縛り付けたまま、シルクは男に尋ねた。

「まあ取引しよう」

 そういうとシルクは懐から一枚の紙を取り出した。

「腕を見込んでスカウトするよ。どうだ?条件は悪くないと思うが」

 男の前に差し出された紙は契約書だった。

「けっ、なかなかいい金額だな」

 契約書を軽く読んだ男はそう言うと顔を上げ、シルクに視線を向ける。

「同じ傭兵としてはいくら貰ったかは知らんが、死ぬような任務はごめんだぞ」

 同感だ、と短く呟いた男は静かにうなだれると言った。

「・・・・一ついいか?」

「ああ」

「仲間も一緒にいいか?こんな連中だが、俺にとっては家族なんだ」

 その表所は男が初めて見せる表情だった。

「なんだ、そんな顔もできるんじゃないか」

 シルクは笑いながらそう言うと紙を男の体とベルトの隙間に押し込み、操縦室に戻っていった。


「おまたせ」

 おそいっ!と怒鳴り声と一緒に佳奈芽の泣きそうな顔がシルクを出迎えた。すでに操縦桿を握っている手は震えており、表情も余裕を失っている。

「ごめん、ちょっと手間取って」

 そう言いながら操縦席につくと佳奈芽から操縦を変わると同時に携帯が鳴った。

「はーい」

 容器に返事を返すシルクは表情を変えない。

「うん、あと一〇分。東京はもう見えてる・・・うん」

 それだけ言うとシルクは携帯をなおした。

「それで、どうやって着陸するの?」

 恐る恐る尋ねる佳奈芽。その問いにシルクは笑顔で返す。

「あそこ、見える?首都高速道路の湾岸線に沿って東西に延びる約二.五キロのメガフロートあの上に着陸する」

「え?羽田空港が目と鼻の先じゃないですか」

「今の高度と速度じゃ無理だし、下手に旋回もできない」

 徐々に高度を下げる飛行機は自重によって速度を維持している、いわばハングライダーのような状態だ。エンジンが止まっている今、下手にバランスを崩すと失速して最悪墜落する。

「さて、侵入経路はいいと、問題は止まれるかだな」

「止まれる?」

「ああ、通常飛行機は着陸してからエンジンの逆噴射を行い、強烈な減速を行う。でもエンジンが止まっている現状では逆噴射は不可能、だから通常の着陸距離よりも自然に長く滑走路が必要になる。だが・・・」

 目下に迫るメガフロートは全長約二五〇〇メートル通常の着陸で必要とされている距離に近い。

「しょうがない」

 シルクは短く呟くと自分の体をシートに固定し始めた。

「これから大きく揺れるよ、シートのベルトを締めておいて」

 佳奈芽にそう指示するとシルクは大きく息を吸い、吐き出す。

「さて、大きな賭けになりそうだ」


 徐々に高度を下げながら西から侵入した飛行機はいまだに車輪を出していない。車輪を出すことによって増す空気抵抗を極力避けるためだ。

 着陸予定のメガフロートが目前まで迫る。操縦席からその光景を見ていた佳奈芽は思った。本当にこんなところに着陸できるの?整備もされていない、ただの空き地に。

 しかし、次に起こったことで佳奈芽の思考は吹っ飛んだ。

 着陸した、と思った瞬間に機体が大きく揺れたのだ。着陸の衝撃とは明らかに違う揺れに佳奈芽は焦りを感じ、すぐにシルクを見る。しかし、シルクは涼しい顔で操縦桿を握っている。

「いったい・・・」

 佳奈芽の問いにはすぐに返事が返ってきた。

「胴体着陸って知ってる?」

 シルクの口から出た言葉はとんでもないものだった。

 大きく揺れ続ける機体の中で佳奈芽はあんぐりと口を開けた。確かに何度かニュースで聞いたことがある単語だった。何らかの事故で飛行機の車輪が出ず、そのまま本体で滑走路に着陸するというほとんど自殺に近い行為だ。少しでも進入角度や速度を間違えると、アルミの機体はすぐに自壊してしまう。そんな行為を平然とこの男はやっているのだ。

「さて、もう一仕事」

 フロートの中盤に差し掛かり、いまだに速度を緩めていない状況でシルクはそう言うと操縦桿を不意に右に回した。

 その直後に機体が大きく揺れ横滑りするような状態になった。

「ちょ、ちょっとっ!」

 必死にシートにしがみつきながら佳奈芽は非難の声を上げる。

「これでも、止まるかな」

 返事に心臓が止まるようなことを聞いてしまったと後悔しながらも佳奈芽はかろうじて目を開ける。シルク越しの外の景色が見え、目を見開いた。そこには目前まで迫った海が見えていた。あと少しで海に落ちる。佳奈芽はそう思った。飛行機はまだ動いている。

