New York, The Empire States Of...
「あぁ、私だ。急に済まない。」
「どうしたんですかいきなり、市石田さんが俺にかけてくるなんて珍しい。」
「いや、実は急ぎで調べてもらいたいことがあってな。翼はこっちで用意する。今担当してる件が片付いたら悪いが頼まれてくれないか。」
「了解しました。」
「それで…、彼今どこにいる?」
「いつも通り、摩天楼の合間を跳びまわってますよ。」
そこはニューヨーク市街地にある煉瓦作りのアパートの一室だった。
窓から見える景色は決して眺望の良いものではないが、それでも今降っている雨と灰色の曇天が景観を台無しにしてしまっている。
部屋には富倉八蘭という男が、大学1年より一人暮らしをしていた。
こじんまりとした部屋には、無線の付いたラジオ、部屋干しの服、ベノムとラベルの付いたソーダ缶なんかが乱雑に散らばっている。
そこにひときわ目を引く高さ2メートル、横幅5メートル程のキャンバス。東京の上空から見渡した夜の街並みが火樹銀花と描かれていた。
彼はその絵の最終仕上げをしているところだった。
彩管をカシャカシャと水の入った瓶で洗い、筆先を再びカンヴァスに置こうとしたところで、アトリエの扉がノックされる。
「come in」(開いてるよ!)
古い木でできた臙脂の扉が少しギイギイと鳴って開く。
「well, you painted good...」(いい出来じゃん。)
少し恰幅のいい浅黒の肌をスーツにピッタリとしまい込んだ彼はどこか優しげな雰囲気のある声で彼の絵を賞賛した。
「so, whats up?」(で、何のよう?)
八蘭は無駄話をする気はないといった調子で言葉を返した
「um... you got a boogy call from....」(お呼び出しが掛かってんだけど…)
浅黒の肌の来客は誰からどんな呼び出しが掛かったのかを言いにくそうに口をへの字に曲げた。
「say no more!! its been awhile since that I had real spidy roll!!」(なるほどね、最後に雲寿司を食べた日が懐かしいな!)
来客が皆まで言わずともどこから呼び出しが掛かっているのかを八蘭は理解していた。
八蘭はそれだけ聞くと、筆を置き、窓の隣の臙脂のソファからコートをひったくると、カンヴァスへ向かって思いっきり走り出した。
「wai...they bought you a ticke....never mind, I can use this!!」(市石田さんお前の為にチケットを買ったっぽいけど…、まいいや、俺が使うわ)
来客のセリフをまたず八蘭はすでに絵の中に飛び込み、夜の街を自由自在に、まるでピーターパンのように飛び回っていた。
目の前にはガラス張りのビル、足元遥か彼方にある幹線道路を脈々と流れる車のライト、それを弧を描いて旋回しながら横手に跳ぶと、今度はまた別のビル、ビル、ビル…
東京用のブルートゥースに接続された八蘭のイヤホンが鳴る。
「速いな八蘭。久々に一緒に仕事が出来そうで嬉しいぜ。」
イヤホンからは渋い少し酒焼けした声が聴こえる。
「堅正!!久しぶり!っていっても多分現場の見識が終わったら出戻りになりそうな予感がしてるんだけど…」
ビルをいくつも掻い潜り、屋上の鉄柵の外に腰掛けて少し休憩しながら八蘭は挨拶を返した。
「早速で悪りぃが書類を送った。もうそっちに届いているはずだ。」
イヤホンの向こうのオペレーターがタバコの煙を吐きながら言った。
「書類?」
八蘭は素早く視線を動かし、コンタクト型の液晶画面に表示された今回の事件の概要に目を通していく。
「あれ、ワッサーと一ちゃん担当してるじゃん!」
八蘭はかつて養成所の同期が同じ現場に配属されているのに少し驚いた。自分だけ特進があって中々会えなかったので、なんだかライバル達が後ろまで来ているような少しの緊張感、優越感、安心感…
