君は今、何周目の恋をした?
(いつも人気だな……何かの修行か?)
成山栄次の通う高校には、誰もが一目見て分かる美少女が存在する。
今まさに目の前を横切った、制服姿で歩く容姿ですら、一ミリの隙もない才色兼備。
艶めかしい神々しさを放つブロンド色の、ロングのストレートヘアー。
珍しい髪色は自然と注目を集めるが、それよりも特徴的な瞳が印象に残る。
まるでお人形のような大きめで真ん丸とした黄緑色の瞳。
光を帯びて輝くその瞳は、どこか他人と一歩置くような印象を与えてくる。
整った目鼻立ちも相まった柔らかな笑みからなる瞳の輝きは、見る人を魅了するのだろう。
容姿だけにとどまらず、水滴をいともたやすく弾くような、もっちりとしたお餅のような白い肌。
制服に隠れているが、その赤子すらも手を伸ばしたがる肌は、努力の賜物か、彼女という美少女を形作るものなのか。
ほどよい大きさあるふくらみもあって、学校中の男子諸君が手を伸ばしたい、お近づきになりたい、と泥まみれの思想を露わにしてしまうほどの彼女――春風林花は今日も一段と存在感を放っていた。
林花は学業優秀もあるが、誰にでも謙虚であり、同じ立場で考えたりするからこそ、男女や学年問わず親しまれている。
親しまれている点だけを見るのなら、同じ高校二年生であるのに、栄次と林花は違うステージに存在しているようなものだ。
林花の姿が見えなくなったのを確認してから、栄次は屋上に続く階段を上がっていく。
ゆっくりと屋上のドアに手をかけ、光差し込むステージの扉を叩いた。
「栄次、遅かったね」
「悪い、一分遅れた」
「そう言って、本当は私との距離を取って、疑われないようにしているって知っているからね。でも、栄次は堅物だから、知らないのは仕方ないかな」
そうか、と返せば彼女は笑っていた。
扉を開けた先には、美少女と名高い存在、春風林花が立っていた。
屋上に差し込む太陽に照らされ、ブロンドヘアーを風になびかせながら、耳の傍に手を当てる林花は眩しさを感じさせてくる。
屋上で林花と二人きり、なんて他の生徒が知れば羨ましい限りだろう。
栄次からすれば、ひょんなできごとからお昼を一緒に食べるに至っただけであり、得に抱く感情の一つもないのだが。
「でもでも、もうちょっと手を伸ばしたくはなるでしょう?」
「犯罪に手を染めた覚えはないな」
もー、と頬を膨らませる林花には、もはや慣れたものだった。
栄次自身、林花から言われた通り、真面目が付くほどの堅物、という自覚はある。
自覚があるのは、周りからよく言われるせいにすぎないのだが。
真面目ゆえに、林花は心を許している、もしくは敵対心を向けてこないのだろう。
「時間無くなる前に、お昼、食べよっか」
人を助けるのは自分の為だ、とつくづく知っておきながらも、たまたま助けた林花に誘われるようになったのは運が良かっただけなのだろう。
地に座ると、恒例のように林花がお弁当箱を渡してきた。
「えっと、ね、作りすぎたから……その、お裾分け……」
「ありがとう」
「……っ」
不自然に林花が頬を膨らませているが、栄次はお弁当箱を素直に受け取った。
林花が隣に座ってから、お弁当箱の蓋を開けた。
お弁当箱の中には、綺麗な形をした卵焼き、良い焼き加減ながら食欲そそる色合いを魅せる鮭に、ポテトサラダが入っている。
林花は料理も上手なので、おかずはいつ貰っても嬉しいものだ。
二年生になってから、林花が幾度となくおかずを渡してくるようになったので、栄次のお昼の量は何かと多くなりがちである。
林花の性格上、明るいのは良いが、からかい気味で悪戯好きなのが玉に瑕だろう。
事前に教えてくれれば量を調整できるのだが、直前まで彼女は教えてこないのだから。
「一応言っておくが、俺は何も返せないぞ?」
「いいの。私が好きでやっていることだし、栄次が美味しそうに食べてくれるだけでも、私は満足だよ」
そう言って口許に指先を当てる林花は、自分の魅せ方を研究しているのだろうか。
真っすぐ見つめてくる黄緑の瞳に、厳つい目をした自分が映っている。
「栄次って、右の前髪だけ妙に長いよね?」
自身のお弁当箱を開けながら聞いてくる林花に、栄次は少しため息を吐いた。
特に自分語りをするつもりが無いのと、前髪については触れてほしくない事情があるのだ。
栄次は食べようとしていた手を止め、林花を見た。