 その時、ふとシルクに視線を向けると笑っていた。

「大丈夫、止まるよ」

 その声が終わるか終らないかのうちに機体の揺れは収まり、異様な静けさに包まれた。


「・・・助かった、の?」

 フロントガラスは舞い上がった土埃によって汚れ、操縦室の中にはけたたましくアラート音が鳴り響いている。

「ああ、着陸成功だ」

 そう言うシルクの顔も少し緊張がほぐれた、ように佳奈芽は見えた。

「さて、そう悠長にもしておけない。佳奈芽、これからどうしたい?」

「どうって?」

「このまま、日本に残るとすればおそらく今日のようなことが少なからず起こる。俺たちと一緒に来るのであれば安全は保障できるし、生活も不自由させないことを誓う」

 そこまで言ったシルクの顔は今までになく真剣だった。

「それって・・・」

「先ほども言ったが、ジニオンである君はすでに用済みにされた。予想通り、後ろのシートに縛り付けられている傭兵たちの雇主は君の父親だ。日本に残るという意味は彼らのモルモットになる、ということに等しい意味を持つことを十分に理解しておくことだ」

 そういうとシルクはベルトを外すと操縦室の入り口に向かい、足を止めた。

「五分、その時間だけ外で待っている。残るか、ついてくるかは君の判断に任せる」

 それだけ言うとシルクは出ていった。


 今まで育ててくれた父、そしてその周りの人たち。確かに施設にいたころの記憶は全く残っていない。それどころか、いまだに自分が人工的に作られた存在だということが信じられない。確かに父の研究所で小さいときに何度か手伝いと言って検査を受けた記憶はまばらだが残っている。しかし、それだけの情報であのシルクとかいう男を信じるべきか。

 さまざまな葛藤が脳内で動きまわる。時間がない、そう思ったときふと佳奈芽は自分の手がポーチに触れていることに気づいた。


「結論は出たか?」

 お互いに肩を貸しあい、機外に退避する乗客の中、外に現れた佳奈芽に声がかけられる。先ほどと同じ恰好のまま、腕を組むシルクだ。

「・・・結論は出てません」

 傍まで降りてきた佳奈芽はでも、と続ける。

「でも、私は私のやりたいことをしたい、と思います」

 そう言う佳奈芽の手にはカメラが握られていた。

「そうか、なら我々アヴァロンは君を広報担当として雇おう」

 片手を差し出すシルク。佳奈芽はその手を強く握り返した。



 ハワイ沖合約500キロの地点にある油田プラント。世界一の大きさを誇るこのプラントは全長1.5キロ、幅1キロ程の巨大な船を連想させる。従業員1200人の住居を備えており、地上二十三階地下十二階と巨大な一つの国とも言える事からエデンと名前を付けられた。

「作業急げ!インドネシアからのタンカーが積荷を待ってるぞ!」

 採油区画の作業現場からは大きな声が上がっている。その正反対側にあたる居住区画。いくつものマンションが連なって見えるその建物郡はとても水上に浮かんでいるとは思はいものだ。そんな居住区画の入口にあたる後部第二ハッチに着けられた船から二人の人影が降り立った。

「おかえりシルク」

降りた人影の一人、ロングコートを羽織っている方にスーツの様な制服を着た金髪の女性が挨拶をした。

「ああ、ただいまアリシア」

 長い髪を潮風に揺らしながらシルクが答える。

「こちらが例の・・・」

 アリシアの視線がシルクの後ろの少女にいく。

「ああ、佳奈芽だ。部屋とかの世話をしてやってくれ」

 シルクはそう言うと右手に提げたスーツケースを持ったままハッチの中へと入って行った。

「あっ、あのー」

 そんなシルクの後を追いかけるように佳奈芽が歩き出そうとしたとき、いきなり佳奈芽の目の前が金色に染まった。

 慌てて一歩下がると先程シルクに挨拶した女性が立っていた。

「ようこそ。私はシルクの補佐官を務めているアリシア・ベルフェットよ、貴方のお世話役よ」

 アリシアは右手を佳奈芽に差し出しながら言った。

「こ、こちらこそ佳奈芽です」

 佳奈芽も差し出された手を握り返して返事をした。

 

