波乱の幕開け1
あのデートから1週間がたった―――
私はまだ図々しくもairさんの家にいた。
居候させてもらっている状態。
ほとんど一文無しで出てきてしまったので、行く場所なんてどこにもない。
「いつまででも、いていいよ」と言ってくれるairさんのお言葉に私は甘えてしまっている。
せめて少しでもお金をairさんに渡したいと思って、ラブホテルの清掃のバイトも再開した(タカにはこのバイトの事を言っていなかったので助かった)
いずれはお金を貯めて、ここを出て行かないと・・・とも思っている。
だけど、その事を考えると私の胸はチクリと痛むのだ。
この感情は一体何なんだろう・・・
この日もラブホテルの清掃のバイトの帰り。
「寒い・・・」
強く吹いた風に思わずそう言葉を漏らした。
冬は日が暮れると、体の芯まで冷える。
しかも今日は風が強いので、余計寒い。
バイト先のラブホテルからairさんのおうちまでバスで30分。
1つ前の停留所で降りて、停留所側のスーパーで晩御飯の買い物をする・・・というのが、最近の私の習慣になった。
airさんのおうちに来てから、私が晩御飯を毎日作っている。
料理はタカと同棲してる時からしてるし、嫌いではない。
スーパーで今日の夕食の材料を買って、帰り道を歩いていると、
「くぅちゃん!!」
airさんの声がする。
振り向くとairさんが笑顔で、私の方に走ってくる。
「airさん、今帰りですか?今日は早いですね」
「うん。今日は作業が早く終わったから、特別。その分重労働だったよ」
いつもairさんが帰ってくるのは夜8時くらい。
今日はまだ6時だから相当早い。
2人で家まで一緒に帰るのは始めてだ。
家まで徒歩10分の距離。
いつもより何だか嬉しいのはなぜだろう。
airさんは私の持ってたスーパーの買い物袋をさりげなく持ってくれる。
「ありがとう、airさん」
こういう気遣いがうれしい。
「ところで、くうちゃん」
airさんは言いにくそうに切り出す。
「何だか現実世界でairさんってハンドルネームで呼ばれるのってちょっと抵抗あるっていうか、照れるんだけど・・・」
「あ・・・」
「ずっと言おう言おうと思っていたんだけどね」
「ごめんなさい」
「いやいや、あやまらないで。そんなつもりで言ったわけじゃなくてさ・・・」
確かに私はairさんの本名を知らなかった。
家には表札がなかったし。
反対にairさんも私の本当の名前を知らない。
「これから本名で呼んでくれるとうれしいんだけど。俺も良かったらくぅちゃんを本名で呼びたいし」
「はい」
「俺は小泉大翔。大空を翔るでダイトだよ」
「大空・・・?」
「うん。親がそう言って、つけてくれたんだ。名前負けしてるけどね。ダイちゃんでも、何とでも呼んで」
同じ“空”の名前。
何だか私は不思議な気分だった。
変な話、すごく運命を感じたんだ。
「あっ、私は森下空良です。空に良しでソラ」
「えぇ~~!!同じ空じゃん!!すげぇ!!何だか運命だな。」
運命。
同じ事思ってるんだ。私は驚いた。
「まさに兄弟になる運命って感じじゃない?兄弟って同じ意味の名前多いしな」
心に重い石を置かれた気分だった。
“兄弟”
嬉しい言葉なはずなのに、何だかすごくきつい言葉に感じてしまう。
変だ。
私はあのデート以来ちょっとおかしい。
「じゃ、俺は空良ちゃんって呼んでいいかな?」
「はい。私は大翔さんって呼びます」
「ちょっとかたいけど、まぁ、いいや」
そう言って、2人で笑いあう。
でも本名で呼び合うのは嬉しい気分だ。
私の全てを包み込んでもらってる感じ。
気づくと、もうアパートの下まで来ていた。
いつもはスーパーから家までの長く感じる距離なのに、今日はなぜか短く感じた。