そして、そっと右手で自身の前髪に上から触れる。
「必要ない話だ」
「えー、もったいぶるの?」
「お前にからかわれても、話すつもりはない」
「堅物、まじめだねー」
「まじめ、か……髪を切ってないのは、俺の不注意だ」
嘘は、ついていない。
そっか、と言う林花は特に深入りするつもりはないようだ。だが、その言葉の奥にはどこか重みがある。
ふと気づけば、林花はわざとらしく、自分の箸で栄次のおかずになった卵焼きを奪っていた。
「くれるんじゃないのか?」
「はい、返すよ」
と言って卵焼きを持った箸を向けてくる林花に、栄次は口を開いた。
口を開けば、卵焼きが口の中に置かれる。
口を閉じると、シュルリと林花の箸が唇に触れて合間を抜けていった。
噛みしめればじんわりと広がる甘みに、とろけるような層の弾力ある生地。
何度も味わっていたいと思ってしまう程、儚い瞬間を卵焼き一つで感じさせてくる林花の腕前は、憧れとも言える舞台だ。
「うまいな」
「はぁ……」
「どうした、ため息か?」
「目の前に鈍感が居ると、付き合っている子の気持ちがわかるなー、ってね」
「鈍感……そんな奴が居るのか、見てみたいもんだな」
「鏡を見たら?」
「鏡を見たところで、俺しか映らないが?」
「……っ! もー!」
林花は頬膨らませて、栄次の胸目がけて頭突きをしてきた。
揺れる髪からふわりと香る優しい匂いは、嫌いではない。
どちらかと言えば、何よりも信頼できる筋肉に対して頭突きをした、林花の骨が心配になってしまう。とはいえ、反動が起きるような勢いがなかったのと、考えもなしに無茶な真似はしないだろう。
林花は頭を離してから、わざとらしく上目遣いで見てきている。
「間接キスしたのに、どうして栄次は気づかないのかな?」
「お前が先に口をつけてないんだ、最初なら間接キスにならないだろ?」
「意識した私がおかしかったよ!」
先に折れた林花は、栄次にあーんした箸を使い、自身のお弁当に手を付けていた。
どこか不服そうな林花に、栄次はただ首を傾げるしかなかった。
食べ進めていると、そうだ、と思い出したように林花が口を開く。
「ねえねえ、さっきのお返しとして、今度お買い物に付き合ってよ」
「お返し? ああ、おかずを貰ってるからな、俺でいいなら付き合うぞ」
「どうしてこうも、気づかないの? わざと?」
「何がだ?」
もう、と何度も頬をぷくりと膨らませる林花は、タコのモノマネでもしているのだろうか。
その場のノリとはいえ、栄次は林花と待ち合わせをしてから、お買い物に付き合うのが確定した。
お買い物に付き合う日。
栄次は林花と待ち合わせ場所で合流してから、林花の予定があるお店へと向かっていた。
今日の林花は気合いが入っているのか、お嬢様のような白いブラウスに、上品な青いスカートの上から白く透き通るオーバースカートを身に着けている。
林花の普段着は肌に優しいように見えるので、しっかりと自身に似合ったものを着ているのだろう。
林花が華奢な体型故に、お人形のように見えてしまうのは内緒だ。
電車を乗り継いでたどり着いたのは、テラス席のあるカフェだった。
人気があるように見えるが、見たところ人一人いない。
「こっちだよ」
林花に誘われるまま、合い向かいになっているテラスのテーブル席に腰を掛けた。
白いパラソルで日差しを遮りながらも、見える景色は豊かな自然の色を映し出している。
「栄次、今日は貸し切りみたいだね」
「……お前、やったか?」
「えー、どうだと思う?」
林花の家庭は一般とはズレているので、明らかに計画的だろう。
わざとらしく口許に人差し指を当てている林花は、完全に悪戯好きのそれだ。
ため息一つ勿体ないのもあり、しぶしぶ栄次は納得することにした。
瞬く間もなく栄次と林花が座っている席に、カフェの店員が品物をトレイに載せてやってきた。
「きたきた……!」
「……俺、頼んでないんだが?」
「お堅いなー、私が予約して、頼んでおいてあげたの」
「白状したな」
予感はしていたが、全ては林花の計画通りだったようだ。
テーブルに届いたのは、パフェにコーヒーが付いたセットメニュー。
林花の方にはミカン尽くし……クリームやシロップ、アイスの全てがミカンで統一された、まさにパラダイスと言える季節感満載のパフェが置かれている。
