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第2章 レマ国からの使者


 彼らが村に着いたのはボトゥーロの手によって、それまでピクリともしなかった馬たちが動き出した後だった。


 「着きましたぜ。」


 「なんだこれは。」


 霧がうっとおしいことは議会長からの話で承知していたはずだった。


 それでもアデールとヘンリックは目の前の状況に驚かずにはいられなかった。


 パンデルクスの門に彫られた村名が白いもやで埋め尽くされ、何があるのか理解するのがやっとのうえに、問題の野菜は霧のつくる冷たい大気にさらされて、畑の上で元気なくしおれている。


 「隊長。 ここは野ばらの咲く豊かな田園地帯でした。」


 ヘンリックは過去に何度かパンデルクスの国境警備に行ったことがあったため、この村のことはよく知ったつもりでいた。


 そのため、彼はあまりの変わりように息をのんで、近くにあった野菜を思わず持ち上げようと手を出した。


 ボロリという力のない土の音がして、根っこごときれいに黄色く変色したキャベツが抜けた。


 「見ての通りだ。 最近になって霧が出たきり、空は一度も晴れたことがねえ。 おかげで農夫どもはお手上げってわけなんだ。」


 「ですが、ガヴェールの陰謀でないだけましでしたね。」


 「マシなもんかい!」


 ヘンリックの安堵の声を妨げるように、農民の老いた女性が出てきて持っていたくわを投げ捨てた。


 「帝都のお偉方は私らを見捨てる気なんだね? そうだろう? このうざったいもやのせいで、私ら生活に困ってんだよ!」


 気の強い女性らしい老婆は男たちの前でズバズバと愚痴をこぼしたが、それは悔しさとやりきれない思いの表れだったらしく、次の瞬間には弱々しくアデールにすがりついた。


 「あんた曲刀のアデールだろう? どうにかなんないもんかね。 くせの悪い貴族どもはあんたを嫌っているそうじゃないか。 わたしにとっちゃあんた様だけが頼りなんだよ。」


