第3章 ヘンリックの汚名
ソルデリンに戻ったヘンリックを待っていたのは、アデールの姿を一目見ようと集まった庶民たちだった。
麗しの都にふさわしい姿をしているのは、もはや貴族たちとわずかな兵士長たち、将軍たちだったが、騎士団が街に美しいファザードで飾られた石柱に支えられたベージュ色の門から入ってくる際は、庶民は人一倍熱狂し、貴族たちは精一杯の嫌みを見せつけるためにそっぽを向いた。
「ママ、アデール様はどこ?」
「さあ、どうしたのかしら?」
子連れの母親が少女を胸に抱き、騎兵を見ていた。
よほど隊長の姿を見たかったのか、少女はしょんぼりとした様子で部隊の行列を眺めている。
もし自分がアデールだったらと思うと、彼は少女に何かしてやりたくてたまらなくなり、行軍を止めた。
「止まれ!」
「副長、どうかしましたか?」
部下の言葉も聞かず、彼は立ったまま自分の方を振り返る兵士たちをよそに、先ほどの親子のところまで行ってしゃがみこんだ。
「騎士様。 うちの子が何かやらかしたのですか?」
彼は母親にとんでもないといった様子で首をふった。
「とんでもない。 勇気をもらいました。 ですから、そのお礼です。」
そう、彼はアデールのようにふるまうことのできるきっかけが欲しかった。
いぶかしげに彼の言ったことを理解しようとする母親に向けて彼は笑いかけると、自分の持っていた勲章を少女の首にかけてやった。
「副長、それは副長のっ!」
「もう私のものではない。 いいのだ。 もし隊長ならば、勲章よりも大切なのは、騎士がいかに騎士であり続けるか、と言うだろう。 私はそう学んだ。」
少女はもらっても大丈夫なのかと母の顔を見つめ、その髪をヘンリックはそっと撫でた。
「よかったな、女の子。 これはアデール様からの贈り物だ。 だから、大事にするんだぞ?」
「ほんとに? アデール様が私に?」
そこにさっきまでのくすんだ顔の彼女はいなかった。
「ありがとうございます騎士様!」
深々と頭を下げる母子のもとを離れ、彼は皇帝のいる城へと行軍を開始した。
城に入るやいなや、いきなりばったりと鉢合わせしたかのように、ヤチェノク議会長が怒りっぽい声でヘンリックの前に現れた。
「調査、ごくろうであった。 して、アデールはどうしたのだ?」
「隊長は、…」
どうせいつもの騎士団への説法が始まることは明白だった。
「隊長は、レマの王女に呼ばれて、今しばらくソルデリンには戻られないとのことです。」
「戻らんだと? あいつめ、この私をこけにしおってからに!」
報告を聞いたヤチェノクは鋭い縦皺を深くさせて、適当な言いがかりをつけた。
「とりあえず、陛下にご報告しろ。 例の件はデューラーラントと私とフレンダンで話をつける。 貴様は馬小屋の掃除でもしていろ。」
彼は自分の名が挙がっていないことにむっとして抗議の声を上げた。
「お待ちください。 私は隊長の代理を任されております。 議会に参加する義務があります。」
「貴様じゃ話にならん。 全く信じられんことだ。 アデールの奴め。 こんな若造に騎士団を任せて女とふらふらするとは。」
ヤチェノクはずれかかったローブを整えてヘンリックの方を振り返った。
「どうしてもと言うのなら、陛下のご許可を賜ってからにしろ。」
しかしこれが、貴族派であり、ダルナゴン騎士団を目の敵にしている議会長に重くのしかかった。
「良いではないか。 フレンダン、お主も賛成であろう?」
小太りで少々垂れた目つきの若い皇帝は、ヘンリックの議会への参加を許した。
ヘンリックの隣には、落ち着いた物腰のフレンダン子爵がブロンドウェーブの髪を揺らし、その向かいには血や生まれを重視する老練な正規軍の将軍、デューラーラントが腕組みをして座っている。
そしてその横でヘンリックを煮えたぎる怒りの炎で見つめるヤチェノクは憤りを指の皮をむいて表していた。
「このたび、マレンボワーズ陛下もご察しの通り、野菜の値の高騰はパンデルクス村にあるということでございました。 副隊長、報告せよ。」
苦々しい声に、不愉快な待遇を感じながらも、ヘンリックはこれまでの事を全て打ち明けた。
「…というわけです。」
真っ先に声をあげたのはやはりヤチェノクだった。