 巨大な城の城門を感じさせる後部第二ハッチをくぐり、ハッチの入口で簡単な持ち物検査をした後エデンの内部に入った佳奈芽は、先を歩くアリシアに付いて歩いていた。

 時間にして約5分程歩くと大きなホールに出た。

「ここは共有フロアとなっているわ」

 アリシアが簡単な説明をしてくれる。

 フロアは丸く円形上になっており、中央には柱がある。その柱には全面にモニターがあり、世界各国のニュースなどの情報が流れている。

 その柱を囲むようにしてソファーなどが点々と置かれている。


 共有フロアを過ぎ更に数分ほど歩くとエレベーターに乗った。アリシアはメインフロアと横に書かれたボタンを押し、佳奈芽もその横に続いた。

 リニア式のエレベーターであるため稼働音が殆ど無く、エレベーターの中は静まり返っていた。十数秒もの沈黙が続いた後、ようやくエレベーターのドアが開いた。

 ドアが開いたその先にあった光景は佳奈芽が想像していたものとは大分違っていた。

 青空が見える開放的な広い空間。その中心にある噴水と沢山の花壇。その周りで走り回る子供たちの姿だ。

「・・・なんで、こんなに子供が?」

 佳奈芽の口から疑問がこぼれる。

「この子達は皆シルクが拾ってきた親を持たない孤児よ」

 走り回る子供たちを先ほどと違い、暖かい眼差しでみながらアリシアが言った。

「ここには30人の孤児がいるわ。そのほとんどが戦争で親や兄弟を亡くしている子供たちよ」

 楽しそうに追いかけている子供たち。その様子を少し暗い顔になりながら説明するアリシア。

「意外だったかしら?まぁ、世間からは私たちの組織はテロリストだってことは判ってるつもりなんだけどね」

 そう言うとアリシアは再び歩き始めた。

「来て。こっちで少し細かいことを説明するから」

 佳奈芽が子供たちの姿に視線を奪われていたため、アリシアは少し振り向きながら呼びかける。

 二人は再び近くのドアに消えて行った。



  リニア式のドアの開閉音が一人の足音と共に入口から聞こえた。

「おかえりなさいシルク」

「おかえり!」

「おかえりなさい」

 入って着た人影を見るなりその部屋の中に居た者が一斉に声をかけてくる。

「おう、今回のランキング戦は順調みたいだな」

 シルクは部屋の一番奥の席に座りながら言った。

 この部屋にはお多くのモニターが設置されている。部屋の真正面には巨大なミニターがあり、リアルタイムで映像が流されている。そのモニターを正面として前から横に長い机があり六人づつ三列で並んでいる。座っているオペレーターの前にはそれぞれモニターやキーボードなどが置いてある。

「・・・今回もやっぱりアイツの一人勝ちになりそうか?」

 自分の席からメインモニターを操作して次々と映像を切り替えながらシルクが近くのオペレーターに問いかける。

「いえ、それが先程リタイアしました」

「・・・・ウルフがか、誰にだ?」

「はい。先月に入隊したばかりのノーマルです」

「特殊能力を使う奴らを出し抜いて勝ち上がっているのか・・・。後でそいつのデータを俺の端末に転送しといてくれ」

「了解しました」

 オペレーターからの返事を聞くとシルクは一言言って部屋を出た。

 閉まったドアの横の表札には“中央モニター室”と言う文字が記してあった。

 中央モニター室を出たシルクは白く塗られたピカピカの廊下を歩きながら側にいる男に話しかけた。

「さっきの部屋もうすこし部屋の照明の光度を下げたほうがいいよ」

「分かりました。後で調整をしておきます」

 シルクの横の作業服を着た男は端末を手に、忙しく操作しながら返事をする。

「ところで荷物の積み込みはどの程度終わってる?」

 ある程度歩いた後、シルクは思い出したように男人尋ねる。

「はい。食料などはあらかた完了しています。武器・弾薬関係は一四○○時までには終了予定です」

「・・・・あと四時間か。もう少し急がせてくれない?」

「はっ。できる限りの努力は致します」

「すまないな」

「仕事ですので」

 そう言うと作業服の男は足早にシルクのそばから立ち去って行った。いつの間にか出口まで来ていたようだ。

 シルクは男を見送ると出入口から外に出た。外に出て少し歩くと後ろを振り返る。


「・・・戦後80年。日本を守った最強の戦艦が復活か・・・」

 

 全長263メートル、幅38.9メートル、排水量6万9000トンの史上最大の戦艦“大和”。1940年に進水した最強の戦艦は1945年に米軍の猛攻を受け撃沈した。世界最大クラスの46センチ三連砲を三門搭載し、多くの戦歴を残した。同型艦である“武蔵”も1944年に米軍機によって撃沈されている。

