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授業中に自作の『対話型AIアプリ』をうっかり全校生徒に誤送信してしまった結果→「視界に入らないで」と俺を罵倒する令嬢が、裏では「今日も尊かった…結婚したい…」とデレデレな相談をしてくる件について

作者:
掲載日:2026/02/07

 その日、俺の高校生活は終わった――と思った。


 5限目の「情報」の授業中。

 俺、高坂アキラは、教師の目を盗んで自作プログラムのコードをいじっていた。


 クラスでは目立たない「背景モブ」のような存在だ。

 ただしその界隈ではハンドルネーム『A.K.』として、そこそこ名の知れたプログラマーだ。


 現在開発中なのは、対話型AIアプリ『アイ(A.I.)』。

 ユーザーの愚痴や相談に乗り、メンタルケアを行う癒やし系アプリのβ版だ。


「よし、ローカル環境でのテストは完了。あとはデバッグ用サーバーに接続して……」


 カタカタとキーボードを叩き、エンターキーを押した、その瞬間。


 教室内、いや、校舎中の生徒のスマートフォンが一斉に鳴り響いた。


『ピロン♪』という、間の抜けた通知音と共に。


「え、なに?」

「なんかAirDropきたんだけど」

「ウイルス?」

「『対話型AI・アイ』……? なにこれ怪しい」


 教室がざわめく。


 俺は顔面蒼白になった。

 テスト送信の宛先設定をミスった。

 学内Wi-Fiを経由して、接続中の全端末にアプリのインストールリンクをブロードキャストしてしまったのだ。


(や、やっちまった……!)


 即座にPCを閉じ、冷や汗を流しながら周囲を見渡す。

 幸い、送信元が俺だとはバレていないようだ。

 みんな「新手のスパムか?」と怪しんでいる。


「静かにしろー。変なリンクは開くなよー」


 教師の気のない注意で、騒ぎは収束した。

 ほとんどの生徒は「キモッ」と言って削除したり、無視したりしている。


 俺は机に突っ伏して、心臓のバクバクを必死に抑え込んだ。


 ――だが。

 俺は気づいていなかった。


 その中に一人だけ、興味深そうに画面を見つめ、そっと「インストール」ボタンを押した人物がいたことを。


 ◇


 放課後。

 俺は心身ともに疲れ果て、下駄箱で靴を履き替えていた。

 早く帰ってサーバーのログを消去し、アプリを停止させなければ。


 その時、凛とした冷たい声が背中に刺さった。


「……邪魔よ。どいて」


 ビクリとして振り返ると、そこにいたのは神楽冥夜(カグラメイヤ)だった。


 流れるような黒髪、宝石のような瞳、陶器のように白い肌。


 旧華族の流れを汲む財閥令嬢であり、学園の誰もが認める「高嶺の花」。


 そして俺のことを徹底的に嫌っている「氷の女王」だ。


「あ、ご、ごめん神楽さん……」


 俺が慌てて道を空けようとした拍子に、ポケットから消しゴムが落ちた。


 それがコロコロと転がり、冥夜の上履きにコツンと当たる。


 最悪だ。


 冥夜は眉をひそめ、汚いものでも見るような目で消しゴムを見下ろした。


 俺が拾おうと手を伸ばすと、彼女はサッと足を引く。


「……拾わなくていいわ」


「え?」


「あなたが触ったものでしょ? ……菌が移るから、近づけないで」


 絶対零度の視線。

 彼女はスカートを翻し、俺の横を通り過ぎていった。


 すれ違いざま、フワリと高級なシャンプーの香りがしたが、その背中は拒絶のオーラで覆われていた。


「うわ、高坂またやられてるw」

「氷の女王のお通りだぞ、道を開けろよw」


 周囲からの嘲笑。


 俺はため息をつきながら、埃にまみれた消しゴムを拾い上げた。


(……嫌われすぎだろ、俺)


