【短編版】今度の死因は絶対、老衰ですの!~ワガママ王女、死に戻って華麗に人生やり直します~
「お逃げください、イレーヌ様……!」
敵と斬り合いを続けながら、オリヴィエが必死の形相でそう言った。しかし多勢に無勢。既に宮殿中に敵が溢れかえっていて、逃げられるところなんて見つからない。
どうして? どうして、こんなことになってしまったの?
わたくし……イレーヌ・フォン・ティーグルは、この国の第一王女。
生まれながらにして跡継ぎになることが決定していた、この国の次期最高権力者。
欲しい物は全て手に入り、嫌いな人間は皆追いやることができる。
そんな、誰もが羨む立場にいるはずだった。いや、いたのだ。
それが今、宮殿には隣国の兵士が侵入し、イレーヌを守るべき近衛兵たちは敵の味方になってしまっている。
たった一人、イレーヌ付きの騎士・オリヴィエを除いては。
革命だ。
国内の反体制派が隣国と手を組み、イレーヌを殺そうとしている。
お母様は? お父様は? もう、殺されてしまったの?
「イレーヌ様! さっさと逃げてください!」
「……なんで、わたくしを守ってくれるの?」
革命の原因は単純明快。度重なる圧政が、民衆を苦しめたからだ。
イレーヌのもとにも、苦しむ民の声は届いていた。しかし、特に気にしたことはなかった。
美味しい物を食べ、派手な舞踏会を開き、高価なドレスや装飾品を買いまくった。
ひたすらワガママな生活を続けた結果が、これだ。
「貴女が王女で、俺が貴女の騎士だからです」
そう答えたオリヴィエの表情は暗く、彼の身体に限界が迫っていることを示していた。それでもオリヴィエは戦うことをやめない。
騎士として、王女を守るために。
……オリヴィエはきっと、わたくしのことなんて好きじゃない。
ワガママな王女だと、嫌っているかもしれない。
なのに。
今、オリヴィエだけがわたくしを守ってくれている。もう、王女として何も与えられなくなってしまった、このわたくしを。
「オリヴィエ、わたくし……!」
なにを伝えたかったのかは分からない。それでもなにか伝えなきゃ、そう思った。
だけど。
その瞬間、オリヴィエは死んだ。
オリヴィエに致命傷を与えた金髪の男は、確か隣国の第二王子。
「もう、誰も貴女を守ってくれませんよ。イレーヌ殿下」
捕えろ! と彼が部下に命じると、イレーヌはあっという間に兵士たちに囚われてしまった。
◆
生まれながらの王位継承者、この世界の全てを手にしていると評された、美貌の王女。
イレーヌ・フォン・ティーグルは翌日、民衆の前で処刑された。
圧政に苦しんだ国民は、彼女の処刑を大喜びし、新しい時代の到来を祝福したという。
◆
「どうして、こんなことに……!」
ガバッ! と勢いよく起き上がった瞬間、視界に煌びやかな部屋が飛び込んできた。
椅子もテーブルも絨毯も、全ての家具が特注で作らせた一級品。しかも、前の物は飽きたから、なんて理由で、2週間前にすべて新調した物だ。
「え? 待って、どういうこと……わたくし、どうして生きて……?」
混乱したままベッドから下り、鏡の前に向かう。そこに映っているのは、間違いなく自分自身だった。
ただし、若返っている。
処刑されたのは、19歳の誕生日。華々しいパーティーの主役になるはずだった日に、イレーヌは処刑されたのだ。
しかし鏡に映るイレーヌは、どう見ても19歳には見えない。
「いったい、これは……」
突如、鋭い頭痛がイレーヌを襲いかかった。
そして思い出す。
イレーヌは今、14歳。
蝶よ花よと育てられ、次期最高権力者としてちやほやされる日々を送っている。
「……じゃあさっきのは、ただの夢?」
いや、違う。ただの夢だと思うには、あまりにもリアルだった。
「もしかして、予知夢……?」
