プロローグ
2252年、7月9日、この日がすべてのはじまりだった。
この日、国会議員の大多数を占めている公民党及び、その党首紙竹内閣総理大臣はかねてから議論されていた、憲法第9条、
「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」
という項目の改正案を、他国の反発、国民及び野党の猛反対を押し切り、臨時会にて強行採決した。最悪の場合、交戦権の行使はやむをえないとし、改正の主要目的である、60年に渡り衝突を繰り返していたイギリスに対し、2253年1月、経済的、軍事的制裁をとるとし、イギリスへの輸出入の制限、イギリスから日本への渡航禁止及び必要最小限度の戦力の行使を認め、イギリスを牽制した。その後イギリスとの情勢はどんどん悪化していき、ついに、2255年5月3日、日本は、イギリス本土にあるシェフィールド軍事基地に、国民の主張を無視し、先制攻撃をしかけた。国連は即座に、二ヶ国間の間に講和会議をもちかけたが、両国ともこれを拒否。
国民は、紙竹内閣総理大臣の解任を求めたが、国会も裁判所もどうにもできない状況であった。
その約一年後、任期により、紙竹内閣は解散し、衆院選挙も自民党の圧勝、公民党からは、ほとんど選出されず、谷島新内閣総理大臣に変わり、戦争は鎮静化するかと思われたが、国民の期待を裏切り、谷島内閣はイギリスに非があるとし、戦争の続投を表明した。日本のやり方に怒りを現した、サルメア、フランス、イタリア他8国は、2256年11月にイギリスに対し軍事的支援することを決めた。同年アメリカも、新安保条約の破棄、経済的支援の打ち切りを決め、日本に支援する国は、事実上いなくなった。国内でも、国民の混乱、怒りが頂点に達し、各地で、暴動が起きた。それでもなお、日本の暴走は止まらなかった。
・・・・今、日本は暗黒の時代に突き進もうとしていた。