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そのバザールついてのいくつかの噂話  作者: 川坂千潮
ユースグリットのバザールはかつて精霊院だった
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3

「じゃあ、私は食堂で待ってるね」


 ニコリナは気を利かせて立ち去ろうとしたが、フィリスが引き止めた。


「レッツェルさんもご一緒にどうぞ」

「えっ、わ、私もいいんですか? ていうか、な、なま、ああああの、わ、私の名前、知って……!」

「もちろんです、お休みの度に熱心にお祈りしてらっしゃるでしょう、それに、お菓子作りや孤児院の手伝いもしてくださっているじゃありませんか、いつもありがとうございます」

「ふわぁああああ」


 ニコリナは感動のあまり空を飛びそうであった。

 一方、魔術師の子どもは岩のようにかたまっている。


「そんなに緊張しないで下さい、誘ったのはこちらですから、さあ、こちらです」


 子どもたちは、フィリスの後をぎくしゃくとついていった。

 精霊院の奥には、厳重に施錠された、荘厳な扉が立ち塞がっていた。フィリスは懐から鍵の束を取り出し、手際よく解錠した。

 扉の先には、回廊が伸びていた。中庭には低木が植えられ、可憐な野花が咲いている。木製のベンチに腰掛け書物を読んでいた巫女と、フィリスが無言で挨拶を交わした。

 素朴な風情。巫女や神官たちの憩いの場。

 観光客も信者も立入禁止の、大精霊に仕える者のみが踏み入れることが許可された領域に、今、自分たちはいる。


「お姉様──エフェくんのお母様はこの月の精霊院の巫女長で、私の教育係でした」


 フィリスが云った。


「お姉様は太陽の大精霊様と恋に落ちて、エフェくんを懐妊なさって、精霊院はてんてこ舞いでした、私も出産の手伝いや、ちっちゃいエフェくんのお世話をしました」

「あの……」ヴァルトルが質問する。「虹の子って、大精霊の院に籍を置くんですよね?」

「その通りです、特例の戸籍となります」


 当然だが、精霊に人間社会での戸籍はなく、街に住むこともない。

 大精霊に見初められた人間と虹の子は身の安全のため、精霊院の庇護下に置かれるよう法律で定められている。大精霊と正式な契りを結んだ際に、精霊院へ籍を移し、虹の子も成人まで精霊院が自宅となる。

 ちなみに、歴史書にて大精霊と婚姻した者は、全員が精霊院の巫女である。


「本来なら太陽院に籍を置き、そこで家族で暮らすのですが……お姉様は太陽院ではなく、月の院、こっちで籍をつくっちゃいました」

「太陽院から反対されなかったんですか?」


 かつての精霊院は、表向き権力はなかったものの、高位貴族と深く繋がっていたり、懇意にしすぎている商人がいたりと、色々きな臭かった筈だ。プライドだって高かったろう。

 大精霊の院をあしらうような我儘が、まかり通ったのだろうか。


「大精霊様本人から『おれの奥さんよろしく』って手土産渡されましたので、ね」


 異議なし、である。


「それに、お姉様は巫女長として、荒んでいた各院に大きな改革をしました、それに伴って、神官長もほとんどが代替わりしたんです、新しい神官長の方々は、皆、お姉様に協力的でしたよ」

「……そっすか」

「私……こんなお話聞いちゃっていいのかな……」


 ニコリナは身体を震わせた。


「ごめんなさい、こんな話……幻滅させちゃったでしょうか」


 切なげなフィリスに、ニコリナは勢いよく首を横に振った。


「私なんかがエフェ様のお母君やエフェ様の生い立ちを巫女長様直々にお聞かせ頂けてありがたくて幸せでおそれおおくてでもこんな機会生きている内に二度とないかもしれないし巫女長様のきれいなお声もずっと聞いていたゼハッ」

「ニコリナちゃん!息をして!」


 セマがニコリナの背中をさすった。


「そっちか……」


 ヴァルトルはちょっと遠い目をした。


「す、すみません、興奮して……」


 ニコリナとて、精霊院が清く正しいものとは思っていない。信仰が篤い祖母だって、たまに神官の悪口を云うし。

 でも、ニコリナが初めて参加した茶会の手伝いで、菓子作りに失敗した時、巫女は「わたしたちのおやつにしちゃいましょう」とお茶目にかばってくれた。バザールの手伝いの最中、しつこい参加者に絡まれていた時に、神官がさりげなく助けてくれた。

 なにより現巫女長フィリスは憧れだ。

 バザールでニコリナにおいたをした参加者は、フィリスが直々に説教したという。医師の資格も持っており、体調不良の信者を介抱した、街の公衆衛生を整えるよう進言した、など伝説は数知れず。

 偉ぶらず、厳しくも優しい、いつか月の大精霊へ嫁ぐ巫女様。


「フィリス様も院の方々も、尊敬しています!」

「──ありがとうございます、ますます精進しなくてはいけませんね」

「きっと、父も聞きたがったと思います」


 大精霊と先代巫女長の婚姻譚。ユースグリットの歴史を調べている父にとって垂涎物の話だろう。帰ったら話してあげよう。


「エフェ君は私にとってもアイラスナイ様にとっても、かわいい弟です、だから、貴方たちに会ってみたかったんです」


 ──ちいさな魔術師さん。


 果たして、自分たちは巫女長のお眼鏡にかなっただろうか。


「エフェ君ったら、ずーっと貴方たちのことを話しているんですよ、真面目でいい子で魔術も上手で、たい焼きをおいしそうに食べる姿が可愛すぎるとか、お話通り、二人とも可愛いですね」

「エフェさん!」


 セマとヴァルトルは悲鳴を上げた。


  ×  ×  ×


回廊を進むにつれて、ちいさな魔術師たちは、おだやかでなくなっていった。神経が張り詰め、身体の寒気がとまらない。


「こちらです」


 扉代わりに重厚な布が下げられている。

 その部屋は、人の空間ではないと魔術師の本能が告げている。

 回廊の最奥──精霊殿。

 部屋の主は、脚の短いテーブルに用意されている菓子に手を伸ばしていた。


「遅い、待ちくたびれたぞ」


 大精霊は、クッションへだらりと身をゆだね、菓子を口に放り込んだ。


「こら、アイラ!つまみ食いなんて、お行儀が悪いですよ」

「これくらいよいではないか」


 よいせ、と大精霊は身を起こした。その間も菓子から手を離さない。ぐうたらな態度だというのに、微塵もみっともなさは感じられない。


「妾は月の大精霊、アイラスナイ」


 人智の及ばぬうつくしさは、みてくれの美醜という意味ではない。

 果てない砂漠。山頂から望む旭光。草木がささめく湖畔。

 大自然は、ヒトの身のちっぽけさを浮き彫りにすると同時に、抱える鬱屈や悩みなど些細なことだと思い知らせる。

 アイラスナイのうつくしさとは、そういう類いのものだった。


「どうぞ好きにお座りください」


 フィリスに促され、三人の招待客はテーブルの周りに正座した。大精霊の御前で足を崩す豪胆さはない。

 ちなみにテーブルの菓子には素直に喉が鳴った。

 柑橘系のシロップに漬けたビスケット。揚げドーナツ。ドライフルーツ。

 フィリスが淹れた、あまさひかえめの紅茶。


「さあ、お茶会を始めましょう」



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