フネにて記す
3086年13月8日SAT
見渡す限りの草原を、私は走っていた。
何処までも続く草原を、私は走っていた。
空を入道雲が流れ、地面に影が映る。
気持ちの良い風が吹き、私は両手を広げる。
そこで、ふと気がつく。
――私の足は、いつか動いたことがあったろうか
思った瞬間に私の足は動かなくなった。
その場にどうと崩れる私の身体に対して、私は対抗する術を持たなかった。
うつ伏せに倒れ、思わず草を握る。
右手で握った生命は、やがて命を持たない布へと姿を変えた。
私は寝台に仰向けに寝ていた。
先程まで草原を走っていた私は、足の不自由な砂漠の老人であった。
どうやら夢を見て居たようだった。
土の枠の向こう側に太陽が昇るのを見た。
家族のものは皆、日の出前に出かけてしまったようだ。
机の上に、冷めきったスープが置いてあるのが見える。
遮る物の無い窓から入り込んでくる砂が、スープに浮かんでいる事は容易に想像が出来た。
窓の向こう側に、葉に褐色の混ざる木々が転々と見える。
先程見た夢の内容を、今日はしっかりと覚えていた。
夢について、暫し思考することにする。
夢の内容は私が草原を走っているものであったが、実は私は草原を見たことが一度も無かった。
此の動かぬ足で、周りの者に支えられて生きてきた長い期間、私は一度もこの村を出た事が無いのである。
しかし夢の中の私は、私が見るその風景を‘草原'であると判断した。
褐色が混ざる事のない、碧と形容しても否では無いそれらの風景を。
若者の中で、遠い地へ出向いてこの星にはもう多くない‘自然に出来がった'草原を見た者が、私に説明をしてくれたことが原因だろうか。
話を聴いている時に、私は話の中の草原を無意識のうちに想像していたのかも知れない。
それならば、私は夢の中の風景――私が想像で創り上げた風景を'草原’であるのだと思い込んでいるだけなのであろうか。
そしてそれは、実際とは異なるものなのだろうか。
その可能性は大いにあるだろう。いや、その可能性の方が強いと言って良い。一度も見たことが無いのだから、夢の中の草原は脳が想像した事にすぎない。そして、想像は必ずしも一致しない。これは私が生きてきた長い期間で何度か確かめた事だ。
しかし、私が実際の草原と想像の草原を見比べることは恐らく出来ないだろう。
これから先もずっと、今まで同様にこの村を出ることは無いのだから。
では歩く感覚は?
私の足は生来動いたことが無い。腰から下が麻痺しているか何かだろう。地面についた足からは、微弱な振動しか伝わってこない。何しろこの村からは出た事がないから、大きな病院にかかった事は無いのだが、この身体と何十年の長い付き合いだ。これからも動くことは無いだろうということは何も言われなくても解るものだ。
しかし、それならば何故夢の中で、此の足は地面を捉えただろう。
何故此の足は地面を捉え、上へ伸びる草花を踏み締め、前進することができただろう。
そうだ、そもそも草を捉えるその感触を、私は何処で得ただろう。
これも脳による全くの想像なのだろうか。微弱な反応だけを頼りに、無意識の想像によって創られた感覚。
それならば、これも実際の感覚とは異なるのだろう。
全ては想像を元に反映されるのが夢なのであろうか。無意識の願望が反映されるのだとも聞いた事がある。
それならば、私は草原へ行きたいのか。
草原の中で、普段は動く事の無い足をめいっぱい動かして草原を駆け回りたいのか。
そうかもしれない。しかし、この世界で自然の草原を見つけることがいかに大変なのか、私は知っている。
何処か懐かしささえ感じる美しい風景を創りだす色彩、青々と茂る草が裸足の足をくすぐる感触は、夢の中であれ忘れることはないだろう。
遠くで砂塵が舞い、そのうちの少量が窓から迷い込んだ。
家族が皆出払った此の時間、世界は私只一人の様に思えた。
村の端に位置するこの家の、周囲を通る人はほとんどいなかったのだから。
かつて恐ろしいと感じたこの雰囲気は、今では心地よいとさえ感じていた。
太陽は空の頂点へ昇りつつある。この地は一年を通して安定した過ごしやすい気温であるが、太陽が陰ると大幅に気温が下がる。
さて、私も食事にしよう。
老人は、分厚い日記帳に書いた文章を満足げに読み返すと、愛おしそうに胸に抱き、ゆっくりと閉じた。
それから、すっかり砂にまみれたスープを美味しそうに飲んだ。
机に置かれた日記帳の上を、砂を纏った風が走り数枚ページを捲る。
茶色の砂の世界に、白い紙だけが光り輝いていた。
***
病院の集中治療室で、少年は目を覚ました。
交差点で大型トラックにはねられた少年は、奇跡的に一命を取り留めたが、実に七日の間昏睡状態となっていた。
一般病棟へ移された少年は、分厚いノートを机に広げた。
それは日記帳で、日記をつけることは彼の幼いころからの日課となっている。
デジタル化が進み人々が文字を書かなくなった世界で、鉛筆を使って文字を書くことは彼のこだわりだった。
新しいページを開き、徐に文字を書き綴る――
2653年2月5日 THU
夢を見た。夢の中で僕は、砂漠に住む一人のおじいさんだった。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
全文読んでくださった方、非常に読みにくい文章だったと思います。
ストーリーとしては、はじめと終わりさえ読んでいただければ、繋がるようになっています。
中間の夢についての思考は、あくまで老人の思考です。
現在科学で証明されているものとしては、夢の内容は、目で認識した日常の風景を、パズルのように組み合わせてできたものだとされています。(盲目の方は、音声のみの夢をみるらしいですね)
ただ、これは現実には起こり得ない事なのだろう(起こっていても、現在は解明できないだろう)と思いますが、身体が認知した以外に、例えば世に言う「前世」で認知した風景が「夢」として現れる事があるとしたら面白いな、ということで書かせていただきました。
読んでくださって、ありがとうございました。