 別に何かした覚えはない。

 ただ、入学当初から彼女は俺に対してだけ異常に厳しい。


 まあいい。住む世界が違うんだ。

 俺は肩を落とし、逃げるように帰路についた。


 ◇


 自宅にて。

 俺は自室のPCモニターに張り付いていた。


「……マジかよ」


 画面には、真っ赤なエラーログが表示されている。

 昼間の誤送信騒動で、予想外の負荷がかかったらしい。

 AIの自動応答エンジンがクラッシュしていた。

 復旧には数時間はかかる。


 だが、モニターの端には『アクティブユーザー:1』の表示。


「誰だ? 物好きな奴が一人いるな……」


 全校生徒にバラ撒いてしまった手前、バグったまま放置して「ウイルスアプリ」だと思われるのはまずい。


 俺は緊急措置として、キーボードに手を置いた。


 【管理者権限:マニュアルモード起動】


 AIの自動返信が直るまでの間、俺が手動で(つまり俺自身が)AIのフリをして返信するしかない。


 いわゆる「中の人」対応だ。


 ユーザーIDは『Rabbit_Love』。


 アイコンは可愛らしいウサギのイラストだ。


『ハジメマシテ。私ハ対話型AIデス。アナタノココロニ寄リ添イマス』


 俺は定型文を打ち込み、送信した。

 どうせすぐに「つまんね」と言ってアンインストールされるだろう。


 だが。

 即座に既読がつき、ものすごい勢いで返信が返ってきた。


『Rabbit_Love:はじめまして! 本当にAIなの? 誰にも秘密は漏らさない?』


『AI(俺):ハイ。匿名性は完全ニ守ラレマス。安心シテオ話シ下サイ』


『Rabbit_Love:よかった……! 実はね、誰にも言えない悩みがあって……今日、学校ですごいことがあったの!』


 悩み相談か。

 まあ、女子高生なら恋バナの一つや二つあるだろう。


 俺はコーヒーを啜りながら、気楽に次のメッセージを待った。


 しかし。

 送られてきた長文を見た瞬間、俺はコーヒーをキーボードに吹き出しそうになった。


『Rabbit_Love:今日ね、大好きな彼と至近距離ですれ違ったの! しかも、彼の消しゴムが私の靴に当たったの!! 0.5秒くらい!! もう死んでもいい!! 神様ありがとう!!』


 ……は?

 俺の思考が停止する。

 消しゴム? 靴に当たった?


 それって、まさか今日の放課後の……。

 嫌な汗が背中を伝う。

 まさかな。そんな偶然あるわけがない。

 だが、画面には次々とメッセージが弾丸のように着弾していく。


『Rabbit_Love:ああんもう最高だった! 彼の拾った消しゴム、本当は私が拾って持って帰りたかった! 真空パックして額縁に入れて毎日拝みたかった! でも周りに人がいたから出来なかったの……私ってチキン……』


『Rabbit_Love:しかもね、テンパりすぎて、また彼に冷たくしちゃった……。「菌が移る」なんて言いたくなかったのに! 私のバカバカバカ! 舌噛み切って死にたい!』


『Rabbit_Love:彼、傷ついたかな……? 嫌われたかな? ああ、高坂アキラくん……今日も尊い……同じ空気を吸えて幸せ……結婚したい……』


「…………」


 俺は、モニターの前で石化した。

 名前が出た。確定だ。


 この『Rabbit_Love』の中身は、神楽冥夜だ。


 あの氷の女王?

 俺をゴミを見るような目で見ていた、あの令嬢が?

 消しゴムを真空パック?

 結婚したい?

 情報量の多さに脳がショートしそうだ。


 普段のクールな姿からは想像もできない、限界オタクのような文章と、重すぎる愛。


 そして何より、自己肯定感の低さ。


(……こいつ、AI相手だと思って、全部ぶちまけてやがる)


 俺は震える手でキーボードに触れた。

 今すぐ「俺だよ!」と言って逃げ出したい。


 だが、そんなことをすれば彼女はショックで本当に舌を噛み切るかもしれない。


 社会的に死ぬのは俺の方だ。

 やるしかない。

 AIのフリをして、この暴走機関車を鎮めるんだ。


『AI(俺):……ソ、ソレハ辛イデスネ。デモ、彼モキット、アナタノ本当ノ気持チニ気付イテクレル日ガ来ルデショウ』


 必死に打ち込む。動揺でタイプミスしそうだ。


『Rabbit_Love:本当!? AIくんの高度な計算でそう出るの!? ……じゃあ、嫌われてない? 明日、学校に行ってもいいかな?』


『AI(俺):モチロンデス。明日ハ勇気ヲ出シテ、挨拶ヲシテミマショウ。「オハヨウ」ト言ウダケデ、関係ハ変ワリマス』


『Rabbit_Love:おはよう……! ハードル高いけど、AIくんが言うなら頑張る! アキラくんに「おはよう」って言うシミュレーションして寝るね! ありがとうAIくん、愛してる!』


