第11章 姑息への抵抗
「隊長? 大丈夫か?」
「私のことは心配ない。 それよりもまずは自分の心配をすることだ。」
フーシェンクロム高地の戦いは、突如現れたアデールの援護によって、エムラベラスたちを窮地から救った。
ガヴェールの将軍で、軍を指揮していたファヴィレーリは退却命令を出し、この機を逃さんと執拗な追撃をしていたアデールは、まさに最後の追い上げをしている最中だった。
「おらおら!」
その中には新人兵のボトゥーロが、士気を失い、逃げるばかりの敵兵を攻撃していた。
「初めての戦場にしては腕がたつな。 だが、無理はするなよ? 戦争に不足の事態はつきものだ。」
「だが、騎士さんよ。 さっきはなんであんな卑怯な手を使ったんだ?」
敵の隊長を殺したとき、アデールの戦い方を見ていた彼は、ふとした疑問を持っていた。
「いずれ分かる。 我々は確かに騎士であり、卑怯な行為を何よりも嫌う。 だがなぜだろうな。 戦争というものは、人の理性を奪ってしまう。 いかに冷静であれ、人を殺すという行為自体は冷静の部類には入らない。 私はそう考えている。」
彼には少し難しかったらしく、ボトゥーロは半ばあいまいな返事をした。
「いずれ分かるとえらそうなことを言ったものの、実のところ、私自身もよくわかっていない。 どうだ? 私は自分の至らなさを認めた。 これは卑怯か? ふんっ!」
「ははは。 いいや、全然卑怯じゃねえですよっと!」
彼らはすでに話をしながら戦をしていて、殺しにはなれてしまっていた。
そんなアデールのもとに、一人の伝令兵がやって来た。
「大変です! レマにいる守備隊が、ソルデリンの兵士による襲撃を受けています!」
「何!」
兵士の話に、アデールだけでなく、そばにいたエムラベラスも飛びついた。
「まさか! 全軍、追撃やめ! ただちにグウィネーに戻るぞ!」
霧は相変わらずレマの首都を覆っていたが、その中では凄惨な殺戮が行われていた。
「い、一体どうしたというのだ?」
ベッドから病める体をおして起き上がり、テオドールは窓から外を見た。
「お父様! ソルデリンからの襲撃者です!」
慌てた様子で、待女も従えずにリッテが寝室に入ってきた。
「襲っているのはアデールの部下たちです。 これは一体…」
「世にも、分からぬ…ゴホっ!」
「お父様しっかり! 誰か、誰か王に水を差し上げなさい!」
彼女は門の外の様子を見に行こうと、宮殿の正面の入り口から出ようとした。
「お待ちくださいお嬢様! 外は危険すぎます!」
「教えてベンヤミン。 一体何が起こっているの?」
彼女を止めようとする老人に、リッテは必死にせがみ、ベンヤミンは困り果てた顔でどう話そうかを考えていた。
「今は事態の収拾が急務でございます。 どうか落ち着いて避難を…」
「避難ですって? 私はアデールと決闘した覚悟を持つ強い女です。 彼の兵士たちなど、敵ではないわ!」
だが彼女の剣はそのときの決闘で折れたまま、宝物庫に保管されていた。
「剣は折れているはずです。 どうか避難を! アデールの部下とはいえ、かなり訓練された強者揃いです。」
アデールたちははるか東の高地にいる。
まるでこの事態を把握していたかのように、敵の手際がよかっただけに、彼女はある犯人を思い描いた。
今まで協力していたアデールが、部下たちに慕われていないはずがないのだ。
にもかかわらず、てのひらを返したように、レマを襲いにきた裏には、何か事情があるいに違いないと考えた。
「ベンヤミン、あなたはどう思っているの?」
「私も、お嬢様に申し上げようとしておりました。 この襲撃には何かがあると。 レマへの襲撃を指揮しているのは、アデールの副官らしいのです。」
「ヘンリックね。 今から説得しにいきましょう。 彼は話の分からない人ではありません。」
「お待ちください! 憶測で物事を判断するのは危険です! 殺されるかもしれませんぞ!」
早足で歩く姫の横で、老人もそのペースに合わせながら必死に説得しようとする。
「あなたはテオドール王の一人娘。 お嬢様がお亡くなりになれば、一体誰がこの国を治めるのです!」