根拠はない。けれど確信はある。きっとあれは、イレーヌの未来だ。今のまま生きていたら、19歳の誕生日にイレーヌは死んでしまう。
「ど、どうしましょう……!?」
青ざめたイレーヌが両手で頬を挟んだ瞬間、部屋の扉が開いた。慌てて室内に入ってきたメイドが5人、床に額をこすりつけて土下座する。
「申し訳ございません、イレーヌ殿下! 殿下が目を覚ますよりも後にきてしまうなんて……」
「どうかご容赦を、殿下……!」
イレーヌは毎朝、メイドに起こしてもらっている。予定を完璧に把握したメイドたちが、イレーヌの起床時間を管理しているのだ。
起きた後はすぐに蜂蜜がたっぷり入った果実水を一杯。
その後、部屋でゆっくりと朝食をとってから身支度を整える。
それが、イレーヌの毎朝のルーティーン。
ほんのちょっとでもそれが崩れた時、イレーヌは烈火のごとくメイドを叱責していた。
「……貴女たち」
いつものイレーヌなら、今だって怒鳴っていただろう。
『どうして、わたくしが起きる前にこないのよ!?』
そう言って、朝から彼女たちを罵っていたに違いない。
しかし、今朝のイレーヌは違った。なぜなら……。
そんなことをしていたから、わたくし、メイドにも相当嫌われていたんですわ!
「顔を上げなさい」
ゆっくりと顔を上げたメイドたちが、涙のたまった瞳でイレーヌを見つめる。
そんな彼女たちを見ていると、今までの自分がいかに愚かだったかを実感した。
王女だからと偉そうにして、ワガママに振る舞って。
みんなわたくしの言うことを聞いてくれたけれど、でも、裏ではみんなわたくしを嫌っていたわ。
身分が低い人間に嫌われたところで、何の問題もない。
そんなイレーヌの考えは、間違いだったのだ。
「わたくしがたまたま早く起きただけよ。気にしないで」
「イレーヌ殿下……?」
「それより、今日も朝からご苦労様。ありがとう、みんな」
天使のような微笑みを浮かべるイレーヌに、メイドたちは全員混乱した。
ワガママな王女としてみんなに嫌われて、処刑されるなんてまっぴらよ!
あんな夢の通りになんて、絶対させないわ。
19歳の誕生日に死ぬなんて嫌だ。
絶対、もっと長生きしたい。
それに、わたくしの処刑を全国民が笑って祝福するなんてごめんだわ!
決めたわ。
今度の死因は、絶対、老衰よ!
全国民を、わたくしの老衰による悲しみで絶望させてやるんだから!
◆
「今日は下がっていいわ。わたくし、少し一人になりたいの」
そう言ってメイドたちを下がらせ、自室で一人きりになったイレーヌは、ベッドに座って今朝の夢のことを思い出す。
国民たちは王家を恨んでいて、貴族の中にも王家をよく思っていない人たちがいた。
そんな貴族たちが裏で隣国と手を組み、革命を企んだ。
そして、イレーヌは殺された。
「……これを回避するには、どうすればいいのかしら」
目を閉じ、現状を整理する。
父である国王は現在、ほとんど仕事をしていない。病弱な父に代わって、公務に励んでいるのは母である王妃だ。
とはいえ母は、政に全く関心がない。彼女の関心は社交界や流行りの舞台、音楽にばかり向けられていて、仕事は高官に任せっぱなし。
「そして跡継ぎであるわたくしも、贅沢三昧の日々……」
どう考えても最悪の状況だ。
「問題はいくつもあるけれど、まずわたくしにできることから始めるべきね」
イレーヌは王位継承者だったとはいえ、実際に政を執り行っていたわけではない。にも関わらずあそこまで国民に嫌われてしまったのは、ワガママ王女という悪評のせいだ。
14歳の今も、既にイレーヌのワガママっぷりは周囲に知られている。しかし、まだ間に合う。
なぜなら、正式に社交界デビューをするのは15歳の誕生日からだからだ。
それまでにとりあえず、イレーヌがするべきことは……。
「イメージアップ作戦、決行ですわ!」
◆
「先生。今日もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