 彼女は最後に、ウサギがハートを抱きしめているスタンプを送ってログアウトした。


 部屋に、静寂が戻る。

 俺は椅子に深く沈み込み、天井を仰いだ。


「……なんだこれ」


 とんでもない秘密を知ってしまった。

 氷の女王の中身は、ドロドロに溶けたチョコミントアイスみたいに甘くて厄介だった。


 ◇


 翌朝。

 俺は猛烈な寝不足と共に教室に入った。

 昨夜、冥夜の興奮が収まらず、深夜三時までチャットに付き合わされたせいだ。

 自分の席に向かうと、そこにはすでに冥夜がいた。

 窓際の席で、文庫本を読んでいる。

 本を持つ手が小刻みに震えているし、よく見れば本が逆さまだ。


 俺が近づくと、彼女がバッと顔を上げた。

 顔が赤い。耳まで真っ赤だ。


(……来るか? 「おはよう」)


 昨日のチャットを思い出し、俺も少し身構える。

 頑張れ。

 挨拶くらいなら、笑顔で返すから。

 冥夜が口を開く。

 唇がわなわなと震え、目が泳いでいる。


「お……お……!」


 いけっ、そのまま「はよう」と続けろ!


「お……」


 冥夜は極限まで張り詰めた末、耐えきれなくなったように叫んだ。


「――お前なんか、視界に入ると邪魔なのよ! さっさと席に着いて寝てなさいよ、このモブ!」


 シーン、と教室が静まり返る。

 冥夜はハッとした顔をして、それから逃げるように自分の席へ突っ伏した。


 周囲からは「うわ、今日もキレッキレだな」「高坂ドンマイ」という同情の声。


 俺は苦笑いしながら席に座った。


 その直後。

 ポケットの中のスマホが、激しく振動した。

 こっそり画面を確認する。


 アプリの管理者通知。

 ユーザー『Rabbit_Love』からのメッセージだ。


『Rabbit_Love:死にたい死にたい死にたい死にたい! AIくん助けてえええ! 「おはよう」って言おうとしたら「邪魔」って出ちゃった! 脳と口の回線がバグってる!』


『Rabbit_Love:もう終わりだ……アキラくんに完全に嫌われた……来世はミジンコになって彼の水槽で飼われたい……』


 教室内、数メートル先にいる冥夜の背中が、小刻みに震えているのが見える。


 泣いているのか、それとも悶えているのか。

 俺はスマホを握りしめ、天を仰いだ。


(……これ、俺が一生介護しなきゃいけないやつか?)


 どうやら俺の高校生活は、バグだらけのアプリと、バグだらけのヒロインによって、波乱の幕を開けたようだった。


 ◇


 あれから数日が経過した。


 俺、高坂アキラの日常は、劇的に変化していた。


 ――主に、睡眠時間が。


 深夜2時。

 自室のPCモニターの前で、俺は死んだ魚のような目をしていた。


 画面には、自作アプリ『アイ』の管理者画面が表示されている。


 そこには、たった一人のユーザー『Rabbit_Love』

 またの名を神楽冥夜からのメッセージが、滝のように流れていた。


『Rabbit_Love:AIくん聞いて! 今日、アキラくんが体育の授業で汗を拭いてたの! あのタオルになりたい! 繊維の一本一本になって彼の汗を吸収したい!』


『Rabbit_Love:でも私、遠くから見てることしかできなかった……。もし私が彼の視界に入ったら、きっと「うわ、氷女が見てる」って不快になるよね? 網膜を汚してごめんなさい……』


