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第14章 二つの魔境

 この地のどこかに、ルーロウという高僧の園が存在する。


だが、今までに一体何人もの命がこの山で、そう、オリアーデの谷で尽きたかはわかっていない。


「待ってアデール! 私も行くわ。」


アデール、ベンヤミン、ボトゥーロの三人が城の北門を出ようとしているところで、彼は少しばかり声をあらげたリッテに呼び止められた。


「お嬢様、今から彼らが行こうとしているところが、よもやどのような魔境かお忘れではありますまい。」


ベンヤミンは王ならそう言うだろうと判断し、彼女をこの危険な山に同行させるのは不可能だと考えた。


男たちですら死者を出すほどの荒れた天気と、不明瞭な視界、そして潜む害毒たち。


「どんな困難が待っていようと、私は行くと決めたの。 本当よ。 いつもの冗談で言っているんじゃないわ。」


だが、自分の責任もつきまとう老人はそう簡単にはと、何度も彼女を説得しようとする。


何よりも彼女の身を案ずる。


それが彼の仕事だったが、王の意見は違った。


「止めるな。 行かせてやるのだ。」


「し、しかし陛下! お嬢様は王位を継承なさるお方ではありませねか。」


「その通りです、陛下。 私も無理に彼女に勧めているわけではありません。」


アデールも王に考え直すように言ったが、臣下に体を支えられながら、彼は思わね真意を明らかにした。


「世の体は、そう長くはあるまい。 しかもそなたは女。 もし王位を継承したとしても、なめてかかる者たちは大勢いるだろう。」


「本当にそうですかね。」


ボトゥーロが肩をすくめて冗談混じりに言ったが、横にいたアデールに頭をつつかれた。


「わがレマとお前を案じてのこと。 山を制し、見事家臣の信用を勝ち取ってみせるのだ。 さすれば部下もついてこよう。 王位を継承するのに、男女は関係ない。 たとえそなたが女であろうとも、王位を狙う者たちは容赦はせぬ。」


不満を暗示するかのように、はるかかなたの山の中腹で、稲光いなびかりがし、そこに立っている全員の頬を、降り始めの雨が濡らした。


「おとう、いえ、陛下。 では、行ってもよろしいのですね?」


「うむ。 アデールよ、そなたにはかたじけないが、リッテを手助けしてやってくれまいか。」


アデールはかしこまり、地面に膝をついた。


「陛下、光栄です。 全力でお嬢様をお守り致します。」


「陛下がそうおっしゃるのであれば、このベンヤミンもお止めいたしません。」


老人は残念そうな顔で頭を下げた。






 ―「あの山は危険だ。 これを持ってゆくがよい。 何かの役に立てばよいのだが。」―


 穏やかな勾配の草原を登り、リッテはてのひらにテオドールから授かったペンダントを握り締めた。


 「ところで、さっきから気になっちゃいたが、この山のどんなところが危険なんですかい?」


 新人兵がこの山に入ってから顔をしかめながら前を歩くベンヤミンにたずねた。


 彼の顔は明らかに濁っていて、その様子に気づいたアデールも大丈夫かと声をかける。


 「どうした? 気分でも?」


 「いや、しばし心配事をしていた。 この山の最初の難所のことじゃ。」


 「最初の難所?」


 質問した二人が辺りを見回すと、彼はとある前方を指差した。


 周囲には、草原に見事な花の咲く美しい風景が広がっていたのだが、彼の指はあきらかにその赤い花を指していた。


 「あのきれいな花が、どうかしたの? 摘んできてもいいかしら?」


 しかしベンヤミンはリッテの体を主従の関係も忘れたかのように強く引っ張った。


 

「いけませんお嬢様! あれこそ害毒です!」


「害毒って? あの花がか?」


ボトゥーロも目を丸くしている。


「左様。 あの花には受粉行為の際、敵から身を守るために備えてある表面の毒をとばすという特徴があるのだ。 むやみに近づいてはならん。 万が一触れたら皮膚が劣化して二度と元には戻るまい。」