 その戦歴をもつ戦艦とほぼ同型艦が今シルクの眼前に静かに出航の時を待っている。

「主砲駆動型三連装超電磁砲の三基を始めとし副兵装を船首マイクロ魚雷など水中戦対応の兵装で固め、対空防御はイージス艦並のミサイルシステムと自動追尾型25ミリリニアガンなどなど・・・・。自分が発案者ながらこの戦艦だけで一国と軽く戦争できるな」

 全長305メートル、幅40.5メートル、排水量7万5000トンであるこの戦艦は戦艦“大和”より一回り大きい。主動力に加圧式核融合型反応炉を採用し、従来のボイラータービン式の駆動系と比べ、馬力が約5倍と大幅に上昇させることができた。

 また核融合による反応エネルギーを使用しているため燃料の補給の心配が無く、半永久的に稼働することが出来る。

「このメサイアが世界の抑止力として働けばいいが・・・・」

 シルクはそうつぶやきながらタラップを降った。



 エデンから約一キロ程離れた無人島。面積的にはエデンよりも少し大きく、ハワイ沖の所々にある浅瀬にその島はある。

「ちっ、こっちで残ってるのは後何人だ?」

 じりじりと蒸し暑い日差しの照らす中、二人の男が腹這いになり林の中に潜伏している。

「・・・・俺も含めて三人」

 リーダーらしき男にそう返事を返すのは若い男だ。

「・・・ちっ・・・」

 M4カービンのアサルトライフルを脇に挟み、泥まみれになった男二人は完全に不利になったこの状況で活路を探していた。その近くでは女二人が荒い息を吐きながら手をライフルにかけている。。

「いくらペイント弾でも当たったら痛い・・・」

 うつぶせの若い男が弾倉を確認しながらそうつぶやいた。高圧のガスで射出されるペイント弾は特殊塗料を固められた薬品でできている。それを専用のライフル銃で高速で主出され、目標にあたることによってその中身を目標に当てる。蛍光色のペイントはすでに周囲に無数に付着していた。

「ああ、そのとおりだ。だが、実弾はその比じゃねえ。一発でも当たったら死んじまう」

「へーい」

 男たちが抱えているアサルトライフルは重量はそのままでガス式発射式ペイント弾の模擬戦仕様となっている。弾自体の飛距離は本物の弾丸と比べて数段落ちるが、近接射撃戦では変わらない性能を持っている。

「・・・・二人とも静かに」

 ずっと男二人の愚痴を来ていた女性が二人を制す。

「敵の足音が聞こえる。距離は・・・・100メートル以内」

「「・・・了解」」

 男二人は声を落とし、女性の指示に従った。


 するとすぐに足音が聞こえてきた。その音に反応するかのようにすぐに銃を構える四人。しかし、引き金を引く前に敵の攻撃が来た。複数の着弾音と付着するペイント弾。その直後の銃声よりも少し乾いた音。

「いてっ」

 若い男が短い悲鳴を上げる。すぐに視線を向けた男は胸のあたりに付着するペイント弾を見た。

「ちっ、どっから・・・」

 男はすぐにその場所から横転して数メートル横にずれた。

その瞬間 

 先程まで男が居た場所に蛍光色の点が二箇所、立て続けに着弾した。

「・・・・そこかっ!」

 着弾を確認した男は更に一回転しながら片手でライフルの引き金を引く。ガスの独特の発射音の直後に帰ってくる衝撃。

「・・・ちっ、外したか。アンナ、距離はわかるか?」

 発射した弾が外れた事を勘で悟りながら後方の女性に尋ねる。

「良くは聞こえない・・・でも外れたのは確かみたい・・」

 アンナと呼ばれた女性は狙撃中のスコープを覗き込みながら短く答えた。

「・・・・そうか」

 男はアンナの言葉を聴き終わらないうちに体勢を戻しながら鋭い視線を向ける。

「・・・こんなゲリラ戦で俺の能力は役に立たねっての」

 男は悪態をつくと膝立ちになり呼吸を整える。そしてライフルを改めて構え直すとアンナに向かって指示を出した。

「アンナ、俺が囮に出る。上手く乱戦に持ち込むからそこを狙撃してくれ」

「・・・・了解。幸運を・・・」

 アンナはそう言うと再び狙撃中のスコープを覗き込む。旧ソビエト連邦製ドラグノフ狙撃銃。7.62mmの銃弾を使用し、セミオートマチック式のライフルだ。本来は木製のスケルトンストックになっている銃床はプラスチックに変えられ、スコープは近距離から遠距離まで対応した最新のモデルとなっている。