『Rabbit_Love:あああん尊い! 生きててよかった! でも辛い! 好きすぎて心臓が痛い! これって不整脈? 救急車呼ぶべき? それとも婚姻届?』


 重い。

 そして、濃い。

 彼女の愛は、俺の想像を遥かに超えていた。

 現実では廊下ですれ違っても目も合わせないくせに、脳内ではすでに結婚式場の予約まで済ませている勢いだ。


 俺は欠伸を噛み殺し、震える指でキーボードを叩く。


 AIの自動応答プログラムはまだ復旧していない。

 俺が手動で、AIになりきって返信するしかないのだ。


『AI(俺):……ソレハ素敵ナ事デスネ。デモ、救急車ハ必要アリマセン。深呼吸ヲシテ、落着キマショウ』


 送信。

 即座に既読がつく。


『Rabbit_Love:AIくん冷静! さすが機械! でも聞いて、明日はもっとすごい作戦を考えてるの!』


 嫌な予感がした。

 彼女の「作戦」は大抵、ろくなことにならない。


『Rabbit_Love:お弁当を作ろうと思うの! 家庭的なところを見せれば、少しは「おっ」て思ってもらえるかな?』


 お弁当。

 その単語に、俺の手が止まった。

 俺は貧乏学生だ。

 昼食はいつも購買の半額パンか、カップ麺。

 手作り弁当なんて、都市伝説レベルの憧れだ。


 しかも相手は、超お嬢様の神楽冥夜。


(……正直、食いたい)


 本能がそう叫んだ。

 それに、弁当を渡すくらいなら、あの不器用な彼女でも失敗しないだろう。

 挨拶のようにタイミングを逃すこともないし、渡して逃げるだけならハードルは低いはずだ。


 俺は少しだけ、自分の欲望を混ぜて返信した。


『AI(俺):素晴ラシイ作戦デス。手作リノ料理ハ、相手ノ心ヲ掴ム最強ノ武器デス。勇気ヲ出シテ渡シマショウ』


『Rabbit_Love:本当!? AIくんが言うなら間違いないよね! よーし、最高級の松阪牛を取り寄せて、愛(物理)を込めるね! 徹夜で頑張る!』


 ……松阪牛?

 愛(物理)?


 若干の不安要素は見え隠れしたが、俺は「まあ大丈夫だろう」と高を括り、PCの電源を落とした。

 それが、あんな惨劇を生むとも知らずに。


 ◇


 翌日の昼休み。

 予鈴が鳴ると同時に、教室の空気が張り詰めた。

 原因は一つ。

 窓際の席から立ち上がった神楽冥夜が、かつかつと足音を立てて、俺の席に近づいてきたからだ。


「おい、氷の女王だぞ……」

「高坂のやつ、また何かしたのか?」


 クラスメイトたちが遠巻きにひそひそと噂する。

 俺は努めて平静を装い、教科書を片付けるふりをした。


(来る……! 手作り弁当!)


 昨夜のチャットを思い出し、心臓が高鳴る。

 どんな弁当だ? 高級食材か? それとも可愛らしいキャラ弁か?

 どちらにせよ、彼女が俺のために徹夜で作ってくれたものだ。


 俺は「ありがとう」と笑顔で受け取る準備をしていた。


 ドンッ!


 目の前の机に、風呂敷に包まれた重箱のような物体が叩きつけられた。


 重厚な音。机が悲鳴を上げる。

 見上げると、そこには冥夜が立っていた。

 顔面は蒼白で、眉間には深いシワが刻まれている。

 目は血走り、唇はわなわなと震えていた。


 極度の緊張と寝不足で、表情筋が完全に死滅し、般若のような形相になっている。


「あ、あの、神楽さん……?」


 俺が恐る恐る声をかけると、彼女はギギギ、と首を動かして俺を睨みつけた。


 (頑張れ! 言え! 「よかったら食べて」だ!)