ドレスの裾を持ち上げ、丁寧に頭を下げる。たったそれだけのことに、家庭教師であるクロエは目を見開き、驚きのあまり手に持っていた分厚い本を床に落とした。
「まあ、先生。どうかしまして?」
そしてその本をイレーヌは拾った。
「ひ、姫様……?」
「はい」
「い、今、姫様はなにを……わ、私が落とした本を、拾って……?」
「ええ。どうぞ、先生」
にっこりと笑って、拾ったばかりの本を差し出す。ひょえ!? となにやら変な悲鳴を上げ、クロエは瞬きを繰り返しながら本を受けとった。
クロエは、幼い頃からイレーヌの家庭教師を務める女だ。
侯爵家出身の令嬢でありながら、未婚を貫き、国立図書館の館長を務める才女でもある。
正直、家庭教師にはもったいない人物だ。そんな才女を強引に家庭教師に任命したのは、イレーヌを溺愛する王妃である。
王妃の命令に逆らえるはずもなく、クロエはしぶしぶ家庭教師をすることになった。
それなのに、わたくしは今まで散々な態度で、ちっとも真面目に勉強をしてこなかったのよね。
「先生。わたくし、宿題の件で先生に謝らなければいけないことがありますの」
「……え? は、はい。分かっていますよ。やっていないのでしょう?」
「いえ。やったのだけれど、どうしても分からないところがあって。先日教えていただいたところですのに」
「えっ!? しゅ、宿題をやってくださったのですか、姫様が!?」
そんなに驚くことないじゃない……とは、言えないわね。
だってわたくし、一度も宿題をやったことなんてないんだもの。
勉強嫌いのイレーヌは、出された宿題をやったことは一度もなかった。しかし考えてみれば、それは大問題だ。
わたくしはいずれ王になる身。それなのに勉強もしない王女なんて、みんなに嫌われるに決まってるじゃない。
もちろん今だって勉強は嫌いだ。宿題なんてやりたくないし、できることならクロエの授業もサボりたい。
でも、だめよ。ちゃんと勉強しないと。
勉強して、わたくしが才女だってみんなに思ってもらう必要がありますもの!
「ええ。先生、わたくし、すごく反省しているんですの。勉強をサボっていた過去のことを」
跪いて、そっとクロエの手を握る。女性にしては大きな手のひらは硬く、中指には立派なペンだこがあった。
「先生。わたくし、今日から心を入れ替えて頑張ります。ですから……わたくしを見捨てず、教えていただけませんか?」
「姫様……」
じわ、とクロエの目に涙がたまっていく。懐から取り出したハンカチで涙を乱暴に拭うと、クロエは跪いてイレーヌに目線を合わせた。
「姫様は、勉学において最も必要な資質を持っていらっしゃいます」
「最も必要な資質?」
「はい。それは、自分の過ちを認められることです。……最初から、正解ばかりを選べる人なんていませんから」
イレーヌの目を真っ直ぐに見つめ、クロエはゆっくりと微笑んだ。
考えてみれば、彼女の笑った顔を見るのは初めてかもしれない。
当たり前よね。わたくしは今まで、先生の話をちっとも聞いてこなかったんだもの。
その上、口うるさいとか、鬱陶しいとか、あちこちで先生の悪口を言ったりして……。
「姫様。分からないところはなんでも聞いてください。私に答えられないこともあるかもしれませんが、その時は一緒に考えましょう」
「先生……!」
なんだかわたくし、できる気がするわ。
やればきっと勉強だってできるわよ。だってわたくし、王女なんだもの!
そうしてイレーヌは生まれて初めて、真面目にクロエの授業を受けた。
感動したクロエがその様子を周囲に言いふらし、イレーヌの評判は上がった。
とはいえ。
イレーヌに勉強の才能があるかどうかは、また別の問題だったのである。
◆
いよいよ明日は、わたくしのお披露目パーティーですわ……!