 そのドラグノフを構えるアンナ。その姿を視界の端で捉えていた男はアンナに向かって一回頷くと隠れていた木の影から飛び出して行った。

 おそらく敵は前方三〇メートルほどの距離に潜伏しているはず、ならばと男は走りながら脳内で叫ぶ。足場が悪いこの場所では近接戦闘は難しい。軍に所属していた頃でもこのような密林での戦闘は訓練を受けてはいない。しかし、長年の勘と経験に基づき男は行動した。

 残り五メートル。すでに必中距離に入っている。だがいまだに敵からの攻撃がない。その時ふと悪寒に襲われた。その直後、男の体は自然に動いていた。自重に任せ、ひざを折りその場に伏せる。間髪入れずに頭上を複数の弾が通過し、近くの木の幹に着弾した。

「くそっ」

 男は伏せたまま短く悪態をつくとすぐに移動した。

 敵はどこだ?素早く移動しながらも、視線はまっすぐに銃撃してきたポイントに向いている。

 その時前方約一〇メートルで動くものがいた。男は脊髄反射で素早く引き金を引き絞った。数発の発射音の後に悪態と共に敵の姿が視界に入ってきた。

「一人」

 そうつぶやく男。その直後だった。小さな衝撃が背中に走り、己の失態にため息をつく。

 すぐに両手を上げ、振り向いた時にはすでに敵も方にペイント弾を受けていた。

「ナイスだアンナ」

 そう男は短く言った。


 『状況終了!全戦闘は直ちに終了せよ。繰り返す、状況終了!全戦闘は直ちに終了せよ。只今をもって昇格試験を終了する。各隊員は隊長の指示に従い各自で行動せよ』

 小さな無人島のあちこちに設置されたスピーカーから放送が流れる。

『迎えの船は1210に出航する。それまでに全員乗船完了しておくように、以上』

  


「・・・・若っ、若っ!」

日本 首都東京。その一角に立ち巨大な敷地を持つ家がある。敷地面積は東京ドームの約二倍の8万平方メートル。そんな広大な敷地のほぼ中央に立つ家の修練場でスーツを着た男が汗を流す少年に声をかけた。

「・・・・なんだ龍平」

 若と呼ばれた少年は真剣を鞘に納めながら部屋に飛び込んできた男に視線を移す。

「はっ、申し訳ございません。お客様が先ほどお見えになったのですが、若が修練中だったためお引き取りう願ったのですが、そのお客様はお連れ様とご一緒に待つと言われ・・・独断ではございましたが客間にお通しいたしました」

 その場に両膝をつき、俯きながら口早にそう言った龍平は額から汗を流す。

「解った、すぐに行く」

 少年はそう言うと刀を壁に掛けると、部屋を後にした。


「またせたな」

 少年が客間に顔を出したのはその10分後のことだった。先ほどの練習着と違い、白いスーツに袖を通している。

「いや、すまん。取り込み中だったみたいで」

 客間の椅子に深く腰を掛け、出されたお茶を啜っていた客人は入ってきた少年の方を一瞥するとそう言った。

「気にするな。それより、わざわざお前が尋ねてきたわけを聞こう」

 客人の目の前に腰掛けるや否や、すぐに質問を飛ばした。

「気の早いことで」

 少年の真正面に座る若い男は色付きの眼鏡の隙間から少年を覗くとふと笑った。

「性分だ」

 そんなそぶりには目もくれずに少年は短く返す。

「では本題に入りましょう」

 少年の返事を受け取った男は短くそう言うと胸元から一通の手紙を出した。

「単刀直入に言います。我々の陣営について頂きたい、関東総元締め白雄会組長並びに巨大グループ(さき)(がみ)財閥(ざいばつ)会長 (さき)(がみ) (いずる)さん」

 先ほどとは打って変わって真剣な顔になった男は少年をまっすぐ見つめながら言った。

 その視線を真正面から受けた少年は少しの沈黙を作ってから返事を返す。

「・・・その返事は先日返したばかりだが。あの返答では不服、ということかな」

「めっそうもない。ただ、もう一度ご採択を、とのことです。あなた方嵜神財閥の財力と技術力の高さは今や世界一。日ごろから我々もその恩恵は日々実感しております。されど今まで海外はもちろん国内のどの企業、組合、組織とも連携を取らずに過ごされてきた。今まではそれでもグループがこうむる損害は軽微だった。されど現状ではそれは難しくなっております。ですので・・」