「もうその話はやめて! 私はお父様の前だから言うのは控えていたけれど、あなたに容赦すると言った覚えはないわ! だからはっきり言わせてもらうけど、私は王位なんて継ぎたくない! もし継がなければならないとしても、それは陛下のためではなく、自分の意志で国を治めるつもりよ。」
「お、お嬢様。」
泣きそうな声になって、ベンヤミンはその言葉を聞いた瞬間、歩くのをやめて床に座り込んだ。
「どうしたの? だらしないわね。 もういいわ、そのことは後でじっくり考え直します。 だから何か襲撃を止める術はないか考えて。 会議を開きましょう。」
「お、お嬢様! 早速手配いたします。」
もっと襲えとばかりに、ヘンリックの軍は暴走していた。
グウィネーの門の前で激しい攻防が繰り広げられ、戦場は一進一退の様相を呈していた。
「アデールはどこだ!」
進撃を続けるヘンリックの後ろから、彼を操っているソルデリンの正規軍司令官の一人、リュンツ将軍が投降を呼びかけた。
「我々の用意は万全である! 繰り返す! 我々の軍には周到な用意がある! 貴様らの兵力も把握している! 襲撃をやめさせたくば、アデールを差し出せ!」
彼もデューラーラントと似て、敵に容赦のない将軍であり、そのごつごつした顔立ちや、めちゃくちゃに刈り取られた髪の間に血がにじんでいる様子から鬼のように恐れられていたが、聡明さにおいて少しばかり老将軍と差があった。
レマの兵士たちの間で、動揺が広がり始めたときだった。
「アデールはここにはいないわ。」
一人の女性が名乗りを上げて、門の向こうから出てきた。
「なんだ小娘! アデールを出せと言ってるんだ!」
「私の言葉が分からないの? アデールはここにはいない。 分かったらさっさと帰りなさい!」
「無礼者! 私を将軍と知っての口か!」
「お許しください!」
後から駆け足でやってきたのはベンヤミンだった。
どうやら会議の準備をしている間に彼女が抜け出したことに気づかなかったらしく、息を切らして必死に追いかけてきたのだ。
「貴様が責任者か? アデールはどこだ!」
「ここにはいないって言ってるでしょう? せっかくだから、賭けてみる?」
そう言ってリッテは剣を抜いたが、その剣を見た瞬間に軍の間で笑いがおこった。
「ははははっ! おい、娘。 そんなナマクラでこの私と決闘をしようというのか? なんなら部下の武器を貸してやってもいいぞ?」
せっかくの将軍の気遣いにもかかわらず、リッテはまかれた油の上に更に火を放つ言動を吐き出した。
「結構よ。 無防備な城と分かっていながら、ヘンリックをそそのかし、自分は手を汚さないような人が使う剣なんて、スヴェイン川の流れを持ってしても、浄化しきれないもの。」
今度は彼女の言葉に、レマの兵士たちが笑い始めた。
「なんだと! 調子に乗りおって。 いいだろう、このリュンツが直接、今言った言葉の愚かさを分からせてやる。」
将軍は乗っていた馬から降りて、兜の下に隠されていた不気味な風貌をさらけ出し、表面にソルデリンの文字が刻まれた分厚い剣を抜いた。
自分の状況が分かっていないわけではないが、とんでもない言葉を発しながらも、落ち着いた表情と淡々とした口調で凛としている彼女は、二つに折れたテーゼン・ヴェインを構えた。
「また始まったわ。 分からせてやるなんて言葉、めったに使うものじゃないわ。 世の中に完璧なんてありえないの。 調子に乗ってるのはあなたのほう。」
「貴様、本気で殺してほしいようだな。」
「ええ、もう王位継承の話でうんざりの毎日を送っているから退屈してるの。 アデールにも言ったけれど、私は女。 でも女はたとえ剣が折れても抵抗を続けるものなの。」
二人はしばらくにらみ合った。
静寂な空気が周りを支配し、木々のざわめきが彼らの殺気を感じ取るようにザワザワと怯えている。
瞳孔が開かれ、突如としてうずきを激化させた血液が、体を伝って互いの剣へと伝わる。
女の髪は乱れ、鎧の左肩の部分がわずか一瞬の衝撃で吹き飛んだ。