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第70話 いなくていいよ、って言ったら

13.


 コウマの部屋から飛び出したレニは、自分とリオが与えられた部屋に駆けこんだ。

 リオが中に入ると、レニは寝台の上でうつ伏せになって顔を隠していた。


「レニさま」

「わかっているんだ……」


 リオに声をかけられると、レニは枕に顔を押しつけたまま呟いた。


「コウマにはコウマの考えがあって、コウマとキオラの関係は私が口を出すことじゃない。わかっているよ」


 リオは寝台の上で身を震わせるレニの姿を見つめ、何度か口を開きかけ、また閉じるということを繰り返した。

 だがようやく何度目かで、胸の前で白い手を握りしめ、思い切ったように寝台の端に歩み寄る。


「レニさま、私をレニさまの母君さまか姉のように思召おぼしめしては……いただけないでしょうか」


 リオは、ほの明るい空間で伏せられたまま動かないレニの赤い頭を、緊張した眼差しでジッと見つめる。


「私など数ならぬ卑しい身ですが……ですが、私でよろしければ、ずっと、この先ずっとレニさまのお側におります。どこにも行ったりしません」


「リオは」


 レニは顔を枕に押し当てたまま、くぐもった声でリオの言葉を遮った。


「リオは、私の母さまでもお姉さんでもないもの」


 レニの言葉に、リオは青い瞳を翳らせ、珊瑚色の唇を一瞬噛み締める。

 そこから押し殺した声を吐き出した。


「確かに……私など、レニさまのお身内のかたの代わりにはなれません。ですがレニさまがお望みならば」


 リオは一瞬、言葉を途切らせ、動かないレニの姿にピタリと視線を当てる。

 薄闇の中で、白磁のように滑らかな頬がほんのりと色づき、瞳が翡翠の輝きを放つ。


「一生、レニさまのお側におります。ずっと、ずっとお仕えします、今のまま……変わらずに」


 レニ……。

 リオは、我知らず、白い手をレニの赤い髪のほうへ伸ばそうとした。

 その時、不意にレニが顔をリオのほうへ向けた。

 いつもは明るく生き生きとしているハシバミ色の瞳が、僅かに涙で歪んでいる。

 リオはハッとして手を引いた。


「『お仕えする』のは、私が元々は帝位についていたから、だよね?」


 戸惑ったようなリオの様子を見て、レニは力なく目を伏せる。


「私が主人だから、だから『仕えて』くれるんだよね?」


 レニが口を閉ざすと、薄闇の中で静けさが広がった。

 レニが息を潜めて、返事を待っていることが伝わってくる。

 だが。

 それでも、リオは言葉を発することが出来なかった。

 突然、言葉を失ってしまったかのように、目の前でレニの小柄な体が僅かに震えだすのを、ただただ見つめることしか出来なかった。


「リオは」


 長い沈黙のあと、レニはかすれた声を出した。


「私が望んだら、側にいてくれるって言うけど、もし私がいなくていいよ、って言ったら……どうするの? 他の人のところに行くの?」

「それは……」


 リオは自分の顔をジッと見つめるレニの視線から逃れるように、目線をわずかに逸らした。

 何か言うべき言葉を探すように辺りに瞳をさまよわせたあと、レニの強い視線に耐えきれなくなったかのように唇を小さく動かす。


「その、レニさまが私を必要となさらないのであれば、もちろん……」

「もういいよ」


 不意にレニは、リオの言葉を乱暴に遮った。

 涙をこらえるように唇を噛み締めるレニの顔を、リオは呆然として見つめる。


「レニさま?」

「もういいよ、リオだって、私のことなんか必要じゃないんだから」

「レニさま!」


 寝台の上で背を向けたレニに、リオは必死になって声をかける。


「私では駄目なのでしょうか? 私では、レニさまの心をお慰めすることは出来ない……のでしょうか?」


 リオは夜の闇の中でしばらく立ち尽くしていたが、レニの背中は動かなかった。

 リオはその小さな背中に衝動的に手を伸ばしかけたが、その手はレニの体に触れる寸前に下に下ろされた。

 リオは白い手を胸の前で握りしめると、肩を落として部屋から出た。


 扉が閉まると、レニは一人で暗い室内に残される。

 寝台に横たわるその唇から、小さな声がこぼれ落ちた。


「リオの馬鹿……」


★次回

第71話「忘れさせて」

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