王侯貴族の令嬢にとって、社交界デビューはものすごく大事だ。その時の印象次第で、今後の社交界での立ち位置が変わってしまう。
前はわたくし、美貌と権力を誇示するために必死でしたけれど……今なら、それが正しくないことはもう分かるわ。
大事なのは派手で特別で豪華な衣装を着ることではない。
むしろ、その逆だ。
イレーヌのドレス代は国庫から支払われている。民衆の金で過度に着飾ることは、王女として褒められた振る舞いではない。
だからこそ、質素でシンプルなドレスを着ることで、無駄遣いを嫌う王女だというイメージを皆に伝えることができる。
しかもわたくしって、地味なドレスでも超絶可愛いもの。
うんうん、と頷いたところで、頭の中にオリヴィエの顔が浮かんだ。
美しさも、王女という権力も、有効なのは平和な時だけ。
イレーヌをちやほやしていた男たちは、誰一人としてイレーヌの命を救おうとはしてくれなかった。
わたくしを守ってくれたのは、オリヴィエだけ。
オリヴィエがイレーヌ付きの騎士になったのは、イレーヌが16歳になる少し前だ。つまり、約一年後である。
それまで、オリヴィエとの間に面識はなかった。パーティーで一緒になったことはあるかもしれないが、少なくともイレーヌがオリヴィエを認識したことはない。
……今度の誕生会、オリヴィエもくるのかしら?
彼だけはきっと、イレーヌのことを裏切らない。そう思うと、一秒でも早くオリヴィエに会いたくてたまらなくなった。
◆
「お綺麗です、姫様……!」
パーティーのために身支度を整えたイレーヌを見て、メイドがうっとりとした声を漏らした。
高価すぎるドレスではないが、王女として相応しい物を選んだのだ。
イレーヌは、桃色の髪と水色の瞳を持つ美少女である。どんな色のドレスでも似合うが、彼女の美しさを最も際立たせる色は純白だ。
袖や裾には繊細なフリルとレースが縫いつけられ、ところどころに宝石が散りばめられている。
宝石といっても、当初予定していたような高価な物ではない。
それに、ところどころ、偽物の宝石も混ざっている。
でもまあ、物の値段って、遠目から見たら意外と分からないものね。
鏡に映る自分を見ながら、イレーヌはそんなことを考えた。
宝石の質やドレスの生地の質は、もちろん近くで詳しい人間が見れば分かる。しかし、遠目にはその差は分からない。
それにわたくしは、どんなドレスだってとっても可愛いもの!
予知夢でも、美貌だけが取り柄、と散々悪口を言われていた。裏を返せば、イレーヌの美貌には誰も文句を言えないということだ。
当たり前だが、美貌は武器になる。しかし同時に、反感を買う可能性もある。
今日のパーティー、慎重に動く必要があるわね。
◆
会場に入ると、大歓声がイレーヌを包んだ。当たり前だわ、と内心思いつつ、穏やかな微笑みを保って広間の中心へ向かう。
病弱な父は、今日のパーティーも欠席だ。そのためパーティーの主催者は王妃のアゼリーである。
「イレーヌ!」
駆け寄ってきたアゼリーは、真っ赤なドレスに身を包んでいる。これほど派手な色が似合う者は、この会場の中でもそうはいないだろう。
「みんな、貴女を待っていたわ。もう準備はできているの」
「ありがとうございます、お母様」
パーティーの経験はないけれど、リアル過ぎる予知夢で何度も経験している。
今さら緊張なんてしないが、わざと緊張しているふりをして、震える手でグラスに手を伸ばした。
「皆様、本日はわたくしのためにお集まりいただき、ありがとうございますわ」
腹から声を出して挨拶し、できる限り多くの参列者と目を合わせる。
もちろん、目が合うたびに笑うことも忘れない。
「それでは、乾杯!」
そう言った瞬間、イレーヌは壁際に立つ一人の青年に気づいた。
日に焼けた鍛えられた身体には、パーティー用の正装は窮屈そうだ。邪魔なのか、長い黒髪はいつも通り後ろで一つにまとめられている。
オリヴィエじゃない!