「あぁ、お前等同期だったなそういや…。とにかく、早いとこ片付けて終わったら一杯やりに行こうぜ」
オペレーターのセリフに相変わらずだなと苦笑しながらも懐かしさと共に頬が緩む八蘭。
「了解。」
話を終えて早速現場まで跳んで行こうとしたその時、隣に足に紙をくくりつけられた伝令鳩が止まっていた。
もしやオペレーターが何か伝え忘れていたのかとすぐに掛け直そうとして、イヤホンに当てようとした手をふと止めた。それでひとまずその鳩を抱きかかえて足の手紙を解く。
伝令鳩を遣わすなんて…、今時そういう手法を取ならなくてはならない状況は自ずと限られてくる。
なんだか嫌な予感がすると思いながら恐る恐る手紙の内容に目を通した八蘭。そう多くは記せない手紙には緊張感のある文字で『裏切ㇼ者ヲ抹殺セヨ』と書かれている。
(裏切り者って…、一体―)
「っと、いけない。東京の街に事件発生っと。」
八蘭の逡巡他所に、極楽越天より垂らされたビル風にも負けぬ一本の蜘蛛の糸に十悪五逆が群がる。辿れば先は小さなほつれを見せ、しかしその天と地の咫尺、桃色の雲間に先の臙脂のコートに詰襟の白銀のプレートがちらりと光る。そのコートを囲うネクタイのピンにはサファイアの蒼が埋まり、それが目に入る頃には、悪党どもは自らの首を嘘の意図で絞め上げ、おのが世界の小ささを知ることになる。勿論、羽化の機会など与えられはしないままである。
「あのー…」「おい!誰だ!」「どうかしたのか!?!」
都合悪く宝石強盗を働いていた男の一人はジュエリーショップの中にこだまする八蘭の声に慌てて銃を構える。何事かとショーケースの中身をいそいそとカバンに詰め込んでいた男も同時に声を上げる。逃走用のバンの中にいる男は八蘭にしっかりと気絶させられるぐっすりハンドルによだれを垂らしている。
「お客様にそちらの宝石は似合わないんじゃないかと…」「だ、誰だああああ!!!!」「おいばカッ!チャカを使うな!」
強盗の片方が夜闇に蠢く音に耐え兼ねて、GLOKの引き金をガチャガチャとさせ、威嚇する。WEB射出器と呼ばれる特殊な道具で銃はすでにジャミングを起こしていた。直にサイレンの目を真っ赤にしたパンダも駆けつけるだろう。
「こちらなんてどうでしょう!!!」「「ふぇっ?」」
目出し帽の宝石強盗二人、声に振り向いたころには気を失って、蜘蛛の獲物みたいにぐるぐるの簀巻きにされて店の真ん中に気を失う。やはりそこには置きメモがある。『親愛なる隣…』おっと、これはオフレコ。
「金閣寺かー…、いや確かあいつ三島先生まだ読んでなかったよなー…、ここは無難に東京タワー…」
手早く事件を解決し、デパート3階のおもちゃ屋の近くを通りかかった八蘭は陳列されているレゴを観ながらしばし悩んでいた。いつもニューヨークで自分のバックアップをしてくれている友人と話していた次のレゴナイトの作品は何がいいか良いアイデアが浮かばなかったが、丁度日本に来たのだから雅な建築模型も悪くは無いとふと思い立ったのである。
「天は遥か高く、地の底で近代文明を以て世界を縮小し、令和はついに君を隣人と呼ぶ事にした…、忙しい所を済まないな。」
玩具売り場のガラスウィンドウを離れ、スカイツリーの中腹から浅草寺を見下ろしていた八蘭の隣に音もなく、上等な白地に牡丹の家紋が金縒と紅に咲いた着物を着た背の高い女が立った。盲目、手に臙脂に漆を重ねた杖を持たせ、風の轟々と吹くのにも関わらず女の朗々とした声はよく通った。
「市石田さん!」
「久しくだな八蘭、西はどうだ。」
「まずまずですよ、相変わらず悪党に証券マンは忙しくしてますけど。」
「そうか。わざわざ済まない。少し厄介なことになっていてな。」
市石田と呼ばれた女の表情に曇りが懸かる。花弁一枚、桃色の口紅も台無しだがその様子に八蘭は得も言えぬ第六感、嫌な不安を覚えた。
「どうしたんですか?」
「爆弾魔、本件ではそう呼ぶことにしたらしい。複数の組織が集まってテロ行為、新興カルト宗教グループに左派、改号以来の大事件につながる可能性もある。即刻、地獄に落とさねばならない。」