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第1章 ダルナゴンの騎士たち


 帝都ソルデリンのじめじめとした雨季は街の貧困区の遺児たちの小さな体を濡らし、石造りの地面はゴミ溜めのような異臭を放っていた。


 いくら文明の開けた土地とはいえ、ダルナゴン騎士たちにとっては戻ってくる場以外の何でもなかった。


 それに比べたら、街の東北部を流れるスヴェイン川の清流とその空気は、帝都を砂漠に例えるならオアシスだった。


 旅人の誰もがソルデリンを訪れると、決まってそういうことを口にするのは、もはや彼の都の荒廃した現状を考えれば当然だった。


 そんな中、スヴェイン川の中流を一人の男が馬にまたがり、かぶと隙間すきまからのぞく金髪をなびかせ、少々早足で渡っていた。


 白い馬の毛並みを優しく撫で、しかしどこか沈んだ顔つきで、雄々しい水しぶきを上げる岩肌の近くを眺める男は、人間の衰えの始まりを告げる中年の一歩手前のかすかな頬皺ほおじわをくすり指でそっとなぞり、分厚いマントの先端をなびかせて、自分の着ているやや黒ずみった銀色の鎧の立てる音にせせらぎの轟音が混じってゆくのを静かに聞いていた。


 男の後ろにも馬に乗った騎士たちが縦長の列を作って川に入ってきていた。


 八方向にとがった青い太陽の紋章のある布をマント変わりに羽織り、そのわずかな隙間すきまからは薄手の鎖かたびらがじゃらじゃらと耳触りな音を立てていた。


 先頭を行く騎士もそうだが、彼がリーダーだとわかる何よりの証拠は、彼が名の知れたすご腕の剣士であることと、その彼が武へのこだわりからつくらせた特殊なシャムシールという曲刀を持っていることだった。