駆け寄って肩を叩きたくなる衝動を抑え、イレーヌと乾杯したくて近寄ってきた一人ひとりとグラスを重ねる。
しかしイレーヌの頭の中は、オリヴィエのことでいっぱいだった。
オリヴィエはこないでしょうね。
パーティーなんて面倒だから、今すぐ帰りたい、とでも思ってるはずだわ。
オリヴィエは伯爵家の次男だ。長男以外の貴族は、文官や武官として働くか、婿養子として他家の娘と結婚する。
オリヴィエは騎士になる道を選び、王家直属の騎士団に入団した。
そして、真面目さと家柄のよさが評価され、王女付きの騎士という名誉を賜ったのである。
まあ、オリヴィエはちっとも望んでいなかったんでしょうけど。
おそらくオリヴィエは、実戦から縁遠い王女付きの騎士になどなりたくなかったのだ。
それでも彼は仕事だからと、最期までイレーヌのことを守ってくれた。
いつも仏頂面で、愛想よく笑ったことなんて一度もないし、わたくしの美貌を前にしても平然としていたのに。
せっかくだし、落ち着いたら話しかけてみようかしら?
◆
って、ぜんっぜん、落ち着かないじゃない……!
イレーヌと話をしたい貴族たちの行列がやっと終わったかと思えば、次はダンスに誘いたい令息たちに囲まれてしまった。
しかも、その中には婚約者がいる令息もいる。
ああもう、そういうの、本当にやめてくれないかしら!?
婚約者らしき令嬢たちが泣きそうな顔してるじゃないの!
前のイレーヌなら、得意げな顔で婚約者持ちの男とダンスを踊ってやっただろう。
婚約者に勝ち誇った笑みを向け、美貌を誇示していたに違いない。
わたくしって、本当に阿呆だったのね……。
「イレーヌ殿下。私と踊ってくれませんか」
「いえ、私と!」
「いいえ、私と踊ってください!」
必死な顔で手を差し出してくる令息たちを観察する。
全員がそれなりの家の息子だが、もちろん、王女であるイレーヌと釣り合うレベルではない。
婚約者のいない者全員と踊る、というのは無理だ。時間がない。
かといって、選びたい男もいない。
だってここにいる全員、都合が悪くなったら、わたくしを裏切って敵国についた連中ですもの!
ふとオリヴィエのことを思い出し、イレーヌは必死に彼の姿を探した。
相変わらず壁際に一人でたたずみ、退屈そうにグラスを傾けている。
……決めたわ。
「ごめんなさい、皆様。わたくし、もう踊る方は決まっていますの」
イレーヌの言葉に、令息たちだけでなく、広間にいる全員が驚いた。
当たり前だ。イレーヌにはまだ婚約者がおらず、ぜひうちの息子を! と気合が入っている者ばかりなのだから。
そういう貴族同士の争いに巻き込まれるのもまっぴらよ。わたくしに得がないんだもの。
驚いて何も言えなくなってしまった令息たちを放置し、イレーヌは真っ直ぐにオリヴィエの前へ向かった。
そして、笑顔で手を差し出す。
「ねえ、貴方。わたくしと踊ってくれない?」
「……あの。俺はリシャール家の次男ですが、誰かと間違えているのでは?」
イレーヌに微笑みかけられたにも関わらず、オリヴィエは困惑した顔でそう言った。
首を傾けた拍子に長い髪が揺れ、わずかに汗の匂いがする。
オリヴィエのことだ。きっとパーティーの寸前まで訓練に励んでいたのだろう。
「ええ、知っているわ。オリヴィエ・フォン・リシャール。わたくし、貴方を誘ったんだもの」
紫色の瞳が細められる。オリヴィエの困りきった顔を見て、なんだか気分がよくなった。
ふふ。精神年齢で言えば、わたくしは19歳。今のオリヴィエと同い年なのよ。
オリヴィエの後ろで慌てた顔をしているのは、オリヴィエの兄と父だ。
まさか、オリヴィエが王女から誘われるとは思っていなかったのだろう。
「どうかしら?」
「……俺でよければ」
予想通りの答えだ。この状況でオリヴィエが断れるはずがない。
もっと嬉しそうな顔しなさいよ! なんて、オリヴィエ以外なら思ったでしょうね。
曲に合わせ、オリヴィエと踊り出す。そういえば、こうやってオリヴィエと踊るのは初めてだ。