「みなまで言わせるな」

 突然少年は男の言葉を途中で切ると立ち上がった。

「我々の意志は先の回答で解ったはずだ。なのになぜ、執拗にも取り付く?そんなに技術がほしいか?いや、違うな・・・」

 部屋をゆっくりと歩きながら語る少年の目には淡い青色の冷たい炎がともっていた。

「お前たち米国政府は我々が怖いのだろう?海外の大企業まで吸収した我ら嵜神財閥は今や一国とさほど変わらぬ財力を保有している。もちろん軍事技術もしかり。だから早いうちに摘み取る、もしくは取り込む。と言ったところか・・・」

 そう話す少年の手にはいつの間にか扇が握られていた。

「・・・それは理解がお早いようでなにより」

「ぬかせ。」

 そう言った瞬間、少年は男の視界から一瞬消えた。そして次の瞬間男の顎の下には開いた扇がふれていた。

「残念だったな。我々はどこの国にもつかん。それは日本政府も例外ではない。ただ、それじゃ気に食わんというなら力ずくで来るがいい。それ相応の対応を見せよう」

 そう言うと少年は男の顎下の扇を閉じ、部屋を出ていった。

「・・・鉄扇。いつでも首をとれた、とそう言う事でしょうか。まあ、なんにせよ交渉は決裂です。これでは面目ないですが、少しは収穫もありました。さて、撤収しますか」

 独り言をつぶやいた男は眼鏡を掛けなおすと出口へと足を向けた。


「さて、帰りますよ」

 大きな門を出た男は待っていた部下の二人に声をかける。

「「はっ」」

 男たちは短く返事をするとすぐに車に乗り込んだ。すべてが黒塗りの外車のナンバープレートには外とマークが入っている。


「どうでした?」

 しばらく道を走ると運転している男が尋ねた。

「交渉決裂です。しかし思わぬ収穫を得ました。この件には本国も本腰を入れて動かなければならないようですがね・・・」

 そういう男は先ほどよりもはっきりと笑みを浮かべていた。



佐紀さき

 自室に戻った貫は短くそう呼ぶ。その声がした瞬間にドアをワンノックして初老が入ってきた。先ほどまでの和室とうって変り、洋室の部屋の中央には貫の座る机が置いてある。

「ご用でしょうか」

 短く言った初老は執事服に身を包み、手には白い手袋をはめている。

「ラボに伝えろ、一時間後に向かう。それと例の連中を待たせておけと」

「左様で」

 それだけ言うと執事の佐紀はすっと部屋から消えた。

「さて、いよいよ始まるか・・・」

 貫は短く呟くと服の内側の首からかけたペンダントに手を当てた。






 

 ☆


「さみっ」

 空中に投げ出されたシルクは両足についたボードを下に姿勢を直した。

「マイナス50℃。素肌だったら死んでるな・・・」

 1万メートルもの上空から急速に落下するシルクは徐々に近づく山頂を確認してせなかのパラシュートを開いた。


「よっと」

 4000メートル級の山の山頂に着地したシルクは背負っていたパラシュートを下ろすと、ボードと足の留め具を確認すると背中に銃を背負った。そして腰には両サイドにそれぞれハンドガンがホルスターに収められている。装備を一通り点検するとシルクはバックパックから複数の丸い棒状の物体を手にするとゴーグルをかける。

「さてと、行きますか」

 シルクは呟くと一気に切り立った山肌を滑り降り始めた。

 角度はほぼ垂直。見渡す限り標高の高い山々にはほとんど雪が白い化粧を施している。

 シルクはそんな山を落ちるような速さで滑り降りる。所々に先ほど手に持っていた丸い物体をゲレンデに突き刺すように落としていく。

 標高が高いせいか斜面が急なせいか山肌に木などは存在せず、ただ見渡す限りの真っ白い絨毯に覆われている。

「そろそろ見えてくるか」

 シルクはそう小さく呟くとホルスターからハンドガンを抜き取る。

 シルクが両手に銃を握ると同時に目の前に軍の基地が見えてきた。

「さて、仕事開始だ・・・」


 シルクは掛けていたゴーグルを外す。

 敵は30人弱。まだこっちに気付いていない。

 視覚・聴覚など五感すべてが加速する感覚がシルクの全身を包む。

 何度やってもこの感覚にはなれない。シルクはそう思う。 

 視覚野が複数の色に分かれ、それぞれの動きを細かく察知して脳へと送る。そして聴覚は360度死角なく周りの音を拾い、すべての方向を立体的に感じ取る。

 シルクにとって視覚は音と同じであり、それより細部にいたるまで感じ取ることができる。

 真っ白な急斜面を下るシルクは雪と一体化し、姿勢を低く落とす。極限にまで空気抵抗を減らし、加速するシルク。



第6章「硫黄島」


日本から南方におよそ1200キロの海域に存在する無人島、硫黄島。1940年代の太平洋戦争の激戦地として知られ、日本アメリカ両軍合わせて約5万人の死傷者を出した。戦後は一般的には墓碑や基地施設などが存在するが、数年前にはとある企業が買収した。これは公にさせていない情報であり、世間では今もなお自衛隊が駐屯していると考えられている。