そしてセットでついてきたコーヒーは、香り的に酸味が強めになっているのか、ミカンに合うように調整されたものだろう。
「栄次は、それくらい食べられる、よね?」
栄次の前には、プリンが主となった、クリームとフルーツが盛り合わせになったパフェが存在感を発揮している。
カップを覗けば芳ばしい香りが鼻を撫で、黒の水面に栄次の姿が反射する程、清々しいまでのブラックコーヒーだ。
「食べられる。けど、代金くらいは払わせてもらうからな」
「もー、どうしてそうなるの? そこは、仕方ない奢られてやるか、でいいんだよ?」
「俺はそこまで落ちた人間か!」
「栄次、これは私が食べたいから、誘ったの。だから、栄次は気にしなくてもいいの」
林花の意味不明だった行動すべてに、栄次はようやく合点がいった。
林花は恐らく、二つのメニューを食べたいと思っていたが、大方食べきれないと悟って栄次を誘ったのだろう。
栄次としては、先に言ってほしいのだが林花に求めるだけ無駄だと思っている。
「ほら、先に食いたいだけ食べるんだな。残ったら俺が食ってやるからよ」
「……栄次、そういうところは察しがいいのに、感性の欠如が勿体ないよね」
林花が不服そうに言うのもあり、栄次は首を傾げるしかなかった。
自身の方に来ていたパフェを林花の方に寄せたのだが、林花は少し首を振ってから、栄次の方に返してきた。
「そっちのは、先に栄次が食べて。公平じゃないとね」
笑顔でスプーンを差し出してくる林花は、限定に弱い食欲旺盛なだけではないようだ。
「後から文句言うなよ?」
「それって、私が文句言うと思ってるの?」
「俺はお前のからかい道具じゃないからな」
「それ、失礼だよ。ていうか、お前じゃなくて、栄次も気安く、林花、って呼んでくれればいいのに」
断る、と栄次が口にすれば、林花は分かっていたのか呆れ気味に苦笑していた。
栄次は渋々ながらも、受け取ったスプーンでクリームが載ったプリンの一部を掬った。
クリームの重みがあるにも関わらず緩やかに揺れるプリンは、柔らかな感情を持っているのだろうか。
(……これが、プリン)
初めて食べる、パフェのプリンに対して躊躇した。
栄次はガタイこそ良いのだが、基本食べないものに対しては戸惑いを覚えやすいのだ。
信念と呼ぶべき信じた筋肉が受け入れるのか、そういう戸惑いもどこかにあるのだろう。
栄次はスプーンが軽く斜めになりかけながらも、口に放り込んだ。
食べている瞬間を林花がじっと見てくるのもあり、栄次からすれば目を細めるしかないのだが。
「なんだ? うまいにはうまいけど、お前がくれるおかずの方が、俺は好みだ」
「そういうの、比べるの良くないよ」
「そういうもんなのか?」
そういうもの、と微笑みながら言う林花は、ゆっくりと栄次の頬に手を伸ばしていた。
「栄次はお堅いから、食べ方下手だね。ほら、頬にクリームがついてるよ」
「余計なお世話だ」
「ふふ、取ってあげるね」
林花は栄次の頬についていたクリームを指の先で取っていた。
そして指の先に付いたそのクリームを、林花は戸惑いもなく自身の口に運んでいる。
パクリ、と指の先を口に含んだ林花がゆっくりと微笑んだ。
「うん、美味しい! あれれ、もしかして栄次、照れてる?」
「……からかうんなら、俺は黙るからな……でも、ありがとう」
「まじめだから、栄次のそういうところ好きなんだよね」
初めてしっかりと見た林花の笑みに、どうして彼女が可愛いと言われているのかなんとなく気づいた栄次は、最後までその言葉を聞くことが無かった。
結局のところ、林花が多少残したパフェを平らげることになったのは言うまでもないだろう。
「栄次、今日のデートは楽しかった?」
「デートなんてしてないだろ」
電車を乗り継ぎ、帰宅のために帰路を二人で歩いていると林花が突然口にした。
金色に染まりつつある空は、夕焼けなのも相まって林花をより自然と見せてくる。
振り向く林花の動きに合わせて揺れるオーバースカートの裾が光を帯びて、より鮮明に林花へと視線を集めさせてくる。
「異性が同じ時間、待ち合わせ場所で出会ったんだから、デート、って言っても間違いないよ?」
ずる賢いような笑みを浮かべる林花は、からかうためなら、どこまでも考えて行動しているのだろう。
その行動力の底知れなさに、ついついため息を吐きたくなるが、嫌な気持ちにはなれないのだ。