パーティーの際も常に傍に控えていたオリヴィエのことをイレーヌは一度も誘わなかったし、オリヴィエがそれを望むこともなかったから。
整った顔をしているわりに、浮いた話は一度も聞かなかったわね。
真面目で鬱陶しい、なんて愚痴ならいくらでも聞いたけれど。
ダンスに不慣れなのだろう。オリヴィエのステップは正直、へたくそだ。けれど必死に、背が低いイレーヌに合わせようとしているのが伝わってくる。
一曲踊り終えると、相変わらずの不愛想な顔でオリヴィエが口を開いた。
「……申し訳ありません。ダンスは下手で。その、稽古ばかりしているものですから」
「分かるわ。本当に貴方は、剣の稽古が好きよね」
うっかり口にした直後に、イレーヌは自らの失敗に気づいた。
オリヴィエとは初対面なのだ。それなのに、この言い方はまずかっただろう。
オリヴィエだってびっくりしてるわ。なにか言わなきゃ!
えーっと……あ、そうだわ!
「手のひらよ、手のひら!」
「手のひら?」
「ええ。貴方の手、すごく硬かったわ。きちんと鍛えている人の手だと思ったの」
「イレーヌ殿下……」
「それに肌も。日に焼けているのは、毎日外で訓練に励んでいるからでしょう?」
イレーヌの傍にいない時間、オリヴィエはいつも稽古に励んでいた。寝る間を惜しんで訓練していると聞いた時は、理解できないと呆れたものだ。
恋人もおらず、娯楽にも興味がなく、一心不乱に訓練ばかりする真面目な騎士。
つまらない、なんて思うだけで、どうしてかなんて考えたことはなかったわね。
毎日なにかをする、ということは大変だ。最近は勉強を真面目にするようになったからこそ、その辛さがよく分かる。
セシリアと話をして、仕事の後になにかをすることの困難さも分かった。
どうしてわたくしは、なにも知ろうとしなかったのかしらね。
「ねえ、オリヴィエ。よかったら、ちょっと話せないかしら?」
「はい?」
「外の空気が浴びたい気分なの。付き合ってくれない?」
あ、まずいわ。自分が主役のパーティーなのに外の空気を浴びたいだなんて、ワガママだったかしら?
焦ったイレーヌは慌てて発言を撤回しようとしたが、それは失敗した。
「……喜んで、殿下」
初めて見るオリヴィエの微笑みに、イレーヌが言葉を失ってしまったからである。
◆
バルコニーに出て、オリヴィエと二人で向き合う。二人きりと言っても、バルコニーはガラス張りだ。
広間にいる人に姿に見られている以上、あまり近づくことはできない。
「貴方はどうして、そんなに訓練に励んでいるの?」
率直に尋ねると、オリヴィエは黙り込んでしまった。
今ならなんとなく分かる気がする。オリヴィエはただ、真剣に考えてくれているだけだ。
それなのにせっかちなわたくしは、オリヴィエの話をろくに聞かなかったのよね……。
「……どうして、と言われても、考えたことはありませんでした」
「そうなの?」
「はい。幼い時から、騎士として育てられていますので」
他にも選択肢はあるはずだが、両親がオリヴィエの適性を見抜いていたのだろうか。
「……貴族なんだから、騎士としての実力に関係なく、遊んで暮らせるのに?」
貴族の中には優れた騎士もいる。だが大半は、仕方なく騎士をやっている連中ばかりだ。
そういう連中は戦場には絶対行かないようにしているし、訓練への参加率も極めて低い。
伯爵家の次男であれば、そういった生き方もできるだろう。
「大事なものを護るために、強くならねばならぬと、叔父から教えられました」
「叔父様に?」
「はい。叔父も、騎士として生きていますので」
そうなの、とイレーヌが返事をすると、あっという間に沈黙が広がってしまった。
けれど、不思議と嫌な沈黙ではない。
「……あの。殿下」
「なにかしら?」
「どうして俺を、ダンスに誘ってくださったんです?」
貴方と話したかったからよ、なんて答えじゃ変よね。
でも、他になんて言えばいいのかしら?