 旧日本軍基地司令跡地・地下100メートル

「物資搬入急げー!間もなくメサイアが入港するぞー!」

 硫黄島地下に極秘に建造された地下ドック。ほぼ島の中心に位置するこの場所までトンネルがほられ、その入り口は島の周辺に3か所設けられている。

 巨大な空洞の中に作られたドックにはすでに2隻の潜水艦が静かに佇んでいる。

 その二隻の潜水艦を眺める人物が一人、展望エリアにいた。見慣れない制服に身を包み、室内だというのにサングラスを付けている。

「艦長!」

 そんな男に部屋に入ってきた若い男が声をかける。

「メサイア、入港シークエンスに入りました」

「そうか」

 若い男の言葉に短い返事で返すと男はポケットから煙草を取り出し火をつける。

 口にくわえた煙草から大きく息を吸い込み、吐き出す。

「いよいよか」

 そう短く呟いた男の横顔には笑みが浮かんでいた。


「艦長、硫黄島地下ドックに係留完了しました」

 メサイア艦橋ではその声とともに様々な場所からため息のような息が吐かれる。

「ん、ご苦労。・・・全艦に通達、長旅ご苦労だった。乗員はゆっくりと静養を取ること、整備班は補給と整備を頼む。なお各班長は2000に第3会議室にて全体ミーティングを行う、以上」

 艦内放送を終えたラルクは被っていた帽子を艦長席に置くと、ゆっくりと腰を上げた。

「大分デカくなったな」

 正面の大型モニターを見るラルクの目は少し寂しさを醸し出している。

「そりゃね、一年もいなかったならしょうがないっしょ」

 そんなラルクに話しかけてくる人物がいた。着ている制服はラルクたちと同じだが、だらりと着崩している。

「久しぶりだな、クー」

「だからその名で呼ぶなよっ、クーリアだってのっ!」

 ラルクからクーと呼ばれた若い少年は少し怒ったように顔をひきつらせながら言葉を返す。

「おおっ、お前も出世したな。小さかった小僧も今や大尉かあー。いやー、参った参った!」 

 わははと笑いながらラルクはクーリアの背中を叩くと一緒に環境を出る。

「それで、お前は今どこの部隊所属なんだ?」

 廊下を並んで歩きながらラルクが尋ねる。

「今は司令直属の部隊だよ。ところでシルクに会ったって?」

「おお、話が早いな。そうだ、まあ俺たちのメサイアはシルクの持ち物に近いからな。奴とじかに会ったのは1週間前だな、先に硫黄島に戻るって言って横須賀からロールアウトしたばかりのあの潜水艦に乗って行っちまったがな」

