Office. 煙霞痼疾ならぬ煙草個室
事務所のシーンから
オペレーター堅正の胸ポケットにはヴェイプが挟まっている。
朝早くどころか、夕べの早くからもう徹夜続きの残業続きで、それがもうかれこれ3日も4日も続くとさすがに名オペレーターと呼び声の高い堅正にも堪える程だった。
諳詞度や飛鳥川たちが日本の治安維持の為にスムーズに活動出来るよう、街にはそのサポート役としてオペレーターや、掃除屋が一般人の、一般業務のフリをして日夜活動している。ひっそりと。
「あかん、死ぬ…」
東京は特に特殊犯罪の件数も多く、人手も足りていない。二十四時間フル稼働で23区全域の連絡係、雑務、業者手配を行うには致し方の無いことと理解していても、灰皿を埋め、机の上に散らばるシケモクがついにイソギンチャクみたいになり始めると堅正にもお手上げだった。
「ちょ、はじめん、コーヒー淹れてくんなーい?」
事務所は都内のビル2階まるっと借りて、一階にはコンビニがあるくらい広々としているが、給湯室と応接室、それから会議室に物置と分けてくだらんガラクタを詰め込んだ辺りには手狭になっていた。
「あれ、ちょ、はじめーん!?令和にお茶汲みとかパワハラなのわかるけど徹夜でお前らのために頑張ってる俺に一杯のカフェイン淹れてくれたもーー!?!?」
事務所の入ってすぐ左手では飛鳥川が新曲のダンスの練習をしていた。『彼女の世を忍ぶ仮の姿、それは広報の為の黄泉比良坂46というアイドル…』といういかにも厨二病めいたフリを以前堅正が言ったときには彼女はものすごーく嫌そうな顔をして堅正の大事にしている棚のフィギュアを全部捨てた。
以来、堅正は飛鳥川に気を遣いまくるハメになった。そもそもこのダンススペースも元々段ボール箱が敷き詰められていたのを飛鳥川が全部火曜の燃えるゴミの日に捨てて作ったものだ。堅正が夜な夜な楽しみにしていたイケナイDVDもその中にはあって、彼はひっそりと泣いた。
「あ、ごめん!なんか言ってた?」
飛鳥川がアップテンポな曲を流すラジオを止め振り返る。イマドキ見ないラジオは実はメカオタクの堅正が魔改造して作ったもので、一見すると牛皮の装丁が施された分厚い本にしか見えないが、開くとなんとレコードをかけることもできる代物で、当然ブルートゥース、CD、USBポートも完備!ページの薄さギリギリにまで近づけた液晶は堅正の努力の賜物である。
「いや、コーヒー…、まいいや俺が淹れるわ。はじめんも飲むか?」
気を利かせたつもりだが、カフェインは控えているとあっさり断られてしまった。豆から挽いてコーヒーを飲む堅正はカフェインレスは無かったかと一応戸棚をゴソガサと覗く。と、その時「おはよーございまーす」と諳詞度が入って来た。
お気に入りのコンバースに色を合わせた白のダウンコート、黒のパンツからすらっと長い脚が伸びる。手には下のコンビニで買った食べ物飲み物…、飛鳥川にはホットレモン、堅正に頼まれていたラッキー・ロックスターを渡し、自分はホットの焙じ茶を開けた。
「おう、来たか!さんきゅー、丁度これが切れててさ、薬草薬草ってな…」
受け取るなりペリペリラベルを剥いて煙草にマッチで火を付ける堅正、彼がこの事務所を気に入った最大の理由は喫煙可能だから。
堅正は具合の悪そうなクマだらけの目を細めニコッと笑った。
「あっ、はいもしもし、あっそうです!えぇ、その件で、はい、丁度…今、はい、はいはい…」
休む間もなく電話対応に追われる堅正がほぼ泊まり込みでいる事務所は時代に反抗するようにいつも煙ったく、煙霞痼疾の癖と言うことわざがあるらしいけれど、この人を見ていると自業自得で覚えてきたものとしか思えない。と諳詞度は思うが口にはしない。
彼が社畜万歳!の精神でいつも一生懸命働いているのを知っているからだ。
「さて、お前ら、仕事だ。」
コーヒーを沸かし終え、カフェインとニコチンのコンボで機嫌を良くした堅正は真面目な顔で二人に向き直る。
「俺等が今当たってる爆弾魔の事件、はじめんの読み通り東京での3件の前に山口で1件、それから三日前にウチと提携結んでる『ササガニユリ』のエージェントが一人。で、まぁなんやかんやで京都出張です!」
コーヒーを飲み、目を再びパキッとさせながら堅正は驚かせようと楽しみにしていた重大報告を口にした。
「おー、いいねー、京都組久しくあってないからなー」
飛鳥川が珍しくテンションの上がった様子を見せる。勿論語尾がひな鳥の羽根1枚分軽やかになるだけではあるが…。
「私も今年の正月実家帰りそびれてます。」
すっかり鳴りを潜めてしまった諳詞度の京都弁だが、彼女はれっきとした京女である。怒らせてはならない。
「そこで一つ新たな問題発生だ…」
「と言いますと」
「以前大阪に出張だった時覚えてるか?」
「あー、あれ楽しかったねー!」
今度は鳥籠掃除に取り出そうとする時にご機嫌斜めで少しバタバタするひな鳥くらいには元気な声がでた飛鳥川。
「もう粉モンは当分要らないってなりましたよ」
諳詞度も思い出しては少しげんなりしている。旅に食べ過ぎは付き物であろうか、京都で生まれ育ってはいても仕事でしか滅多に行かない大阪にテンションをあげた彼女がお好み焼きで米を食うという文化の洗礼を受けたのは想像に難くない。
「楽しかったなー、4日間の日程の内仕事二日しか入って無くて、それも片方は半日!