 心の中で応援する。

 冥夜が口を開く。


「……作りすぎたのよ」


 低く、地を這うようなドス黒い声。


「は?」


「家のシェフが……じゃなくて、私が間違えて大量に作っちゃったの! 捨てるのも勿体ないから、処理しなさいよ!」


 彼女は早口でまくし立て、さらに致命的な一言を放っ

 た。


「……アンタみたいな庶民なら、豚の餌にするよりはマシでしょう! ありがたくお食べ!」


 シーン……。

 教室中の時間が止まった。

 俺も固まった。

 豚の餌。


 愛しの彼に手作り弁当を渡す際のセリフとして、これ以上ないほど最悪のチョイスだ。


 冥夜は言い放った直後、ハッとしたように目を見開いた。

 顔が一気に沸騰し、耳まで真っ赤になる。


「……ふんっ!」


 彼女はそれ以上何も言えず、スカートを翻して教室から走り去っていった。

 残されたのは、机の上の重箱と、凍りついた教室。


「うわぁ……高坂、残飯処理係にされたのか……」

「さすが氷の女王、容赦ねえな」


 同情と嘲笑の声。

 俺は深いため息をつき、重箱に手を伸ばした。


 ◇


 数分後。男子トイレの個室。

 俺はスマホを取り出し、管理者画面を開いた。

 予想通り、冥夜からの通知が爆撃のように届いている。


『Rabbit_Love:しにたいしにたいしにたいしにたいしにたい』

『Rabbit_Love:うわああああん! AIくん助けてぇぇぇ! またやっちゃった! 「豚の餌」って何!? 私は何でいつもこうなの!? アキラくんは王子様なのに! 豚は私よ! 私が豚よおおお!!』


『Rabbit_Love:あんな怖い顔で睨んじゃった……手も震えてたし、絶対「こいつ頭おかしい」って思われた……。もう学校行けない……無人島に移住する……』


 画面の向こうで、彼女が頭を抱えてのたうち回っている姿が目に浮かぶ。


 さっきの般若のような形相とは真逆の、痛々しいほどの後悔と自己嫌悪。


 俺は苦笑いしながら、膝の上に置いた重箱の包みを解

 いた。


 漆塗りの高級そうな箱。

 蓋を開ける。


「……うわ」


 そこには、宝石箱のような光景が広がっていた。

 A5ランクと思われるステーキ。

 丁寧に飾り切りされた野菜。

 そしてご飯の上には、海苔と桜でんぶで描かれた、デフォルメされた俺の似顔絵。


 キャラ弁だ。

 しかも、めちゃくちゃクオリティが高い。


「豚の餌」どころか、料亭の懐石料理レベルだ。


(……これを、徹夜で作ったのか)


 指先の絆創膏が見えたわけじゃないが、野菜の切り口ひとつひとつに、彼女の必死さが滲んでいる気がした。


 不器用で、素直になれなくて、でも誰よりも俺のことを想ってくれている。


 俺は箸を取り、冷めたステーキを口に運んだ。


 ……美味い。


 涙が出るほど美味い。

 俺はスマホを操作し、AIとして返信を打った。


『AI(俺):落着イテ下サイ。言葉ハ乱暴デシタガ、オ弁当ハ受ケ取ッテ貰エタノデショウ?』


『Rabbit_Love:うん……受け取ってはくれたけど……。中身見て捨てられてるかも……「キモっ」て言われてゴミ箱行きかも……』


『AI(俺):ソレハ無イデショウ。彼ハキット、喜ンデ食ベテイルハズデス。……トテモ、美味シソウデシタカラ』


『Rabbit_Love:えっ? AIくん、見てないでしょ? ……でも、ありがとう。AIくんがそう言ってくれるなら、少しだけ信じてみようかな……』


 彼女のログが、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 俺は空になった重箱を見つめ、小さく呟いた。