 狭い艦内から外に出たラルクの視線が潜水艦の方へと向く。

「え?あいつ帰って来てんの?」

「お前、知らなかったのか?」

 驚きの声を上げるクーリアに呆れたようにラルクが言った。

「たぶん、基地司令のとこに居んだろうが、まあアイツは影みたいなところがあるからな、しょうがない」

 走っていくクーリアの背中にそう言うラルクの顔には笑みが浮かんでいた。

「もし会えたら、俺も後であいさつに行くって言っといてくれ!」

 ドックの端に向かって大声で言ったラルクの声はクーリアに届いていたのか、走りながら右手を挙げた姿を視界でラルクはとらえた。

「けっ、若いもんは元気だねぇー」

 そんな二人の姿をラルクの後ろから眺める老人がいた。

「じーさん!まだ迎えが来ないみたいだなっ」

 老人に築いたラルクは驚いたように老人の方へと近づく。

「はっ、まだまだ死ねんよぅ。お前ら若いもんに世界を任せてはおけんからのぅ」

 油まみれのツナギを着た老人はそれだけ言うと艦内へと姿を消した。

「けっ、ちげぇねぇ」

 にっと笑ったラルクはそう呟くとタラップを降りた。


「さて、各員集まってもらった理由はほかでもない」

 すり鉢状の巨大な会議室に低い男の声が響く。中央の祭壇には顎髭を生やした中年の男がいる。

「いよいよ我々の活動が公となってきたわけだが、今一度参加勢力の確認を行いたいと思う。まずは我々、嵜神財閥の直属近衛兵。参加する中では一番の大所帯となる。次に元自衛隊杉原一佐率いる一個中隊。そしてシルクの直属部隊アヴァロン。この部隊はご存知の通り所属人数は6名と小規模だ。だが我々の行動目的の一つであるネメシスの殲滅を最優先としている部隊だ。なお、彼の個人経営する傭兵部隊も参加している。次にイギリス、ドイツ、スイスのヨーロッパを中心に活動している傭兵部隊サイクル。そのほかにも技術協力をしてくれている国も多い。そんな我らが望むものは一つ、世界の平和だ。なぜ人は争うのか?哲学者ではないがそうたずねよう。なぜ人は争いを続けるのか?そんな問いに答えはない。それを無くすために武器を取った我々もまた悪しき人間なのかもしれない。だが、ここにいる皆の志は共にあると思っている、以上だ」

 そこまで話すと陰宮司令は操作パネルを操作した。その直後背後にある巨大なスクリーンに映像が流れ始める。

「ではこれからの行動について説明を開始する」

 陰宮はそう言うと次の画像へとシフトさせる。

「現在我々の存在は独自に嗅ぎ付けた日本政府アメリカ政府ロシア政府の3ケ国以外はまだ判断保留状態だ。この状態を利用して諜報部員は各地に散らばっているが、そのほか、まあほぼ全戦力がこの硫黄島に集合しているわけだが・・・これを見てもらいたい」

 次の画像に移る。

「これは今から三時間前の映像だ。場所はアメリカ東海岸だ」

 スクリーンには一隻のタンカーが映っている。

「このタンカーがどうかしたんですか?」

 部屋の隅から声が飛ぶ。

「見た目は一般的な石油運搬用のタンカーだが、実はアメリカ海軍の所有物でな。中には一個大隊が乗り込んでいる。もちろん大量の武装とともにな」

 陰宮の説明で部屋の多くの人間が驚きの声を上げる。その中で一人静かな人間がいた。髪は銀色。

「・・・その船をどうにかしろ、と言う事かな?」

 今まで顔を伏せていたシルクが顔をゆっくりと上げながら言った。

「・・・まあ、そう言う事だが」

「なら、ウチが引き受ける」

 そう言うとシルクは席を立ち上がり部屋を出ていった。

「・・・そうか」

 陰宮はそう言うと、無言でシルクの背中を眺めた。


「どうやら、ようやく出番のようだね」

 部屋を出たシルクの背中に声が飛ぶ。

「・・・キルか。久しぶりだな」

「ハワイでよろしくやってたんだけどね。気になって来ちゃったよ」

 そう言った少年は寄りかかっていた壁から背中をはなす。

「地獄耳は相変わらずだな」

 キルの姿をみたシルクはそういう言いながらㇷと笑った。

「全員に召集を掛けるのかい?」

「その予定だが、何人あつまるのか・・心配だな」

「まあ、特にレヴィーだね。あの嬢ちゃん、ここ数年行方不明だし」

「それについては策があるから心配するな」

 そう言ったシルクの顔には少しの笑みが浮かんでいる。

「そう、それなら俺はさっさとリオンを呼びに行くか」

「そっちは頼んだ」

「りょーかいだ」

 そう言うとキルシルクに背中を向け手を振りながら歩いて行った。

 その背中を無言で送ったシルクは無造作にポケットから携帯を取り出した。そして少しの間操作するとまたすぐにポケットにしまった。

 その後シルクは無言で外を眺めていたがやがて姿を消した。


 二時間後シルクは地下ドックにいた。

「艦長、準備は?」

「完了しています。ですが、ほかの方々は?」

「乗るのは俺だけだ。急いで出航する」

「で、向かうのは?」

 そこで歩いていたシルクは少し笑みを浮かべた。

「ハワイ、ホノルルだ」

 そう言ったシルクは頭を下げ艦内に入って行った。


「縮退炉出力上昇。一号機および二号機、限界まで上昇中」

「第一から第四エンジン、エネルギー伝達確認」

「艦内システムオールグリーン。出航準備完了しました」

「じゃ行こうか」

 艦橋の館長席の隣に佇むシルクが言う。

「了解、前進微速」

 艦長はシルクの指示を受け、艦は乾ドックからその巨体を動かした。

「どのくらいかかる?」

 シルクは中央に表示されたメインモニターを見ながら艦長に尋ねる。

「途中任務として補給などがあるので4日ほどで着きます」

「4日か、分かった」

 そう短く返事をするとシルクは自室へと向かっ行った。


現在はここまで

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