 女性はそのままアデールの手を握って地面に座り込んでしまった。


 「ティエマ、よさねえか。 騎士様の仕事は、俺らを敵から守ることだ。」


 「へなちょこ斧使いのあんたと一緒にすんじゃないよ!」


 彼女は枯れてふにゃふにゃになった雑草をむしり取ってボトゥーロに投げつけた。


 「おわっ、何すんだ。」


 「うるさいねっ! あんたもどうすればいいか考えな! それはそうとアデール様、私どもはこれからどうすれば…」


 泣きじゃくるティエマにアデールが途方に暮れていると、急にボトゥーロが大きな声を出した。


 「そうだった! 確か霧は東の方から流れてきたぜ。 何かガヴェールの陰謀ってのと関係ありそうじゃねえか?」


 騎士団の二人は顔を見合わせた。


 もし誰かが魔法を使って霧を発生させているとしたら、それはゆゆしき事態だった。


 この大陸で魔法を使える者は一部の賢者に限られていて、たいていの者は王族に仕えるのが一般的だったが、ごくまれにはぐれ者も存在する。


 たとえはぐれ者でなくとも、ガヴェールの臣下に天候をこれほどまでに容易に操ることができる者は聞いたことがなかった。


 おそらく相手は相当な魔術の使い手であることは間違いない。


 「決まりですね。 陛下にご報告ですか?」


 「ああ、だが、村人も一緒にだ。 ここは危険すぎる。」


 「ですが…」


 「それにさっきから、見られている気がするんだ。 何かに、おそらく…」


 アデールがそう言いかけたところで、村の奥の方で叫び声がした。


 「きたぞ。 手分けしてただちに村人を安全なところへ! ヘンリックは別の部隊を率いて反対側に回れ!」


 騎士たちは急いで馬に飛び乗った。






 盗賊が出たぞ、という見張り役の声が逃げまどう民たちの恐怖を後押しし、盗賊たちのうなり声は力強さを増した。


 汚らしい息を切らし、黄色い歯をちらつかせながら、何十もの集団がパンデルクスの小高い丘を上って来ていた。


 「盗賊だ! みんな逃げろ!」


 見張り役の男が叫びながらも、たまたま丘にいた村人が敵に一番に斬られ、粗末なぼろ布を血で染めてゆく。


 「ぐあああっ!」


 見張り役も敵からの矢に射られ、台から落ちたところを抑えつけられ、首を短刀で斬られた。


 状況を知らせる役を失った村はさらに混乱し、若い女性の悲鳴で湧きかえった。


 盗賊たちはやがて村の食物や金銀を物色し始めた。


 干してあった鶏肉の燻製くんせいや納屋に掛けてある女ものの服、それに帝国の通貨や財宝の数々を平然と探し回って家の中を荒らしてゆく。


 ようやく騎士たちが現場についたときには、賊たちが村の娘に乱暴をしようと目を光らせているところだった。


 「いたぞ! ダルナゴン騎士団の誇りにかけ、一人も生かして帰すな!」


 アデールはパニックに陥った村人に負けないくらいの声で後続の者たちに告げる。


 「やめてっ!」


 一人の賊が娘を襲っている。


 だが、女につかみかかろうとする寸前のところでそれは阻止された。


 「せあああああっ!」


 賊は女に夢中で、アデールの剣に斬られるまで彼の存在に気づかなかった。


 彼は馬に乗った騎士隊長のシャムシールに首をいびつな形で斬りおとされた。


 「アアアアアアーツ!」


 女の叫びは賊に襲われたことから、死体を見たことへの恐怖に変わった。


 その女を避けるように、周りをソルデリンの騎兵たちがなだれ込んでくる。


 状況は一変した。


 それまでされるがままだった村に騎士が入り込み、盗賊たちを逆に狩り始めたのだ。


 「隊長! ご無事で?」


 どうやら盗賊たちは一か所にまとまって村を襲撃していたらしく、ヘンリックがアデールの部隊と合流するために戻ってきた。


 「ヘンリック、来い!」


 彼は副隊長に近づくと、彼の部隊に呼びかけた。


 「ヘンリック、何よりお前たちがいてくれれば、必ず勝てる。 我々で一気にたたみかける。 行くぞ!」






 「ううっ! 助けてくれ! あアッ!」


 あれだけ威勢のよかった盗賊たちだったが、ソルデリンの騎士団に斬りきざまれ、どうにか息をしていた者も、根っこを抜かれるようにあえいで、次の瞬間には全く動かなくなった。