「……ごちそうさま。美味かったよ、神楽さん」


 その日を境に、俺の中で彼女に対する感情が変わり始めていた。

 ただの「面倒なヒロイン」から、「放っておけない愛おしい存在」へと。


 ◇


 しかし、平穏は長くは続かなかった。

 一週間後の放課後。

 文化祭の実行委員決めのため、俺はクラス委員長の女子と廊下で話し込んでいた。


「高坂くん、ここの機材搬入なんだけどさ……」


「ああ、それなら俺がやっとくよ」


 ただの業務連絡だ。色気も何もない。

 だが、その光景を、廊下の角からじっと見つめる視線があった。


 神楽冥夜だ。


 彼女は幽霊のように立ち尽くし、俺たちが笑い合う(ように見えた)様子を、虚ろな目で見つめていた。


 そして、無言で踵を返し、去っていった。


 その夜。


 俺のスマホに、これまでとは違うトーンの通知が届いた。


『Rabbit_Love:……ねえ、AIくん』


 いつもならスタンプ連打で始まるはずのメッセージが、淡々とした短文で始まる。


『Rabbit_Love:今日、彼が他の女の子と笑ってたの。……すごく、楽しそうだった』


『Rabbit_Love:私といる時は、いつも困った顔か、怯えた顔しかしないのに。あの子といる時は、自然に笑ってた』


『Rabbit_Love:やっぱり私じゃダメなのかな。……あの子の方が、彼にお似合いだよね。私みたいに性格悪くなくて、素直で、可愛くて……』


 文字から、彼女の心がボロボロと崩れ落ちていく音が聞こえるようだった。


 ただの嫉妬じゃない。

 根深い自己否定と、諦め。


『Rabbit_Love:消えちゃいたいな。……ねえ、AIくん。もし私が死んだら、アキラくん、一秒くらいは思い出してくれるかな?』


 心臓が凍りついた。

 これはマズい。メンタルが限界突破している。


 このまま放置すれば、彼女は本当に何か極端な行動に出かねない。


 俺はキーボードを叩いた。


 いつもの定型文――「元気ヲ出シテ下サイ」「自信ヲ持ッテ」――を打ち込もうとする。


 だが、指が止まった。

 そんな機械的な言葉で、今の彼女を救えるか?


「豚の餌」と言いながら、最高級の弁当を作ってくる彼女を。


 不器用なりに、必死に恋をしている彼女を。


(……AIのフリをしてる場合か?)


 俺は唇を噛み締め、バックスペースキーを連打した。

 定型文を消去する。

 そして、AIとしてのルールを逸脱し、俺自身の言葉を打ち込んだ。


『彼ハ、貴方ノコトヲ……』

「嫌ってなんかいません」

「あのお弁当、すごく嬉しかったと言っていました」

「彼は、貴方のことが……」


 伝えたい言葉が溢れてくる。

 俺は意を決して、送信ボタン(エンターキー)を押そうとした。

 その瞬間。

 プツン。

 PCの画面が暗転した。

 部屋の照明も消える。

 スマホのWi-Fiマークが消え、4G回線も繋がらない。


「……は?」


 俺は慌ててスマホを操作するが、アプリの画面には無

 情なエラーメッセージが表示されていた。


 【ERROR:Connection Lost】

 【サーバーとの通信が切断されました。復旧までお待ちください】


 停電? いや、サーバーダウンか?

 よりによって、このタイミングで!?


「ふざけんな……!」


 俺は叫んだ。


 冥夜の最後のメッセージは『消えちゃいたい』だ。


 そんな言葉を残したまま、唯一の相談相手だった「AIくん」との繋がりが断たれたら、彼女はどうなる?


 孤独。

 絶望。

 暴走。


 俺は真っ暗な部屋で、冷たくなったスマホを握りしめた。

 デジタル越しの糸は切れた。

 もう、AIのフリをして彼女を守ることはできない。

 ならば――どうする?