「……貴方が、退屈そうにしていたから」
「え?」
退屈そうな貴方が懐かしかったの、とは言えない。代わりにどんな言葉を続けようかと思っていたのに、オリヴィエはそれ以上何も聞いてこなかった。
「さすがに、そろそろ戻らないとまずいかしら」
「……そうですね」
本当はもっとオリヴィエと二人で話していたいけれど、そういうわけにもいかない。
特定の男と話し込むワガママな女、などと思われては困るから。
―――ねえ、オリヴィエ。
今回も、わたくしと出会ってくれてありがとう。今度はわたくし、貴方に恥じない王女になってみせるわ。
決意を込めて微笑む。困惑した表情で首を傾げたオリヴィエが、なんだかたまらなく愛おしいような気がした。
◆
(オリヴィエ視点)
「オリヴィエ! お前、いったい何をやったんだ!?」
イレーヌと別れて父と兄のもとへ戻ると、二人は大興奮していた。
無理はない。幼い頃から剣術の訓練にしか興味がなく、浮いた話など一切なかったオリヴィエが、王女からダンスに誘われたのだから。
「……いや、俺は何もしてないが」
「それは知っている! お前が女性から誘われるような振る舞いができるとは思えないからな」
実の父ながら酷い言い草だが、年の離れた兄もうんうんと深く頷いている。
「それで、イレーヌ殿下はなんと? なぜお前を誘ったのか、教えてくれたのか?」
「……俺が退屈そうにしていたから、と」
「は?」
退屈そうだった、というのは、パーティーで異性をダンスに誘う理由としては不十分だろう。
しかしイレーヌは、はっきりとそう言った。
つまり、だ。
「イレーヌ殿下は、俺に気を遣ってくれたんだと思う」
貴族の大半はパーティーが好きだ。特に今日は王女の誕生日パーティーである。
大半の者は招かれたという事実だけで大はしゃぎだろうし、実際、ほとんどの人間が楽しそうに過ごしている。
そんな中で退屈そうにしていたオリヴィエを見て、イレーヌが不快になったっておかしくない。
それなのにイレーヌはオリヴィエを気遣い、ダンスに誘うという特別扱いをしてくれた。
俺は伯爵家の次男で、もっと殿下に相応しい相手はいくらでもいるのに。
「……なんて慈悲深い御方なんだ」
自分が主役のパーティーにも関わらず、退屈そうにしている人を気にしてやるなんて、誰にでもできることじゃない。
「確かに、殿下は平民のために自らのドレス代を減らし、寄付を行うような御方。だからこそ、オリヴィエのことも気にしてくださったのだろう」
周りでオリヴィエたちの話を盗み聞いていた貴族たちも、さすが殿下……! と感嘆の声を漏らし始めた。
目を閉じて、先程のダンスを思い出す。
ダンスなんて得意ではないから、イレーヌを上手くリードすることはできなかった。それでもイレーヌは文句ひとつ口にしなかった。
それだけじゃない。
オリヴィエの手を、鍛えている人間の手だと褒めてくれた。
「父さん」
「オリヴィエ、どうかしたか?」
「帰る。さっさと帰って、訓練しないと」
「オリヴィエ!? どういうつもりだ!?」
生まれた時から騎士になるために、厳しい訓練に耐えてきた。辛いと思ったことも、疑問に思ったこともない。
ただ、情熱もなかった。
大事なものを護るためと叔父は言っていたが、騎士が仕えるのは王家。
だがオリヴィエは、王家を大事なものと思えなかったのだ。
病弱な国王は仕方ないにしても、王妃すら騎士団の前に顔を見せようともしない。日頃から真面目に訓練をしている騎士たちではなく、お世辞だけが上手い貴族たちを重用する。
野蛮だからという理由で、騎士団の訓練の視察が取りやめになったとも聞いた。
社交界デビューも果たしていない王女のことはあまり知らなかったが、どうせ王妃に似てワガママな少女なのだろう。そう思っていた。
なのに……!