 はるか西南の地でつくられるという珍品に、彼を昇格させる代わりに王がそれと交換するように命令したこともあった。


 しかし、彼は断った。


 ― 「人という、殺生を嫌う武器なのです、陛下。」 ―


 それが長年培ってきた騎士としての言葉だった。


 ソルデリンで支給される剣は両刃剣が一般的だが、シャムシールはそりがついてるために、性能としては片刃が限界だった。


 彼は自らの方向にも斬ることのできる刃は殺しのためにつくられたものだといつも言っていた。


 いかにうまく相手を殺すか。


 そんなものは持ちたくないし、彼自身はたとえ敵中であろうともシャムシールを手放すことはなかった。


 彼の名をアデールと言った。


 ダルナゴン騎士団の隊長であり、シャムシールで両刃剣の相手をあっさりと打ち負かすほどの剣の達人である。


 そのためか、敵や庶民からは曲刀のアデールと恐れられ、畏敬いけいされてはいたが、貴族からは臆病者の片刃使いとののしられていた。






 ダルナゴン騎士団の隊長はスヴェイン川がここ最近の豪雨のせいで増水し、馬の腹が浸かるほどの深さだと知って一時足を止めた。


 「深いぞ。 注意しろ!」


 部下たちが隊長の声に耳を貸し、シャムシールを空に突き刺して合図するアデールの後に続く。


 騎士隊は次々と馬ごと水につかっていき、水浴びに来た動物や産卵期の青魚が体をうねらせて水面をたたく様子は、今ここにいる人間らと何ら変わりない光景だった。


 「よし、隊長に続け!」


 百を超える馬と人間の組み合わせの中で、水しぶきに負けないほどの声を張り上げる男がいた。


 アデールほど年老いてはいなかったが、若い故にまだ声のすわっていない男で、名をヘンリックと言った。


 ひしゃげた鼻が目立つ、少し控えめな性格の、黒い髪の男だった。


 アデールはこの男を副隊長として信頼していたし、実際に戦の武でアデールが勝っていても、戦術家としてはヘンリックのほうが上手だった。


 「隊長。 ここを抜ければエディンの森に入ります。 村人に不審に思われぬよう、馬から下りますか?」


 ヘンリックのいうエディンの森には村があった。


 パンデルクスという小さな村だが、東に数キロ歩くと隣国に通ずる国境があり、村は常に外敵の脅威にさらされてきた。


 そのため村人たちは警戒心が強く、旅人や善良なイシュムルド人ならば、馬を下りて門をくぐるはずだと思っていた。


 「我々は騎士だぞヘンリック。 堂々と凱旋しろ。 今のお前に足りないのは頭じゃない。 ここだ。」


 アデールはヘンリックにむかって自分の胸に二・三回手を当てた。


 いくら戦の才があっても、勇敢でなくては隊長は務まらず、アデールがヘンリックを押しのけて隊長を続けていられる理由も、彼の風格によるところが大きかった。


 「了解です。 はあっ。」


 ヘンリックの馬の手綱が引かれ、川を渡り終えた彼のマントがふわりと風で膨らんだ。






 スヴェイン川の水で濡れたマントの先端はずいぶんと前に乾き、それから小一時間ほど行軍した騎兵たちは、エディンの森の中で、かすかな鳥のさえずりを聞いていた。


 薄明るい緑色の葉をぶら下げる大樹の小枝にかぶとを引っ掛けそうになった者もいた。


 村人たちは来客をあまり歓迎したがらないが、この森の侵入者を阻むようなあぜ道は、馬たちをも困惑させた。


 「馬が疲れています。 休みますか?」


 「ヘンリック。 我々がここにいる理由はなんだ?」


 アデール率いるダルナゴン騎士団が招集を受けたのは、最近は平民どもが野菜を買えないのは貴族のせいだと言ってよろしくない、といった国からの要請だった。


 だが、帝都での野菜作りは順調で、貴族たちの食べる分はあったのだ。


 問題は平民の方にあった。


 平民の食べる分の野菜は、外地から運ばれてくるものが大半を占めていた。


 しかし、今回はその量が目に見えて少ないのである。


 議会は早速、各地の村の出荷量を調べ上げた。


 そしてある村、パンデルクスの納品が全くないことに気づいたのだ。


 パンデルクスが隣国のガヴェール王国から近いだけに、議会長のヤチェノクは、これをガヴェールの陰謀として処理しようとしていた。


 そこに待ったがかけられたのはすぐのことだ。


 陰謀は放ってはおけないが、国の食庫が危機にさらされていれば、当然ながら戦争などで陰謀を断ち切ることなどはできなかった。


 そこでいつもの騎士団頼りが高官たちの間で湧き上がったのである。


 「我々の任務は、本当に陰謀が行われているかどうかを確かめ、同時に、平民たちの分の野菜がなくなった原因を村人から聞き出すことだ。 我々と違って、彼らは命をかけることには慣れていない。 我々が命を賭すのに、休息などしていられると思うか?」


 ごもっともな話だとヘンリックはため息をつきながらも、馬の腹を蹴って前進する。


 きっともうすぐだと考えたほうが楽なのだが、それまで進んでいた彼の馬が、突然動かなくなったのだ。


 「隊長、ダメです。 馬が言うことを聞きません。」


 「私の馬もだ。」


 アデールは自分の馬から降りてきて、ヘンリックのところまでわざわざ行かなければならなかった。


 何かが起きようとしていることだけは分かる。


 「全員、馬から下りろ。」


 森のあちこちで、騎兵が馬を引く歩兵になった。


 森のざわめきは、それまでと同様に、時折吹く風が心地よい。


 しかし、なおも馬たちは動こうとしないのだ。


 「仕方ない。 馬は置いて行く。 持っていくものは最小限にとどめるんだ。」


 騎士たちにとって馬は命であることは言うまでもない。


 剣術に長けた者たちだったが、それでも彼らの不安はぬぐいきれない様子だった。


 「どうしたお前たち。 馬から下りても我々は偉大な戦士だ。 最期まで立派に務めを果たすことが騎士の忠誠と誇りだろう。」


 彼らはついてきた。


 「ご一緒します、隊長!」


 「自分も!」


 「お供させてください!」


 アデールの鼓舞こぶは完璧だった。


 心の内に秘めた炎は幾多の戦を勝ち抜いてきたごとく自信に満ち、何より彼の存在が騎士たちのあこがれそのものだったからだ。


 「やはり、あなたにはかないません。」


 ヘンリックがアデールに向かって笑いかけた時だった。


 彼らの目の前に雲のような分厚い霧がゆっくりとなだれ込んできた。


 さっきまでは木漏れ日が木々の間からのぞいていたのだが、いつの間にか陰険な空気のみがそこにあった。


 このあたりではたまに霧が出るという報告を、彼はパンデルクスに向けて出発する前に議会長から聞いていた。


 「よし、全員一か所にできるだけかたまって進むんだ!」


 だが、号令をかけた瞬間、彼は前方に人影が迫ってくるのを見た。


 誰かは分からないが、がっしりとしたシルエットがこちらへ近づいてくる。


 男だろうことは分かった。


 その男が大きな斧のようなものを持っていることも。


 すでに村はガヴェールの手に落ち、ひょっとしたら、この男はソルデリンに向けて進撃するための先鋒か、偵察兵…


 アデールは想像を膨らませて、大きく口を開いた。


 「敵襲だーっ! 剣構えーっ!」


 すかさずヘンリックが他に仲間がいないか見渡す。


 彼らは刃先を前方に向け、霧の中、静寂を守る男を凝視する。


 全員の呼吸は早くなっていた。


 汗がにじみ、兵士たちは剣のつかを握りなおす。


 「そこで止まれ!」


 「おわあ!」


 出てきたのはただの木こりだった。


 男はいつもの獲物の代わりに軍隊に出くわし、逆に出し抜かれて飛び上がった。


 「誰だ貴様! ガヴェールのスパイか?」


 「なんだって? 確かに獲物のスパイにゃ違いねえが、やつをしとめるためには霧にでも紛れるのが一番ってもんだ。 あんただってそうするだろう? お偉い兵士さん?」


 周りで一斉にため息が漏れる。


 あごからだらしなく伸びる丸まった茶髭ちゃひげを人差し指できながら、彼は再び歩き始めようとする。


 「待て。」


 「まだ何か?」


 男は何かにひらめいたように手を合わせた。


 「ああ、なるほど霧か。 あんたらも運が悪いな。 とにかく今はこの霧が消えてくれるのを祈るしかねえ。」


 「そんな暇はない。 我々は急いでいるんだ。 それと、隊長への口のききかたには気をつけろ。」


 ヘンリックはこの木こりのマイペースにいら立ちを覚え始めていた。


 その怒りをアデールが解きほぐす。


 「すまないな。 我々はソルデリンのダルナゴン騎士団だ。 この近くにあるパンデルクスという村を探しているのだが、もしかしてその村の住人なのか?」


 「ああ、そうとも。 パンデルクスの番人とはこのボトゥーロのことよ。」


 ボトゥーロは得意げに斧を構えた。


 「ところで、あんたあの曲刀のアデールか? だとしたら一大事だ。 ぜひとも騎士様に知って欲しいんだ。 今俺らの村で何が起こっているのかを。」


 「何かあったのか? まさか食料についてか?」


 「こりゃ話が早い。 まあ、詳しいことはついてからにしますかね。 それと、馬が動かないなら、手伝うぜ?」






 

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