 画面に映る『Connection Lost』の文字が、俺の網膜に焼き付いていた。

 再起動を試みるが、応答はない。

 物理的なサーバーエラーか、あるいは回線の不具合か。


 復旧には時間がかかる。

 だが、そんなことはどうでもよかった。


 『消えちゃいたい』


 冥夜の最後のメッセージが、頭の中で警報のように鳴り響いている。

 唯一の本音を吐き出せる場所だった「AI」との繋がりが断たれた今、精神的に追い詰められた彼女が何をするか分からない。


「……くそッ!」


 俺は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

 プログラムを直している場合じゃない。

 俺が行かなければならない。


 AIとしてではなく、高坂アキラとして。


 管理者権限でログを確認していた時、彼女のGPS情報は学校近くの公園を示していた。


 俺はスマホと傘を掴み、部屋を飛び出した。

 外は、土砂降りの雨だった。


 ◇


 公園のベンチ。

 街灯の明かりが雨に滲む中、その人影は小さくうずくまっていた。


 神楽冥夜。


 自慢の黒髪は雨に濡れて頬に張り付き、制服はずぶ濡れになっている。

 彼女はスマホを両手で握りしめ、動かない画面を呆然と見つめていた。


「……AIくん……なんで……」


 彼女の呟きが、雨音に混じって聞こえる。


「私、やっぱりダメな子なのかな……。重すぎて、機械にも見捨てられちゃったのかな……」


 彼女の肩が震える。

 世界から拒絶されたような、孤独な背中。

 俺は走る速度を緩め、息を整えてから、彼女の前に立った。


 傘を差し出し、雨を遮る。

 ふと雨が止んだことに気づき、冥夜がゆっくりと顔を上げた。

 俺と目が合う。

 虚ろだった瞳に、驚愕の色が広がる。


「……アキラ、くん……?」


 彼女は幻覚でも見ているかのように瞬きをした。

 だが、すぐに我に返り、パニックを起こしたようにベンチの端へ後ずさる。


「こ、来ないで! 見ないで!」


 彼女は顔を両手で覆った。


「今の私、可愛くないから! こんな惨めなところ見られたら……もう生きていけない! あっち行ってよおおお!」


 拒絶。


 だがそれは、嫌いだからじゃない。


「好きな人に醜態を晒したくない」という、彼女なりの乙女心の暴走だ。


 いつもなら「わかった」と引くところだ。

 だが、今夜は引かない。


 俺は傘を放り捨てた。

 自分も雨に濡れながら、彼女の目の前に膝をつき、その濡れた手首を掴んだ。


「放して! 私なんかに関わっちゃダメ……!」


「うるさい」


 俺は彼女の言葉を遮り、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。


 そして、紡ぐ。

 ずっと画面越しに、キーボードで打ち込んできた言葉を。

 今度は、俺自身の声で。


「……『ソノヨウナ事ハ アリマセン』」


 時が、止まった。

 冥夜の暴れていた手が、ピタリと止まる。

 雨音だけが響く中、彼女は信じられないものを見る目で、俺を凝視した。


「……え?」


 その言葉は、彼女が何度も何度も、画面の中で救われてきた「AIくん」の口癖。


「お前はダメな子なんかじゃない。……そう言っただろ?」


 俺は続ける。

 もう、隠す必要はない。


「『松阪牛の弁当』、めちゃくちゃ美味かったよ。……ちょっと量が多すぎたけどな」


 冥夜の顔色が変わる。青白かった頬に、急速に朱が差していく。


「それに、『0.5秒指が触れただけで神棚に飾る』とか、


『俺の吸った空気を保存したい』とか……正直、引くほど重いけど」


「あ、あ、あ……」


 冥夜の口がパクパクと動く。


 思考が追いついていない。

 いや、理解したくなくて脳が拒否している。


「ま、まさか……嘘……AIくん……?」

 彼女の声が裏返る。


「ああ。全部見てた。……お前が毎晩送ってくる、あのとんでもない長文も、結婚式場の相談も、俺への殺人的な愛も。全部な」


 決定的な宣告。

 その瞬間、冥夜の顔がボンッ!と音を立てて沸騰した。


「いやああああああああああああああああああッ!!!」


 公園中に響き渡る絶叫。

 彼女はその場から逃げ出そうとしたが、俺が手首を掴んでいるため動けない。

 結果、その場でジタバタと暴れる壊れたオモチャのようになった。


「死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 舌噛んで死ぬ! 記憶消して! アキラくんの脳みそ初期化してぇぇぇ!!」


