第10章 新たなる覚醒
夕暮れ時を迎えたガトルー・ボン・ソイユ地区では、フレンダンを主導者とするデモ隊が、ソルデリンの中央にある王宮広場へと近づいていた。
行進する市民たちの表情は、夕暮れに照らされて真っ赤に燃え上がり、周囲に燃え広がる炎が、彼らの怒りをたたえている。
これは、言うなれば命の行進だった。
笛もラッパもなく、太鼓の音も聞こえない。
しかし、確実にいかなる状態にある敵も恐れをなし、逃げ出す足音で前進していた。
頬を染めているのは、真実の炎であり、夕暮れにも屈しない堅固な意志だったのだろうか。
「な、なんだお前たちは!」
おそらく、ヤチェノクから何も聞いていなかったのであろう、近くを歩いていた数人の兵士が、デモをする市民たちを見て、槍を持って身構えた。
「いたぞ! 正規軍のやつらだ! どうする?」
今にも兵士たちをやっつけてしまおうと、彼らはとっさに切り込もうとした。
「やめるんだ。 今優先すべきは彼らではない。 この奥に潜んでいるもう一人の敵だ。」
「あ、あなたは、フレンダン伯爵。」
「そのようだな。」
伯爵は、兵士たちとは別の声に思わず振り向いた。
そこには多くの兵士たちを従えた、デューラーラント将軍が王宮に通じる正面入り口を阻んでいた。
「お、おい、やつら騎兵までいるぞ?」
「本気で俺たちを殺しちまう気だ。」
市民たちの何人かは、ぎっしりと城門を埋め尽くす重装備の正規軍を見て、顔色をこわばらせ、数歩後ずさりした。
「デューラーラント将軍。 なぜあなたがここに? その様子だと、なにやら大きな戦でもはじめる気のようですが?」
「貴様の方こそ、貧農どもをぞろぞろと連れ歩いて、一体何をするつもりだ? 話は聞いたぞ? ヤチェノク議会長をうまく欺いたつもりだろうが、詰めが甘かったな。」
二人の間には、これまでにない不穏な空気が流れていた。
「詰めもなにもない。 私はただ、この国を野望から守ろうとしただけだ。 ヤチェノク議会長がつぶそうとしている、ダルナゴンの騎士団と、陛下のお命を!」
話を聞くなり、たちまち市民たちの間で噂話が始まった。
「諸君! ヤチェノクはただの逆賊だ! アデールとヘンリックを落としいれ、陛下のお命を危険にさらして、自分が権力を握ろうとしている! ここにいるデューラーラントもそれに加担した。 今そこにああして立っているのが何よりの証拠だ!」
だが将軍は笑っていた。
「バカが。 戦を生業とする集団に、寄せ集めの雑魚どもなど相手になるか。 逆らう者は残らず斬れ!」
兵士たちは攻撃態勢に入り、騎兵が先頭になって突撃してきた。
「勇気ある者は私に続け!」
フレンダンの方も自らレイピアを抜いて敵軍に突っ込んでゆく。
「うわあああああーっ!」
騎兵の突撃によって、広場は混乱状態に陥り、たいまつに火をつけた市民たちは容赦なく蹴散らされ、軍の前線に火柱がほどはしる。
「いけ! フレンダンを殺せ!」
騎兵の後からやってきた歩兵集団が、市民たちをますます恐怖のどん底に突き落とした。
「はっ!」
フレンダンはレイピアを斜め上に突き出し、手首でうまく反対側に返した後、そのまま上から下に振り下ろし、更に突きを前に繰り出すたびに刃の方向を左右交互に変えて、敵を倒していく。
「くたばるがいい! エセ貴族めが!」
老練な将軍が、一般の兵士を次々に倒していくうちに、ついにフレンダンと対峙する。
「はああっ!」
将軍は槍の名手と言われてきた強者だ。
槍を頭上で回転させながら、なぎ払い、直後に突きを繰り出し、更に一歩踏み込んだ深い突きで、フレンダンのレイピアを弾き飛ばそうとする。