栄次自身、特に動く感情を持ち合わせていないが、少し熱くなった胸の中にある名前を知らない。
金色の光を後ろにして揺れる黄緑の瞳が、不意に優しさを覚えさせてくる。
その笑みを含めても栄次は、初めて見た、とは思えなかった。
呑み込む息はないのに、まるで呑み込んだことがある、その空気は覚えているのだと。
「なら、どうして彼氏でもない俺を誘ったんだ?」
「……鈍感。本当に、栄次はあの頃とちっとも変わらない、鈍感で真面目、堅物」
まるで暴風のように栄次の特徴を口にする林花だが、その言葉は本気だと伝えてくる。
林花から笑みは消え、その瞳には栄次の姿がしっかりと反射しているのだから。
「栄次には、私が好きでもない人を簡単に誘う、安っぽい人間に見えているの?」
「……そうは見えないな」
答えるのは簡単だった。
林花が栄次を見ていたのであれば、栄次だって林花を見ていた。
だからこそ、好きでもない人、という言葉に疑問を覚えたのだ。
今まで何度も言葉にされていた、何周も試されるように。
この日、栄次は初めて、林花の気持ちに気付いた。
気づいたところで、変わる気持ち、揺らぐものを持ち合わせているほど栄次は安い人間ではないのだが。
林花から堅物と言われているように、栄次は自分を信じて、守れないものを無くすように鍛えてきたし、自己満足の領域でありとあらゆる努力もいとわなかった。
仮に林花の言葉が真実になるのなら、その傷を確かめる必要があるだろう。
「好きや嫌いはお前の好きだ。一応言っておくが、俺は――」
栄次が伸びていた右の前髪を上げようとした時、栄次よりも小さく柔らかな手がその手を止めた。
振り払おうとすれば簡単にできる、弱弱しい手。
その手の先を目で追えば、林花が強い眼で見てきている。
手首へと降りたその手には、覚悟が籠ったような重みを実感させされるだけではなく、確かな熱を感じさせてくるのだ。
「知ってる。栄次の右の額に、深い切り傷……傷跡があるの」
「俺はお前に見せたことないが、いつから?」
「栄次が人助けを本気でして、自分も傷つかないように鍛えるようになった、その日から、私は知ってるの」
栄次は誰にもそのことを言った覚えもなければ、林花に口にしたことはただの一度もない。
知っているのは自分と、傷跡の原因になった人助けをした際の、幼き日に約束した少女だけだろう。
――ブロンドヘアーで、特徴的な黄緑の瞳を持った……あの、子。
栄次はぼんやりとしていた記憶が、焼き直されるように蘇った。
林花とは、中学生の頃に同じ学校になって初めて出会ったはずだった。
栄次は前髪にかかっていた手の力が抜け、林花に誘われるまま降りていく。
「もしかして、お前、あの時の、林花なのか?」
「やっと、思い出してくれた? なかなか気づかない、鈍感くん」
夕焼けを背にした林花の輪郭が光の帯を纏い、緩やかな笑みを運んでくる。
間違いなく、あの頃の林花と栄次は理解できた。
忘れこそしていたが、林花を名字や名前で呼ばなかったのは……曖昧な記憶の中にある、思い出の中の息苦しさが邪魔をしていたからだろう。
だけど口にしたこの名前は静かにも、肩の荷を下ろすように優しさを伝えてくるのだ。
「私はあの頃から、栄次に惚れてるけど……その、栄次は? どうせ堅物だし、聞かないと答えないよね?」
まるで分かっているように聞いてくる林花は、ずるいやつだろう。
「俺は好まない人には近寄らん。無論、林花であっても、だ」
「ふふ、やっと好きになってもらえた」
勝手にしろ、と言えば「勝手に解釈するね」と言って林花は腕を回し、ぎゅっと栄次の胸に顔を押し付けてくる。
外でも躊躇しないのは、ここが田舎のおかげだろうか。
栄次から腕を回すことはしないが、一つだけ聞かないといけないことがある。
中学の頃に約束した、あの言葉を。
「これは、何周目だ?」
林花は含みを込めた笑みを浮かべてから――ひとつ、間を置いた。
「途中から数えてないや。でも、栄次、大好きだよ」
きっとこれは、栄次ですら理解できる、林花なりの優しさなのだろう。
笑顔の上目づかいで見てくるその瞳は、ただ待っているようだ。
「俺は林花が近くに居ようと、鈍るつもりはないからな」
「……好き、って素直に言えばいいのに。堅物だね」
「大事なお前を守るためだからな」
茶化してくる林花の頭に、栄次は優しく撫でるように手を置くのだった。




