第93話 心が動いている。
「リオ兄さまは、この世界の秘密を知りたがっていた。『神々の遺跡』と言われる学府の建物や青月宮は何なのか、ザンム鋼はどこから来たのか、なぜ黒魔術や奇跡は使えるのか、魔物とは何なのか、魔物を生む『廃の領域』とは何なのか」
マルセリスは眼差しを遠くに向け、独り言のように呟く。
「リオ兄さまが自分の人生を賭けて、イリアス様を王位に戻そうとしたのは、血の貴さを崇めていたからじゃない。その血に実際的な意味がある、と考えていたの。古ザンム王国の血を引くかただけが、ザンム鋼の力……聖剣や神々の遺物の力を使いこなせる」
マルセリスは顔を上げた。
「ザンム鋼は、特定の血に反応するのではないか。私はそう考えている。でも、それが何故なのか、古ザンム王国とは何だったのか、わからないことがまだまだたくさんあるの」
リオの脳裏に、港町でレニが言っていた言葉がよみがえる。
(ザンム鋼は『神さまの鉱物』って言われているよね。青月宮も『神さまが、この世界を作ったときの仮初めの住まい』って伝わっているし、魔物を払える聖剣も、神さまがくれたっていうことになっている)
(リオ兄さまは、そのことに凄く興味を持っていて、色々調べていたんだ)
(神さまは本当にいたのか、とか)
(あっ、ううん、違う……違うな。え、えっと、何だっけ?)
(違う、神さまがいたのか、じゃない。あっ、そうそう!)
「神は……」
リオは呟いた。
「神は本当に神だったのか」
マルセリスは、茶色の瞳を大きく見開いた。
そうしてゆっくりと頷く。
「そう、この大陸を神から授かったと言われる古ザンム王国とは何だったのか、『神が地上に降り立ち、魔物が住まう暗い地を緑の大地に変えた』というのは、本当にただの神話に過ぎないのか。私はそれを、リオ兄さまの代わりに解き明かさないといけない」
マルセリスは、沈んだ表情で言った。
「そうしなければ、世界は『廃の領域』に沈んでしまう」
リオは大きく瞳を見開いた。
二人のあいだに長い沈黙が流れたあと、マルセリスは顔を上げた。
「学府の中にも、私と同じように考えている人はいる。でも、それでも、まだ全然人が足りないの。ひとつひとつの物事を専門的に解き明かして、それを組み合わせて全体像を描かないといけない。実際に世界の様子を見に行ったり、魔物の生態を調べたりする人間も必要だわ。世界の全容はまだ全然見えなくて、気が遠くなるほど道のりは長いのに『廃の領域』は少しずつ広がっている」
マルセリスは、リオの顔を見つめたまま言った。
「リオ、もしも良ければ、ここに残って協力してくれないかしら? 一人でも多くの人に助けて欲しいの」
真っすぐに自分に向けられたマルセリスの眼差しから、リオは僅かに目をそらした。
「ですが、まだ学府に入れていただけるかどうか……」
「今回、クレオ導師の許可をいただけなくとも、ここに私の助手として残って、入学のための勉強をすることも出来るわ」
「しかし……」
惑うように呟くリオの姿を、マルセリスは口を挟まずに見つめている。
リオが二の句を継げずにいるのを見て、おもむろに口を開いた。
「学府にいるためには、自分の人生の大幅な部分を学問のために捧げなければならない。何かを捨てずに、学府にい続けることは出来ない。ううん」
ふと。
マルセリスは思いついたように、軽く首を振った。
「きっと、逆なんだわ。何か捨てられないものが出来たときに、みんな学府から出て行ったんだわ」
「殿下……」
マルセリスの茶色の瞳に浮かんだ寂しげな光は、すぐに消えた。
柔らかい笑みを、リオのほうへ向ける。
「リオ、あなたはさっき、『レニと旅をすることだけを望んでいる』って言っていたわね」
怪訝そうにリオが頷くのを確認してから、マルセリスは言葉を続けた。
「私にはそうは思えない」
軽く目を見張ったリオの顔を、マルセリスは見つめる。
「あなたの心はきっと、もっと多くのものを望んでいる。だから来たのでしょう? 学府に」
「私が望んでいる? もっと多くを……」
薄い桜色の唇から零れ落ちたリオの呟きを聞いて、マルセリスは小さくゆっくりと頷いた。
「ただレニに付いて行きたいのではなく、あなた自身が色々なものを求めている。リオ、ゆっくり考えてみて。学府のこと、世界のこと、旅のこと、あなた自身のこと、そしてレニのことも。心が動くままに考えて」
クレオ導師には、明日、話をするわ。
マルセリスはそう言って、その場にリオを残し、席を立った。
★次回
第94話「すれ違う二人。」