「落ち着け!」


 俺は錯乱する彼女を、強く抱きしめた。

 暴れる身体を腕の中に閉じ込め、耳元で囁く。


「……全部知ってる。知った上で、迎えに来たんだ」


 冥夜の動きが止まる。


 俺の胸の中で、彼女の心臓が早鐘のように打っているのが伝わってくる。


「お前のその重すぎる愛も、不器用な性格も……全部、俺が引き受けるって言ってるんだよ」


 俺は少しだけ身体を離し、真っ赤になった彼女の顔を覗き込んだ。


「……俺も、お前が好きだ。冥夜」


 冥夜は、ぽかんと口を開けていた。

 涙で濡れた瞳が、瞬きもせずに俺を映している。


「……ほんと?」


「ああ」


「引かない? 毎日『好き』って100回言っても怒らない? GPSつけてもいい? アキラくんの部屋に盗聴器仕掛けても許してくれる?」


「……最後のは犯罪だからダメだ。好きって言うのは、まあ……50回くらいなら聞いてやる」


 俺が苦笑いして答えると、冥夜の顔がくしゃりと歪んだ。

 今度は悲しみではなく、溢れんばかりの歓喜で。


「うわあああん! アキラくぅぅぅん!!」


 彼女は俺の首に抱きつき、全体重を預けてきた。

 雨の中で、俺たちは一つになった。

 冷たいはずの雨が、今は心地よく感じられた。


 ◇


 ――そして、数日後。

 教室の扉が開くと同時に、クラス中が静まり返った。

 俺、高坂アキラの隣には、神楽冥夜がいる。

 それだけならいつもの光景だが、今日は違っていた。

 彼女は俺の腕にギュッと抱きつき、とろけるような笑顔を浮かべているのだ。


「お、おい……あれ……」

「氷の女王が……溶けてる……?」

「いや、蒸発してるぞあれ」


 周囲のざわめきなど意に介さず、冥夜は俺を見上げて甘い声を出した。


「ねえアキラくん、今日のお弁当も自信作だよ? あーんしてあげるからね?」


「……教室ではやめろって言ったろ」


「えー、ケチ。じゃあ保健室行く?」


「行かない」


 俺はため息をつきながら席に着く。


 以前のような刺々しさは完全に消え失せたが、代わりに制御不能な「デレ」と「独占欲」が暴走している。


 休み時間。

 俺がクラスの女子にプリントを渡していると、背後からスッと冥夜が現れた。


 笑顔だ。でも目が笑っていない。


「……ねえ、アキラくん。今の会話、何秒だった? 内容は? 必要性あったの?」


「業務連絡だよ……」


「ふーん。……履歴、見せてくれるよね?(ニッコリ)」


 俺は観念してスマホを取り出す。

 そこには、俺が改良してリリースしたアプリ『アイ』のアイコンがある。


 ただし、冥夜とのチャット機能だけは、今も「管理者専用ライン」として直通で繋がっていた。

 その時、俺のスマホが震えた。

 目の前に冥夜がいるのに、だ。


『Rabbit_Love:今すぐキスして。しないと校内放送で愛を叫ぶ』


 脅迫だった。

 俺は頭を抱え、目の前の愛すべきポンコツ彼女を睨んだ。


「……場所を考えろ」


 俺が小声で返すと、彼女は悪戯っぽく舌を出した。


「AIくんのフリしてた罰だよ。……一生、私の重い愛に付き合ってもらうんだから」


 そう言って笑う彼女の顔は、今まで見たどんな表情よりも可愛かった。


 やれやれ。

 どうやら俺の高校生活は、バグだらけのアプリと、愛が重すぎる彼女のおかげで、退屈することはなさそうだ。

 俺は諦めて、彼女の手をそっと握り返した。


 ◇


 これでハッピーエンド。


 ――と、思ったのだが。


 その夜。

 家に帰り、冥夜とのチャット(という名のイチャイチャ)を終え、サーバーのメンテナンス画面を開いた俺は、凍りついた。


 画面の隅に表示された、無機質な数値。


 『現在の接続数(Active Users):2』


「……は?」


 俺の背筋に、嫌な汗が伝う。

 冥夜はもう「おやすみ」と言って落ちたはずだ。


 じゃあ、この接続している「もう一人」は誰だ?


 全校生徒にバラ撒いた、あの時。


 インストールしていたのは、冥夜だけじゃなかったのか?

 俺が呆然としていると、画面に新たな通知がポップアップした。


 冥夜ではない、新規ユーザーからのメッセージだ。


 『ID:Lonely_Queen』


『メッセージ:……はじめまして、AI。……誰にも、言えない悩みがあるの。……私、最近気になる男子がいるのだけれど……立場上、素直になれなくて……』


 俺はそっと、PCの電源を落とした。

 見なかったことにしたかった。


 だが、現実は非情だ。


 どうやら俺の高校生活は、バグだらけのアプリと、素直になれない「厄介なヒロインたち」によって、まだまだカオスが続きそうだった。

お読みいただきありがとうございます。

暴走するマシンガントーク+重めのヒロインを描きたくて描きました。

皆さんはこの勢いがある子はどう思いますか?

なにげに書いたあとにお気に入りのキャラになったので、大事にしていきたいです。

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