復員輸送と怪しい積み荷
いつもの復員業務のはずだった。
連合の士官が船橋に乗り合わせるのは、別に珍しいことでは無い。武装を降ろした我が船に、連合艦船が護衛に付くのも、まあ、無いことでは無かった。
彼らは勝って、我らは負けた。御互いにとって、当然の権利と義務だった。
しかし、乗り合わせた中尉殿が、航路にまで口を出して来たのは珍しいことだった。しかも特命の文書までちら付かせるのだから、穏やかでは無い。偉大なる元帥閣下の署名入りとなれば、なおさらだった。
どうやら中尉殿は最短ルートで帰港したい様子だった。此の宙域は、数え切れないほどある「船の墓場」の一ツだ。
戦闘があれば艦船の残骸が浮かぶ。其れを利用して、同じ場所で再び戦闘が起きる。新たな残骸を作り出す。こうやって「墓場」は幾つも、何処までも、広がっていったのだった。
戦争は終わった。だが中継衛星の再整備は全く追い付いていないし、ゆえにならず者どもの隠れ家には最適だった。
だから普通は、こんな宙域を通らない。其れを圧してまで通らせようと言うのだから、明らかに普通では無かった。
そして当然のように、護衛の駆逐艦が消し飛んで、御決まりの文言が飛び込んで来た。
〈停戦せよ。さもなくば撃沈する〉
脅しでは無さそうだった。復員業務の我が船は兎も角、護衛の駆逐艦は連合軍籍にある。其れに手を上げるリスクを知らぬ賊など居まい。
「艦長、無視しろ」
中尉殿が金切り声を上げる。御仲間のフネが消し飛んだと言うのに薄情なものだ。
「俺は艦長じゃない。今は、ただの船長ですぜ」
駆逐艦は、必要にして十分と呼ばれるに足る能力を有していた。
今はただの復員船で、武装の代わりに寝床を貼り付けている。死ぬ気で外地に遠征させた兵隊どもを、のんびり帰国させるのが仕事だった。
「何でもいい。指示には従ってもr――」
「馬鹿な真似はよした方がいい、中尉殿。さっきの見たでしょう」
腰もとの鉄塊に手を伸ばそうとした中尉殿を制止する。よっぽど大事な御遣いと見える。
「さっきの砲撃は我らが主力巡洋艦のものだ。アンタらの艦船を最も多く喰った単装主砲、御存知でしょうに」
〈物分かりがいいな、艦長〉
巡洋艦から強制的に通信が入る。
髭面の大男を連想させる、野太い声。
「停船には従うが、二ツほど注文がある」
〈良い度胸だ。言ってみろ〉
「一ツ、我が船はただの復員船で、哀れな兵隊しか乗っていない」
〈ほう……?〉
片眉を上げたように、相槌の語尾が上がる。
「二ツ、私を艦長と呼ぶな。ただの復員船の、船長に過ぎない」
〈……其の喋り方、俺の戦友に似ている〉
「私は賊に戦友など居ない」
〈いや、間違い無い。駆逐艦で鼠のような輸送任務に駆り出された仲じゃないか?〉
断言に、断言が返す。賊が続ける。
〈良いか、お前の船の「積み荷」を寄越せ。そうしたら見逃してやる〉
「本当か?」
「艦長!」
応じる素振りに、中尉殿が喰い付いた。
其れを無視して、賊は言う。
〈本当だ。何ならあの人に口を聞いてやってもいい〉
「あの人?」
〈「積み荷」には連合軍の、汚れた金の行き先が記されている。其れを元手にあの人は辱めを雪ぐつもりだ〉
「……なるほど」
どの人かは分からないが大凡の事情は掴めた。
〈俺は、まだ負けていない。俺の艦は沈んじゃいないし、こうして新しい艦だって貰ったんだ。まだ負けてない〉
ふつふつと、静かに煮える声。
通信のノイズ越しに、意志が見える。
「分かった。少し待ってくれ」
〈可笑しな真似は、してくれるなよ〉
「其の主砲の照準能力は、知っているつもりだ」
〈良い返事を期待している〉
そうと言って、一方的に通信は切れた。
◇ ◇ ◇
「さて、如何したものか」
其れらしく腕を組んでみるが、特に案も浮かばない。
「積み荷を渡すことは、絶対にならん」
中尉殿の顔は真っ赤っ赤。
さっきは死んだように青ざめていたのに、忙しいことだ。
「はあ。では、如何しますか」
「何とかしたまえ」
「何ともなりません。あの艦から逃げる方法は、少なくとも私には思い付かない」
ツヴァイ=フィーアインツ級の主砲は対空迎撃も可能な速射砲だ。
モント=ヴァイフ級では全速でも振り切れないし、一撃でも喰らえば轟沈は必至だった。
ちょうど、護衛のダブルゼア級のように。
「金などくれてやれば良いでは無いですか。どうせアンタらは戦勝勢力だ、どんな汚いことをしてたって、裁くのはアンタらでしょうに」
「違う」
床を見詰めて中尉殿が即答する。
「何がです」
「金では無い」
「……まさか」
苦虫を噛み潰したようなとは、此の表情の為にある表現だ。
「ああ」
呻き声が其れを肯定する。
「条約違反の核弾頭、本当に存在していたとは」
「無かったことに、せねばならない」
「やれやれ。俺の船に、とんでもねえものを持ち込んでくれましたな」
組んだ腕を解き、頭の後ろで手を組み直す。
「さりとて、放置も出来なかった」
「そりゃ結構。んで?」
中尉殿の視線は、落ちたままだ。
「積み荷を、渡そう」
「おや、意外と」
口角が釣り上がる。
「物分かりが良いですな、中尉殿」
「漸く――漸く戦争が終わったのだ。此処で死ぬなど、馬鹿らしい」
そう言って、中尉殿は漸く顔を上げた。
泣きそうな顔をしていた。
「初めて意見の一致を見たようで。――あ、」
「何だ」
「そんなら折角です。小遣い帳は兎も角、花火の方は無かったことにしちまいましょうや」
◇ ◇ ◇
「……彼は、戦友では無かったのか」
「言ったでしょう。賊に戦友など居りません」
ディスプレイのなかで消え行く光。
巡洋艦と、積み荷。だったもの。
「駆逐艦での輸送作戦か?」
「……馬鹿な作戦ですよ。アンタらにバカスカ輸送船が沈められるもんだからって、駆逐艦に輸送やらせるなんて」
胸のポケットから煙草を取り出し、一本を咥える。
「あれには、手を焼かされた」
「だとしても、俺らには必死の作戦だった。多くの駆逐艦が動員されて、多くの戦友が沈んで逝った」
咥えた煙草を右手に持ち直して、また咥える。
「生き延びる為に、何だってしました。あらゆることを、だ」
「では、彼は」
「終戦を迎えられたのは、二隻だけだった」
漸く、煙草に火を点ける。
「でも生き遺ったのは、俺の艦だけだったんだな。奴は幽霊船になっちまった」
胸いっぱいに煙を吸って、吐き出した。
此の煙が、弔いになれば良い。
「艦長」
「だから俺を艦長と――」
自然、眉間に皺が寄る。煙草を手にして上げる抗議を、中尉殿が遮った。
「済まなかった。有難う」
何だか面食らってしまう。
煙草を再び咥え直す。
「――よして下さい。俺は死にたくなかっただけの、ただの船長です」
「だとしても、だ。御蔭で私も死なずに済んだし、御遣いも――半分は達成した。殺されることは無いだろう」
「そりゃ結構」
答えて吸い込む煙は、安物だけれど、美味かった。
いつだって、此の為だけに生きて来たんだ。