 「こいつらの目的はなんだ?」


 「分かりません。 おそらく、食べ物を盗みに来た普通の盗賊のようですが…」


 ヘンリックは死んだばかりの盗賊を足で裏返しながら、彼らの生活の染みついた臭いに鼻をつまんだ。


 「霧のせいで、おかしくなったのかも。」


 霧と言われて、ふとアデールは反射的に顔を上げた。


 もし彼らの襲撃が霧に関係していたら、と彼は遠くを見渡した。


 「どうかしましたか、隊長。」


 「この霧、お前はどこまで続いていると思う?」


 「さあ? しかし、それが盗賊と何のかかわりがあるんですか?」


 白く、深く、どこまでも途切れることのない雲のようにそれは東へと続いていた。


 「彼らは単に食糧に困っていたからだとお前は言った。 だが、食糧がなくなった理由が霧のせいだとしたら?」


 大変だと、ヘンリックは口を大きく開けた。


 「盗賊たちの動きは活発になります。」


 「ああ、そうだ。 霧のせいで日照り不足が続けば、食べ物が高く、手に入りにくくなる。」


 「そして、人々が生き残るために争い、世界が崩壊する。」


 突然、二人の前に旅人のマントを身に付けた老人が姿を現した。


 「誰だ?」


 アデールは剣を抜きかけたが、老人が両手を広げたせいで、剣は何かの力で宙を舞い、すぐに土に刺さった。


 「貴様、何者だ!」


 ヘンリックの声に、周りにいた騎士たちも集まってきて老人を取り囲む。


 「我々はソルデリンのダルナゴン騎士だ! 名を名乗れ!」


 「騎士とは庶民の敵にあらず、かつ謙遜忠実であれ。」


 老人の言葉はヘンリックの行為の矛盾を暴き、彼は悔しくなったのだろう、その褐色の染みのある首筋に剣を突き付けた。


 「じじい。 お前は善良なイシュムルドの民であるか? 答えろ! この霧はお前の仕業ではないのか! どうなんだ?」


 「その辺にしておけ。 霧の犯人がわざわざ我々の前に現れないだろう。 それにその指輪、おそらくレマ国の使者だ。」


 「レマ、ですか?」


 ヘンリックは老人のしている指輪の表面に、若い女神が紅い月桂樹の葉を握っているのを見た。


 イシュムルドとガヴェールの北にあるレマの王国、通称、泉の国と呼ばれる王家の紋章だった。


 「さすがはアデール様、よくお分かりに。 私はレマ国の使者、ベンヤミンにございます。」


 細長い頭に、白いひげ。


 そのボリュームは口元全てを隠すほどで、どこを開いてしゃべっているのか分からず、その顔で見られたヘンリックは決まりが悪そうに咳払いをしながら名を名乗った。


 「副長のヘンリックだ。」


 「しかしどうしたのだ? 使者ともあろうお方が、護衛一人つけず、ましてやこの霧のなかそんな粗末な格好でよくぞここまで。」


 老人はゆっくりとした調子で笑い、ふところから四角い小さな箱のようなものを取り出した。


 「これのおかげです。 コンパスと言いまして、方角がわかるのです。 泉の国はどこへ行っても年中が霧、霧、キリですからな。 向こうでは必需品で、皆持っています。」


 アデールは四角いケースの中におさまっている一本の金の針を見つめているうちに、なにやらめまいがしてきて何度もまばたきした。


 確かにレマでは多くの土地が霧によって阻まれている。


 今回の霧の件に関しても老人は無頓着むとんちゃくに違いないが、目は真剣だった。


 「そ、そうか。 それで、ここへはなぜ?」


 「アデール様、私は霧には慣れておりますが、あれに不慣れな部外者がレマに侵入してきております。


 「…。」


 今一つ、ぱっとしない表情の彼に、ヘンリックが助言した。


 「隊長、ガヴェールですよ。」


 「まさか。 しかしなぜ我々の国ではなく、レマに?」


 「それは分かりませぬ、が、お嬢様はぜひあなたの力を借りたいとおっしゃいまして。」


 お嬢様と言われて彼の思い当たる節は一人しかいなかった。


 レマ国王女であり、病弱な父王に代わり、じきに王位を継承すると思われる最も有力な女性、リッテンブリーニだった。


 「つまり、我々が姫の護衛を? 名誉なことじゃないですか隊長!」


 ヘンリックは勝手に舞いあがっているが、アデールの顔はさえなかった。


 「逆らうことはできませんぞ? お嬢様は今すぐに来て欲しいとおっしゃっています。」


 ベンヤミンの異様に強調された、今すぐに、の部分を聞いたアデールは深いため息をついた。


 「これで分かっただろうヘンリック。 いかに我々がエライ目に遭うか。」


 一国の王女に、たかが騎士団長が口答え出来るはずもなく、彼はこうした王女の気ままな振る舞いに振りまわされてきた。


 「来ていただけますな?」


 「ええ。 だがヘンリックはソルデリンに戻れ。」


 「は? なぜ?」


 行く気満々だった彼は何かをねだる子供のように困惑した。


 「陛下にご報告しろ。 お前が行かなければ、私もそろって騎士団は暴走行為を指摘されて反逆罪だ。 ただでさえ我々は貴族に嫌われているのだ。 うかつな行動は帰って命取りだ。 いいな。」


 「わ、分かりました。 しかしお一人で大丈夫ですか?」


 「ん?」


 二人が揃えばまず負けることのないダルナゴン騎士団だった。


 それを知った上でアデールは副長に笑いかけた。


 「しっかりやれよ。」


 「ちょっと待てって。」


 二人のやりとりに、ふと聞き覚えのある声が割って入ってきた。


 土まみれになったボトゥーロが沈んだ顔で近づいてきた。


 「今までどこにいたんだ?」


 「そんなことはどうだっていい! それよりも隊長さん、俺もあんたについてくぜ!」


 彼の目は赤く、疲れ切ったしわが戻ることなく、その心の内にあるひどい状態を物語っていた。


 「ティエマが、死んじまった。 あいつの言った通り、俺はダメな木こりさ。 チンピラから守ってもやれなかったダメな野郎だ。」


 彼はうなりながら斧で土を割った。


 「もし俺が騎士だったら、ティエマを、あいつを守ってやれたのによ、ちくしょうっ! だから、俺は騎士になる。 あいつのために。」


 「死んでも知らんぞ? 騎士とは、潔い戦士だ。」


 「ああ、構わんさ。 その程度で死ぬほど俺はの心はくたばっちゃいねえ。」


 ボトゥーロは本気の目をしていたから、アデールもためらうことなく彼に厳しい言葉をかけた。


 だがあまりの彼の決意の大きさに、逆に隊長は安心した。


 「ベンヤミン、この男もついてくるが、よろしいか?」


 「そちらの方は?」


 「ボトゥーロだ。 たった今、この村の木こりから騎士になった。」


 一人より、二人。


 なるほど、といった具合に老人はうなずき、彼の体をしばしば見つめた。


 「よろしいでしょう。 力のありそうな方ですし、いっそお嬢様の身辺警護をされては?」


 「よかったな。 お前には、まだ守れる者がいるようだ。」


 アデールは彼をはげましながらも、霧の色が若干、明るくなったのを感じた。


 「太陽だ。 霧は晴れないが、たまにこうやって明るくなるんだ。 北はどうだか知らねえがな。」


 「我々は太陽の神が創造したと言われるほど、長い歴史を持つ騎士団だ。 きっと神は青き幸福の慈悲を下さるだろう。 何をしてるヘンリック、早く行け。 それとも霧におくしたか?」


 「まさか…」


 彼は笑いながら号令を出し、本当は霧のせいで自分たちが来た方角が分からなかったことを悟られないうちに、部隊を連れて引き上げていった。

 

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