「イレーヌ殿下のために、俺はもっと強くならないといけない」
「……オリヴィエ?」
「こんなところで油を売っている暇はないだろう。帰る」
「おい、待てオリヴィエ。そんなことをすれば殿下の不興を……!」
父の手を振り払って広間の外に出ようとしたオリヴィエに声をかけたのはイレーヌだった。
「オリヴィエ」
振り返ると、片手にグラスを持ったイレーヌが笑っている。少し息が乱れているのは、急いでオリヴィエのところへやってきたからだろうか。
「……殿下」
「まさか貴方、帰ろうとしているの?」
オリヴィエが返事をする前に頭を下げたのは父と兄だ。
誕生日パーティーを途中で帰るなど、あまりにも失礼な態度である。
「で、殿下! いえ、そんなことは、いやあの、その……」
「弟は本当に訓練好きで! 長くパーティーにいると倒れてしまう病なのです!」
お前も頭を下げろ! と兄に耳元で囁かれ、オリヴィエも慌てて頭を下げる。
確かに、パーティーの途中で帰るというのはまずかったか……?
だが、ここには大量の人がいる。なんで殿下は、俺が帰ろうとしていることに気づいたんだ?
「帰りたいなら帰ってもいいわ。でも最後に、わたくしに挨拶くらいしてもいいじゃない」
「……申し訳ありません」
「謝らなくていいわよ。本当貴方って……いえ、なんでもないわ」
ふふ、と優雅に笑ったイレーヌはあまりにも美しかった。人の美醜になど関心がなかったオリヴィエが見惚れてしまうくらいには。
「ねえ、オリヴィエ。貴方はもう、騎士団に入団済みよね?」
「はい」
「じゃあ今度、お母様の代わりにわたくしが様子を見にいこうかしら」
「……本気ですか?」
「ええ、本気よ」
当たり前じゃない、とイレーヌは胸を張った。堂々としたその姿には、王女としての威厳を感じる。
しかし、彼女はただ偉そうにふんぞり返っている他の王族や上級貴族とは違う。
慈悲深い上に、人の上に立つ者としての風格まで兼ね備えているのか……!
「じゃあまたね、オリヴィエ」
笑顔で手を振って、イレーヌは去っていった。すぐに周囲の人々か彼女に話しかける。
俺に話しかけるためだけに、他の者との会話を中断してくださったのか?
俺が帰ろうとしていたから……気を遣って?
いや、おそらくそれだけではない。自然な流れで、騎士団を視察することを匂わせたかったのだろう。
聡明な彼女は、騎士団が王家への忠誠心を失いつつあることに気づいていたのだ。
「……殿下の了承も得たから、俺は帰る」
イレーヌ殿下は聡明で慈悲深い方だ。
だが、だからこそ彼女の敵になる者も多いかもしれない。
彼女を護るために強くなろう。
広間から立ち去るオリヴィエがそんな決意を固めたことを、当然イレーヌは知らない。
なぜなら、少しでも好感度を上げるために、他の参加者と必死に会話をしていたからである。
―――心を入れ替えたワガママ王女と、彼女を崇拝する忠実な騎士。
将来、この二人が国を救った夫婦として伝記に書かれることを知る者は、まだ誰もいない。
お読みくださり、ありがとうございました!
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