その後将軍は、体を回転させた重力で横に斬り込み、垂直に振り下ろし、すぐに突き攻撃をしたが、フレンダンに上手くかわされ、両手に槍を持ち、頭上に襲い来るレイピアを防ぎ、足払いを仕掛ける。
「ぐふ!」
「伯爵様!」
市民は彼のほうを振り向いた瞬間、走ってきた兵士に刺されて口から血を吐いた。
「動くな愚か者。」
のど元に槍の銀色になっている部分を突きつけられ、彼は取り押さえられた。
「伯爵様!」
よく見ると、すでに捕らえられている母親と少女の姿があった。
そばには兵士が斧を振り下ろそうとしているのが見えた。
「よせ! 子供は関係ない!」
「たわごとを言うな。 ここにいること自体が罪なのだ。」
デューラーラントはそういう男だった。
戦となれば容赦はしない。
そこにあるもの全てを呑み込み、破壊するのが彼のルールだった。
この場合も例外ではないらしく、彼が兵士を止める様子はない。
―「母のような死に方を、もう二度とさせたくないんだ。」―
自分の誓いが今、音を立てて崩されようとしている。
「私の意志は、こんなものだったのか。 将軍、あなたは、鬼だ。 だが、私は誓った。 誓いを阻むものは、必ず打ち砕く。 そう決めた。」
「将軍、この娘が何か持っています。」
「返して! それはアデール様にもらったものよ!」
「アデールだと?」
デューラーラントは見事な装飾の施された勲章を目にして、それが何かをすぐ理解した。
「なるほどな。 いかにも騎士らしい行動だ。 だが、弱者を守るには力不足だったな。」
己が身の程を知るがいいと言った具合に、老将はその勲章を空高く投げつけた。
「見るがいい。 勲章とは本来強さの証明のために存在する。 その畏怖を持って敵を退却させるものでなくてはならない。」
デューラーラントは槍を構えると、その勲章の落ちてくるタイミングに合わせて舞い始めた。
「やめて!」
少女の叫びが聞こえ、勲章は彼の突きで砕けたように思えた。
「な、に?」
そのときデューラーラントもフレンダンも、誰もが目を疑った。
「ヴィクトリーヌ!」
なぜ彼女がこんなところにいるのだろうか?
「ごめん、なさい。 こうするしかないの…。 私も、あの手紙を、読んだわ。 もう自分を責めないで。」」
彼女は勲章を握り締め、そのまま倒れて動かなくなった。
「ああああああああーっ!」
両手で顔を覆い、声を上げるフレンダンは、ショックのあまりその場に膝を突き、座り込んでしまった。
「これは、どういうことだ! 女は生かしたまま後の計略に利用するはずではなかったのか!」
「それは将軍を欺くための予防策ですぞ? 勘違いされては困りますな。」
広場の奥のほうからヤチェノクの声がしたかと思うと、彼を先頭に、ソルデリンの近衛隊とガヴェールの兵士らが次々と現れた。
「確かに女はフレンダンが生きているかのようにレマに思わせ、彼の国をかく乱させることもできる。 だが、それは軍人の考え方。 策士ならばその上をいく。 ヘンリックにレマを襲撃させてしまえば、ソルデリンの信用は地に落ち、フレンダンが味方かどうかも分からなくなるやもしれんな。」
デューラーラントは自分が彼の策略にまんまとはめられていることを知り、激しく怒った。
「貴様! この私をも裏切ったな! 一体なぜだ!」
「なぜ? 簡単なこと。 そもそもソルデリンとガヴェールとの同盟など、存在しない。 レマに対する同盟もだ。」
「まさか、きっ、貴様!」
ヤチェノクはガヴェールと同盟して、レマを滅ぼそうと画策していたが、あくまで彼が君主としてのことだったのだと彼は気づかされた。