散々遊び尽くして帰りのスーツケースコラボグッズでパンパンにして、浮かれ過ぎて帰りの新幹線でまだ恐竜の被り物してたからなー…、俺。
で、まぁそれはいいとして、あん時調子乗ってグリーン車で行って、俺も大見栄切って領収書切ったろ」
「だっけ」
「ええ、覚えてますよ。」
「で、まぁ本部会計係からあの後さ…」
「あー…、怒られた?」
「行き帰り両方行きましたからね…」
「まぁ、な…」
堅正は怒られた時のことを思い出して肩をショボーンとさせた。どこの事務所にも中間管理職的な立ち回りをさせられるデキる奴が一人いる。その人が果たして中間管理職くらいお給料しっかりもらってるかどうかは怪しいところだが、彼等のもとには上役以上に仕事が舞い込み、かつ弱音を吐けないという縛りまでもが追加される事もしばしば。全ては背中で語るより他ないのである。
「行く時遠足気分で確か笹寿司にストラップまで領収書切ってませんでした?」
「切ってませんでした。さすがに…、あれっ?切ってたっけ?とにかくっ!!!!」
「とにかく?」
「予算、経費の大幅カット!!!!を喰らいました!!!!!」
なんでも、『えっ、馬鹿なんですか?こんな領収書落とせるわけないじゃないですか?馬鹿なんですか?仕事のフリして旅行言ってんのバレバレじゃないですかっ!?!?』だそうです…、よって!!!今回グリーン車は使えません!!!!!」
「「えーーーーーーー」」
昭和もいいところの煙ったい事務所に可愛らしい諳詞度と飛鳥川二人の不満の声がハモる。
「えーーじゃねえよ!!!めちゃめちゃ怒られたんだからな!!!会計の眼鏡かけてピシッとしたすっげぇ怖ぇお姉ちゃんにめっちゃ怒られたんだからな!!!」
「じゃどうするんですか?ファースト取るんですか?」
「そうそう…、ビジネスせかんど、そるじゃーふぁーすとって、阿呆かあああああああ!!!!!!」
(ノリツッコミ…)
「いいかー!!!当面、ウチラの班は質素堅実!蛍雪の功!二宮金次郎っ!」
「雪降らねー…」
「やめぃ!フラグになったらどうするっ!東京にそんなもんいらねぇよっ!!!
で、まぁとにかく我々に残された手段は二つです!」
「聞くだけ聞きましょうか…」
「一!東海道五十三次コース!!!」
「飛脚かー…、あれはあれで疲れそうだよね」
「ブランケットの荷物とか増えそうじゃないですか?」
「ごめんごめん、ツッコミとしては『えっ!?歩きっ!?』が正解だから、何当たり前のように風情感じて貴族の大旅行しようとしてんだよ」
「二つ目は?」
「まぁ、貧乏事務所に残された最後の手段と言えば…、と、その前に簡単な仕事入ってんだ。ちょっぱやで片してきてくれ。」
ナトリウム洋燈を追い掛けて
レンタカーのエンジンに暖を取る
あの頃は、きっと未来の私がそんな風に今を思い出している
いつまでも続いてほしいようで、ナビゲーションの目的地とモーニングコーヒーの温もりに、ほっとしている
神明高速に過ぎ去った昨日をもう過去と呼んで