「あ、ありがとう。」


リッテは服のすそを直しながら、老人にそう言って安心のため息をついた。


「へえ、魔術師ってのは自然の知識が深いんだな。」


「陛下のお命をお守りするのが、我ら賢者の役目。 にわか仕込みの知識で守れるほど陛下のお命は軽くあるまい。 新人兵よ、お主も少しは手本にすることじゃ。」


だが和やかな雰囲気は突如として降りだした霧雨によって崩れ去った。


「雨だと? また鎧の手入れをしなくてはな。」


「だがアデールよ。 我らはどうやら急がなくてはならぬようだ。」


騎士団長は彼の言動に首をかしげたが、すぐにその意味を最も悪い形で理解した。


「走るのじゃ! 皆走れ!」


「ちょっと、ベンヤミン?」


「なんだなんだ? 花のつぼみが開いていきやがるぜ?」


そう、それは簡単なことだった。


この花が開くのは雨を感知した場合に限られる。


逃げ遅れた場合、あとに残るのは無残にも溶けた骨の塊のみ。


野原は何事もなかったかのようにそよ風を味方にし、草原と戯れる。


 「そういうことか!」


 紫色の不気味な気体が、彼らを飲み込まんと迫ってくる。


 「どっかに隠れねえとやべえな。」


 ボトゥーロは必死になって小屋のようなものがないか探すか、どこを見ても草原ばかりで、あたりは紫一色に染まってゆく。


 おそらく今来た道もどうに遮断されていることだろう。


 「仕方ない。 あの森に逃げ込むのじゃ! 毒の広がる速度が森ならば軽減される!」


 ベンヤミンは山の上に見える急勾配の森林地帯を指差した。


 不気味に広がる深緑の影の群れ。


 彼らは意を決して森へなだれ込もうとするが…


 「あっ!」


 「リッテお嬢様!」


 「ベンヤミン! 毒が迫ってくるぞ!」


 とアデールが呼びかける。


 だが王位を継承する者を置いてはいけない。


 仕方なく、彼は持っていた杖を振りかざした。


 それは聖なる光。


 ほとばしるまぶしさが、その対象に救いを与えるがごとく降り注ぐ。


 ―「アスクトゥム…マジェーラハ・アム・ラーデ!」―


 深くすわった声が草原一帯に響き渡り、リッテの周りを半透明の白い結界が包み込む。


 「効果は長くは続きません。 お嬢様、お急ぎを!」


 「分かったわ。」


 リッテは素早く立ち上がり、多少毒に追いつかれながらも、何とか差を広げ、森の中にたどり着いた。






 「これはこれは、新たなる陛下殿。 なにやら深く考えておいでですが?」


 ソルデリンの議会場にいたヤチェノクに向かって、リュンツ将軍が冗談交じりに言った。


 「ははは。 よさぬか。 だが、マレンボワーズは役に立たぬ。 わし自らが国を動かさねば。 ところで、どう思う?」


 「何がです?」


 老人は議会長のいすに深く座りなおした。


 「この間の騒動により、民衆の不満は増大するだろう。 わしが国家の全権限を掌握した旨を、奴らに伝えるべきか、あるいは皇帝が病気になったゆえに、わしが国を任されたと偽るべきか?」


 リュンツは笑って答えた。


 「いずれは議会長が皇帝という権力の亡霊を取りはらわねば、厄介なことになりかねないでしょう。 しばらく税の免除を執り行い、様子を見るのです。 やつらは議会長が害のある人物と思っている。 それを払拭したところで、あらためて、新たなる政権の幕開けを演出する。 すばらしいではありませんか。」


 「だがしかし、食糧もだいぶ危うい状態になりつつある。 税よりも、やつらにはパンをやったほうがよいのでは?」


 おおげさな身振りで今後の方針を提案するリュンツに、彼は心配そうに首をかしげる。


 「いいえ、民衆はパンではなく、安定した平和を求めております。 演説をおこなえば、ほとんどの者たちは国が平和になりつつあることを実感し、安心します。 ソルデリンはまだ大丈夫だ。 屈しはしないとの意向を、議会長自ら庶民に示すのです。」


 挙国一致。


 これさえ実行してしまえば、権力の上下はあっても自然と仲間意識が形成され、誰も刃向かうものはいなくなるだろう。


 「なるほど、犬どもは単純で、これにはよく言うことを聞く。 ははは、そうだな。 では、偽るとするか…」


 彼が最も恐れていたのは、いまだ原因不明とされるうわさが広まったせいで、始末に負えなくなりかけていた霧の件を、民衆が過度に恐れ、本来必要のない革命を遂行されることであった。


 「あれの全ての元凶は偶然の産物などではない。 もちろん、我々以外に知られてはならぬ。 今は特にだ。」


 ヤチェノクの顔はその言葉と同時に後ろを向いて見えなくなった。


 「リュンツよ。 おぬしに命じる。 一定の期間、民衆の税を軽減せよ。 また、一人でも多くの将軍をわしの味方につけるのだ。 あの無能な皇帝が反乱を企むなど、まず不可能だが、あいつだ。 あのアデールにだけは注意するのだ。」


 リュンツは自分の犯した過ちを、怒りとともに思い出した。


 「ええ、おっしゃるとおりです。 やつにだけは注意しすぎて損することはないでしょう。」



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