「ヤチェノク。 そこまでして何をする気だ! 我がソルデリンの輝かしい栄光を取り戻すために、私はこれまで尽力してきた。 フレンダンが邪魔だというから消そうとしたではないか! 陛下をも裏切る気か!」
「ははは。 裏切ったのは貴様も同じだぞ将軍。 私と手を組んだのだからな。」
「き、汚いぞ、ヤチェノク。」
ふんと鼻で笑う議会長に対し、フレンダンがゆっくりと起き上がった。
しかしこのときの彼は普通ではなかった。
「なんだ、この光は?」
老将が驚くのも無理はない。
伯爵の周りからは、何かにつつまれたようなオーラがみなぎり、彼の人格をを形成している外見をわずかながらに変えていた。
伯爵のマントは光りの衝撃でその半分が焼けこげ、敗走する兵士のような有様だったが、彼のレイピアは頑丈な槍のような太さになり、今にも暴れだしそうだった。
「これは驚いたな。 貴様もどうやら神格者だったようだ。 だが、その産声をあげて開花したばかりの魔力で、果たして持ちこたえられるかな?」
兵士たちはもはや驚嘆し、動けないばかりか、ヤチェノクの様子をただ見守るばかりだった。
フレンダンのようにみなぎる気、それに呼応するように強靭な肉体が、老人の面影をかき消した。
「我が神格、バドラグ・ムー・クレル。 見よ!」
彼は杖を持ち、それをフレンダンにむかって振りかざした。
凄まじい威力の地面の揺れが、伯爵の周りにいた人間をも巻き込もうとする。
「神格者? なんだそれは?」
「知らぬのか。 教えてやろう!」
ヤチェノクは杖をもう一振りした。
先ほどよりももっと激しい揺れが地割れを発生させ、フレンダンたちの足元をすくった。
「特別なごく一部の者にのみ開花する、賢者よりも強力な力。 神に等しい御技よ! だが扱えるのはその中の更に一部。 フレンダン、貴様には無理だ。 はははははは!」
賢者よりも強力な力と聞いて、デューラーラントははっとした。
「そうか、わかったぞ。 あの霧は、貴様の仕業だったのか!」
ヤチェノクはその問いには答えず、不気味に笑い、ガヴェールの兵士たちを前進させた。
「まずい! この場は捨て置け! 退却だ!」
将軍は身の危険を感じ、怒りを押し殺して自軍を撤退させる。
だが、フレンダンは逃げずにその場にとどまった。
「私には、陛下をお守りするという義務がある。 アデールやヘンリックも、皆お前から守る!」
「それは困る。 フレンダン、お前にはしばらく眠っていてもらおう。 次に目が覚めたときがお前の最後だ!」
「はあああああ!」
フレンダンは彼の忠告も聞かずに、レイピアを抜いて突進してゆく。
周りの兵士たちは恐れをなして逃げていったが、ヤチェノクはフレンダンのレイピアを軽々と手で持ち上げた。
「くっ!」
おぞましくも太くなった老人の手は、鉄の塊さえもたやすくねじまげていく。
異様な金属の音がするたびにレイピアはそれていき、ついにはヤチェノクはそれを自分の手に巻きつけた。
「愚か者めが!」
老人はレイピアを高く持ち上げ、それを持っていたフレンダンは空高く舞う。
「ぐあ!」
勢いよく地面にたたきつけられたが、彼はそれでも起き上がる。
再びヤチェノクに向かって突進しようとした直後のことだった。
「ぐああああああっ! うあ、あああああっ!」
彼は力んだあまり、その体にまとう魔力を暴走させ、最後には体から煙を発して倒れこんだ。
「それが神格者の力だ。 今のお前には使うことすらかなわんだろう。」
気を失ったフレンダンに言葉を吐き捨てると、ヤチェノクは兵士たちに命じた。
「奴にまとわりつかれては厄介だ。 こいつをスヴェイン川に流せ!」