うさぎはさみしくても死なない
「君はうさぎか?」
ちょろちょろ後ろをつきまとうのにも飽きた私はとうとう背中にしがみついた。それを邪魔だと言わんばかりに振り払おうとしたのは机に向かっている和真さんだ。彼へ必死の抵抗として絶対離さないように手に力を入れ、背中のシャツを握る。
そんな時にかけられた言葉がこれである。心底呆れている、そんな口調だ。基本的に和真さんの表情は大して変わらないけれど、仲良くなるとなんとなく差が分かる。
「うさぎ? 私が小さくてふわふわしてかわいいという意味ですか?」
「さっきの発言はなしだ。こんなデカくて邪魔で可愛くないうさぎはいないからな」
めげてはいけない。こういう人だもの。少し汗ばんできた広い背中に顔を寄せながら彼に打ち切られた話を続ける。
「それとも私が寂しがり屋だからですか?」
「うさぎは寂しくても死なない。あれは根拠のないデマだ。安心したか、寂しがり屋のゆき?」
違ったようだ。しかし振り払うのは諦めたみたい。私のわがままを受け入れた彼は席に座り淡々と業務を片付けている。私も椅子を彼の側において寄り添い続けた。
私でも手伝えば少しは役に立てるはずだ。しかしそれは許してもらえなかった。年下の私に手伝ってもらうのは和真さんのポリシーに反するらしい。なので腹いせも兼ねて私はこんなことをしている。
「私、人参好きでもないし、うさ耳っぽい髪型もしていないし、顔もウサギっぽくないし、うーん?」
「毛むくじゃらだったりヒゲが生えていたりしてないか?」
「毛むくじゃらじゃないです! ヒゲなんてないです!」
「まぁ、生えていたら今よりもっと暑苦しいはずか」
どうやら今それなりに暑苦しいらしい。でも体温高いのは和真さんの方だよね。和真さんが熱いんだって。あったかいので冬にはもってこいだと言ったらしばし距離を取られたのを思い出す。
「まだ今の時期は夕方になると寒くなるからちょうどいいでしょ?」
「寒くなったら上着がある」
「和真さんは恥ずかしがり屋さんなんだからっ」
「…………」
あ、無視された。こうなると流石にダメだ。しばらく私も黙るか。時計の針の動く音が聞こえる。紙やペンの音、そして背中から彼の鼓動も少し伝わってくる。
……なんか眠くなってきた。背中は温かいし、彼の鼓動はなんだか心地よいし、今日も頑張ってつきまとったしね……。
――――寒くなった。ぶるっと震えて目を開くとそこには誰もいない。もしかして私寝てた?
目をこすりながら部屋を見回す。誰もいない。和真さんがいたはずの席は空っぽ。触ってみると冷たい。いなくなってから時間が経ってるって事?
まさか怒って帰っちゃった? 私を置いて……。
「こっちだ」
和真さんの声は、真上から聞こえた。……上から?
恐る恐る見上げると真後ろに立っていたらしい和真さんも上から私を覗き込んでいた。
「……え!? さっき見回した時は」
「君が起きた時ちょうど後ろに立っていたんでちょっと驚かしてやろうと思ってね。その為にこうやって見つからないように」
そう言うと和真さんは少し横にズレたり少ししゃがんだりしてみてくる。私が見回している間、ちょうど死角になるところに動いていたということか。ぱっと見無表情でなにしてんのこのお方。
寝起きの私は一人置いて行かれた事が本気で悲しくて落ち込む寸前だったのに。なんとなく楽しげなこの言動に私はムッとした。
「酷いです」
「まぁ、そうかもしれんな」
「そうかも、じゃなくて酷いです!」
「眉間にシワが寄っている」
「私は怒ってるんです」
「……やはり君は、うさぎみたいだ」
「もうっ! だからどこがうさぎなんですか! そもそも私が怒ってるのはそれじゃなくて」
はぐらかされそうになったので声を張り上げたところでぎゅっと温かくなった。和真さんから、後ろから抱きしめられたのだ。こうやって抱きしめられるなんて、初めてだった。彼の腕の中に私がいる。
「へ、え、?」
「冷たくなっているな、上着でも被せとくべきだった」
「……う、こんな、急に」
怒りは急に失せてしまい、その代わり嬉しすぎるのか恥ずかしいのか、自分でもよく分からなくなってしまった。私からは何度も抱きついているし、渋々抱きしめ返された事もある。
でも、こんなに優しく彼から抱きしめられるなんて経験はなかった。心臓が張り裂けそうだ。彼の匂いがする。その匂いでついさっきも彼とひっついていた事を思い出す。私より熱かった彼の体温、伝わる鼓動。そうだ、さっきと逆の立場になっただけだよ。なのにこんなに違うものなの?
「昔うさぎを飼っていた」
「和真さんが?」
「そうだ。そのうさぎはコードを齧ったり、ゲージから脱走したり、うろちょろ俺につきまとったり。怒るとさっきの君みたいに顔にしわ寄せて威嚇して足でダンダン音立てたり」
「齧ったり足でダンダンした覚えはないですけど。うろちょろと怒ったのくらいしかうさぎ要素が」
「俺の気持ち的には似たようなことをされているつもりだった」
「……だから私をうさぎみたいだって言ってたんですね」
「その通り」
何となく予想は出来ていたがやはり嬉しい理由ではなかった。でも彼がうさぎを飼っていたなんて初耳。なんかかわいい。
そんなことを思っていたら頭をゆっくり撫でられ出した。とても優しく、そっと。うさぎでも撫でるような感じで。
「たまに構い過ぎたり、構わな過ぎても威嚇された。そういう時はこうやって抱えて撫でてやるとご機嫌になったんだ。……ゆきは嫌か?」
この人は多分気づいている。私もこうされて喜んでいる事を。なのに嫌か? と聞いてくるんだから、ズルい。
「ご機嫌、にはならないけど嫌じゃあ……ないですね」
「そうか。なら良かった。……俺はその手のかかるうさぎが何故だが大好きでな。死んだ時は人目も気にせず泣いたよ」
「え、和真さんも泣くんですか!?」
「……待て。君は俺を何だと思っていたんだ」
撫でる手が止まった。と同時に髪をワシャワシャかきあげられた。
「あー何するんですか!」
「うるさい、可愛くない。そのうさぎよりたちが悪い。やはりうさぎじゃない」
「もー! うさぎじゃない私が死んでも泣いてくださいね」
「そんな事絶対言うな。現実になったら最悪だ。辛くなる」
「辛い。辛いんですね! それじゃ私、これからも元気に和真さんの好きなうさぎを見習って、うろちょろ邪魔して生きていきます!」
「そういう事を言いたくて言った訳じゃないんだ……」
そのうさぎも和真さんの事を大好きだったんだろう。私も大好き。
私こと、手のかかるうさぎのせいで今日も彼の帰りは遅くなりそうだ。