第88話 公女さまなのか?
「レニ……」
「マール」と呼ばれた娘……マルセリスは、自分にしがみつく小柄なレニの姿をマジマジと見つめる。
驚きが収まると、感極まったように声を詰まらせるレニを見る瞳に、徐々に懐かしげな優しい光が浮かび始めた。
「何年ぶりかしら? 私が学府に来た時だから……十年ぶり? 大きくなって」
マルセリスはレニの頭を撫でながら、顔を覗き込む。
「レニ、本当にレニだわ。よく顔を見せて。フフッ、顔を見ると、私の小さい妹のままね」
「マールぅ……」
レニに涙がにじんだ声で呼ばれて、マルセリスはくすぐったそうに笑った。
「マール、って呼ばれるのも十年ぶりだわ。でもレニ、どうして学府に? どうやって来たの? 王都のほうは?」
「あ、あのね、マール!」
不意にレニは、マルセリスの声を遮るように声を上げた。
「ほ、ほら、私、田舎の領主の娘だからさ、色々見て回りたくて学府にも来たの。そ、そのう……家を抜け出して。で、でも大丈夫だよ、あの人にはちゃんと許してもらって出てきたから。旅をしたい、って言ったら後のことは大丈夫だ、って言って送り出してくれたんだ」
レニはマルセリスの茶色の瞳を捕らえたまま、早口でまくし立てる。
マルセリスは最初、驚いたように口を開きかけたが、すぐに口をつぐみ、訴えるようなレニの表情をしばらく見つめた。
マルセリスの聡明な瞳は、レニが言外に訴えていることを読み取ろうとしていた。
「レニ、わかったわ」
マルセリスはレニの目を見つめたまま、はっきりとした声音で言った。
不安げな様子のレニに向かって、安心させるように微笑みかけると、リオとコウマのほうへ顔を向ける。
「レニ、連れのかたたちを紹介してもらってもいい? どういう関係のかたなの? 旅の途中で知り合ったの?」
レニは振り返って、行儀悪く椅子に座ったまま、事の成り行きを好奇心に満ちた目で見守っていたコウマを示す。
「えーと、あっちに座っているのがコウマ。旅の途中で知り合ったんだ。コウマは行商人で、色々お世話になっているんだ。友達だよ」
レニは続いて、マルセリスが入って来た瞬間に立ち上がったリオのほうへ目を向ける。
「で、こっちがリオ」
「リオ……」
マルセリスは口の中で小さく呟いた。
「懐かしい名前……」
レニは上目遣いにマルセリスの顔を見つめて、言葉を続けた。
「リオは、そのう故郷から一緒に来たの」
軽く会釈したリオを見つめて、マルセリスは口を開いた。
「そうね、まるで王宮にいるお姫様みたいだものね」
リオの容貌に讃嘆の眼差しを送ってから、マルセリスはレニのほうに振り返る。
「コウマは旅で知り合った友達で、リオは故郷から一緒に出てきた。それでいいのね? レニ」
マルセリスが確認するように繰り返すと、レニは何度も首を頷かせた。マルセリスはほうっと息を吐き出し、表情を緩ませる。
「色々とあったみたいね。後でちゃんと聞かせてね」
「うっ、うん」
「で、あんたは?」
コウマは、マルセリスの穏やかな表情を遠慮のない眼差しで観察しながら尋ねた。
「レニの姉貴、ってわけでもなさそうだな。子供だった時の知り合いってところか?」
マルセリスは、コウマのほうを向き微笑んだ。
「私はマルセリス・リルム・ルグヴィア。レニとは、一時期、姉妹みたいに一緒に育ったの。よろしくね、コウマ」
「……ルグ、ヴィア?」
コウマは、ぽかんとした表情でマルセリスの顔を眺めた。
普段は皮肉で陽気な光が浮かぶ、コウマの黒い瞳に驚愕が浮かび上がる。
コウマは椅子から転げ落ちそうな勢いで立ち上がった。
「ルグヴィア? ル、ルグヴィアってまさか……ルグヴィア公国の……ルグヴィアじゃねえよな? 王国を形成する六つの公国のうちのひとつで、前の皇国と縁続きだった、あの……」
黙って微笑むマルセリスの顔を、コウマは穴が開くほど凝視する。
まるで天地がひっくり返ったところを見たかのような表情のまま、コウマは声を上げた。
「あんた……ルグヴィアの公女さま、なのか?」
★次回
第89話「クレオというかたは、いますか?」