「早急にアデールを連れ戻し、レマとともにガヴェールに侵攻せねば。」
だが、それにフレンダンが反論する。
「しかし食糧がなくては戦えません。 事は一刻を争うのです。 もたもたしていたら、兵士だけでなく、民も、いえ、我々も飢えてしまいます! そうなったらイシュムルドはおしまいです。」
「ではどうしろと?」
デューラーラントがヤチェノクの肩を持った。
「貴様は戦争を知らんな? 食糧がないなら、敵から奪うまでのこと。 全ては勝者が決めることだ。 我々はただ勝利すればよい。 そうではないのか?」
「陛下! 陛下!」
ヤチェノクが静まりかえった場を見て、このすきに皇帝に無理に決断させようとマレンボワーズを急がせる。
「陛下はどうお考えで?」
だが、あと一歩のところで邪魔が入り、ヤチェノクはテーブルを軽く手でついた。
「将軍。 根本的な解決にはなっておりません。 たとえ勝利しても、霧が消えなかったら? もしくはカヴェールも霧に困っていたとしたら?」
マレンボワーズはたいそうアデールの騎士団を気に入っていたために、このヘンリックの言葉はなんなく通った。
「そうか。 お前はそう思うか? 私もだぞ。」
この台詞は皇帝のアデールびいきをほうふつとさせ、ヤチェノクは頭が痛むのを感じて進言した。
「では、ガヴェールと同盟してはいかがです? そのほうが戦争せずに霧の原因を突き止められますぞ? 我々は味方をするふりをしていればよいだけのこと。 簡単です。」
「しかし、それではアデールはどうなる?」
ガヴェールと同盟した場合、アデールは泉の国という敵国に取り残されることを意味した。
「陛下! 今は国家の一大事なのですぞ? くたびれた男一人に気を遣っている場合ではございません! イシュムルドと陛下のお命を救うにはそれしか方法がないのです。」
「隊長はくたびれた男などではっ!」
しかし議会長と副長が言い争っている間に、将軍の言葉が決め手となり、皇帝はうんうんとうなずいた。
「お気持ちはご察しします。 気高い君主として、国家をお守りください。 これは陛下ご自身のためにもなりましょう。」
「デューラーラント。 私は決めたぞ。 ただちにガヴェールに同盟するとの使者を送れ。」
「そんな! 陛下、お考え直しを!」
その時だった。
皇帝に懇願するヘンリックのもとに兵士が数人入ってきて、彼を抑えつけたのだ。
「な、何を? 陛下、これはどういうことです? それにフレンダン子爵も!」
「すまんなヘンリック。 こうするしかないのだ。 お前なら必ずアデールを気にかけると分かっていた。」
申し訳なさそうにするマレンボワーズの横でヤチェノクが笑っている。
彼はその時、なぜいつも気の弱い皇帝がヤチェノクの言葉をさえぎって、ヘンリックを議会に召集できたのかがわかった。
皇帝とは言ったものの、実際のところマレンボワーズは優柔不断な性格が災いして、いつもヤチェノクを国策のかじ取りという面で頼りにしていた。
それが今になって議会長の思惑に利用されたのである。
「ヘンリックを牢に入れよ。」
将軍の言葉が重くのしかかった。
「フレンダン子爵! どうしたのですか? 庶民派のあなたらしくもない! 隊長を、庶民の支えの隊長を見殺しにする気ですか!」
フレンダンの方は暗く沈んだ様子でうつむき、彼がどんなに声をかけても黙ったままだった。
「ヤチェノク、貴様。 私はともかく、隊長を裏切ったな! それに陛下まで利用するとは、この恥知らずが!」
「なんとでも言うがいい。 結局のところ、貴様が減らず口をたたくほどアデールはみじめに死ぬ事になる。」
「どういう意味だ?」
「簡単なことだ。 我々に協力しろヘンリック。 明日には貴様は全権限をはく奪された庶民同然だが、まだ死なせるわけにはいかん。 お前の手で隊長を葬り去るのだ。」
「ヘンリック、どうか受け入れてくれ。 頼む。 こんなつまらんことで騎士団を失いたくはない。」
「そうですか。 陛下はこの議会長と騎士団を存続させる代わりに、そんな約束をしたのですね…」
「すまん…」
マレンボワーズの言葉とあっては、さすがに騎士は逆らうことはできず、ヘンリックは悔しそうに唇を噛んだ。
「陛下が、お望みとあらば…」