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そのバザールついてのいくつかの噂話  作者: 川坂千潮
ユースグリットのバザールには精霊の子がいる
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 セマ・イーネは、初めて足を踏み入れたバザールに、きょろきょろ目移りする。

 そばかすが散る頬に、鎖骨を覆うほどの長さの髪を少量束ねて編みこんでいる。麻のワンピースには繊細な刺繍が施されていた。


「んひゃひゃ、ひろいわ、すてきだわ」

「セマ、ぶつかるぞ」


 ヴァルトル・クプカは、通行客とぶつかりそうになったセマの身体を軽く引き寄せた。

 少年も、頬や鼻梁にそばかすが散っており、長めの前髪で両目がかくされている。上衣を彩る刺繍は、少女の服と同じ模様だ。


「ごめんなさいヴァル、でもね、だってバザールよ!」

「そうだな、バザールだな、ほら、またぶつかるぞ」


 二人は十三歳。地元の基礎学校を卒業し、獣医を目指し専門学校を受験、合格してユースグリットへやってきた。商いの街、その中心地バザールはセマにとってあこがれの場所だ。

 ドーム型の屋根に覆われた広大な敷地には、ありとあらゆる店が軒を連ねている。

 東方のお香。帝国で流行りのアクセサリー。公国の工芸品。スパイスたっぷりの煮込み料理。ぶわりと湯気立つ蒸し料理。

 値段交渉に売り文句。世界中の言語が飛び交っている。

 この市場そのものが、まるで巨大な街だ。

 畜産をなりわいとし、草と野生のにおいのする故郷とはまるで違う。

 場内は取り扱う商品ごとに区画が整備され、案内板もそこかしこに設置されている。

 それでも迷子は多発する。

 おのぼりさんな少年少女もあやういのである。


「こっちかしら?」

「だと思う」


 二人で地図と案内板を見比べ、道をたしかめ、えんやこら歩いていると、ふより、と、真っ白なちんまい毛玉が近づいてきた。万象を司る精霊だ。


「お、小精霊」


 小精霊は、ヴァルトルが差し出した手のひらにうきうきと乗っかった。いっぴき乗れば、合図だったかのように、あちらこちらから毛玉が集まってきた。


「案内してくれるのか?」

「ありがとう」


 セマとヴァルトルは、小精霊たちに引率され、バザール西エリア《道草通り》へと無事に辿り着いた。

《道草通り》は土産物や高級品ではなく、子どもでも買いやすい手ごろな値段の雑貨や小間物などが多く売られている。

 実家からそれなりに生活用品は持ってきたが、学校の寮生活が始まると足りないものもいくつか。せっかくならばと、バザールに足を運んだのだ。

 日常に根付いた商品だからだろうか、通りは朗らかで、気さくで、店に入りやすかった。


「糸のセットが安いわ!」

「セマ、今日の目的はそれじゃねえ」

「ねえヴァル、おそろいで何か買わない?コップとかどうかしら?」

「もうコップはあるだろ、無駄遣いするな」

「はぁい」

「……こういう小さいやつなら、安くていいかもな……」

「んひゃひゃ!かわいい羊さん!」


 ひとしきり日用品を買い終えた二人は小腹がすいた。


「もう昼過ぎか」

「お買い物に夢中になっちゃったわね、ヴァル、何か食べたいものあるかしら?」


 ごはん? それならこっちだよと、買い物についてきた小精霊たちが二人をひっぱった。

 何件もの屋台を素通りし、通りの端で小精霊はようやく止まった。

 店の看板には【たい焼き屋】と書かれている。初めて聞く名称だが、あまいにおいがするので菓子だろうか。


「いらっしゃいませ」


 頭にバンダナを巻いた秀麗なかんばせの青年が、虹色に光る双眸をゆるりと細めた。

 青年の周りにも毛玉が群がっていた。

 さて、小精霊は只人には視えない存在だ。視えて、聞こえて、言葉を交わせる人間は限られている。

 筆頭はこの国の王族。魔術師や、魔術師にならずともその血が流れている者。

 それから、人と精霊の間に生まれし者、虹の子。


「俺はエフェ、この店の店主をしています」


 名称の由来である虹色の瞳は、精霊に連なる者である証だ。


「……こ、こんにちは……」


 セマはかろうじて挨拶をし遂げると、ヴァルトルの服をきゅっと摘み、貝のように黙ってしまった。

 現代、虹の子は稀少どころかお伽噺の存在だ。怖がっているわけではない、むしろ、思いがけず隣人と出逢えたことに歓喜している。ただ、突然の邂逅に、極度に緊張しているだけだ。

 ヴァルトルは臆せずエフェに話しかけた。


「タイヤキって何ですか?」

「そこからだよね」エフェは問われ慣れていた。「たい焼きは東方の国のお菓子なんだ」


 さかなの型に流し込んで焼いた生地に具をはさみ、手づかみで食べる。


「定番は餡子味だよ」


 アンコとは豆を砂糖で煮詰めたペーストだ。だがエフェの店では肉や魚を挟んだものも売られている。


 ──たいやき、おいしいよ!

 ──とぉってもあまいんだぁ

 小精霊がはしゃいでいる。


「おい、もしや、お前らが食べたかっただけか?」

 ──まっさかぁ

 ──エフェに会わせてあげたかったのもほんとだよ

「こら、語るに落ちてんじゃねえか」


 ヴァルトルが毛玉をつつけば、きゃあーっ、とふよふよ宙を転がった。


「よければ試食してみる?」


 エフェは一口サイズのたい焼きを、少年少女に差し出した。


「ありがとうございます」

「いっ、いただきます」


 初の餡子は、ふわふわな食感に、しっとりとした甘さ。ヴァルトルとセマはすぐさま定番を注文した。


「気に入ってくれてよかった、あらためて、はじめまして、ちいさな魔術師さん、俺はエフェ、虹の子です」


 焼きたてを渡しながら挨拶を仕切り直ししたエフェに、少年少女はどきりとした。


「ご存じでしたか……」


 ヴァルトルは云うが、小精霊とたわむれている時点で、正体を明かしているも同然である。


「この子たちが教えてくれたんだ」


 エフェは小精霊を指の腹でなでた。「やっぱりか」ヴァルトルも悪びれない小精霊をつつけば、きゃあーとふよふよ宙をころがった。二回目である。


「ヴァルトル・クプカです」

「セ、セマ・イーネです」

 ──ヴァルトル、おぼえた!

 ──セマ、セマね、すてきな名前ね


 毛玉たちもちいさな魔術師たちの名前をくりかえした。

 精霊が名を呼ぶのは、歓迎の証だ。



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