第56話 叔父・オズオン
20.
「皮肉」というには悪意が強すぎる表情を浮かべているオズオンの顔を、リオは凝視した。
オズオン・ラウ・グラーシア。
ザンムル王国の摂政にして、北の強国であるドラグレイヤ公国の大公。
現在は王妃である前女帝エウレニア・ソル・グラーシアの叔父であり、王国の実質的な最高権力者だ。
しかし、目の前の痩せた四十前後の黒髪黒瞳の男は、そういった華やかな権力からは無縁の存在に見えた。
黒い革の服に黒いマントを羽織り、削げた頬に尊大な、だがどこか暗く陰惨な笑いを浮かべているその姿は、日が当たらず人の住まわない場所に蠢く闇の塊を思わせた。
顔を青ざめさせ、わずかに視線を背けたリオをいたぶるように、オズオンは細い体に視線を這わせる。
「まったく恩知らずな犬だよな」
オズオンは唇を歪めて嗤う。
「お前の飼い主は、血眼になってお前を探しているみたいだぜ。俺の前じゃあ、出さねえようにしているがな」
オズオンは侮蔑の中にわずかに探るような色を浮かべて、背けられたリオの横顔を眺めた。
「それにしても信じられねえな。ろくに一人で出歩いたこともねえお人形が、どうやって逃げ出して……こんなところまで来やがったんだ? 誰か、男でもたらしこんだのか?」
「この姿ならば、男に興味がない男でも、十分骨抜きに出来るでしょうな」
イライス・アーゼンが、リオの体を上から下まで眺め、感心したように言った。
「商品の目利きには自信があるつもりでしたが……こうして見ても、男だとは信じられませんな」
「なに、ひんむいてみりゃあ分かるさ」
オズオンは笑いながら立ち上がった。
リオは顔面を蒼白にさせ、反射的に一歩後ろに下がる。
オズオンはその腕を掴み、容赦のない力で捻り上げた。リオは上げかけた悲鳴を、口の中でどうにか噛み殺す。
リオの細い体を捕らえ、まさぐり始めたオズオンを見て、アーゼンは心安く揶揄を口にした。
「よろしいのですか、国王陛下のお気に入りの愛玩品に手をつけられて」
「はん、わかったところで、あの坊やには何も出来ねえよ。ちょいと自分の玩具で遊ばれたからって、俺に立てつくわけにはいかねえだろ」
「やめっ……! どうか……どうか、お許し下さい、殿下」
リオの抗いなどまったく気に止める様子もなく、オズオンはその体を弄ぶ。
アーゼンは苦笑して言った。
「殿下、寝所のご用意はあります。堪能されるならばそちらへ」
笑いながらオズオンは言った。
「アーゼン、お前はいいのか? 王さまの持ち物で遊ぶ機会なんざ、もうねえぞ」
アーゼンはオズオンの腕の中で乱れるリオの姿に一瞬視線を走らせたが、ゆっくりと首を振る。
「私は遠慮しておきましょう。国王の下へ戻ったときに、寝所で何を囁かれるかと思うと後が怖い」
「はっ、んなもの」
オズオンは小馬鹿にしたように嗤った。
黒い瞳の奥で、嗜虐的な光が揺らめく。
「喋りたくなくなるように、やりゃあいいじゃねえか」
アーゼンは「感心しない」と言いたげに、上品な仕草で肩をすくめる。
オズオンの腕の中でもがくリオを見つめる視線は、ほとんど無関心と言って良かった。
「人間さまにこんなに逆らうなんざ、躾がなってねえな。まあいい、俺が『お手』から仕込んでやるよ。躾がなってねえ犬は嫌いだが、躾をするのは嫌いじゃねえ。どんな犬でも、最後は従順になるからな」
オズオンは、嫌悪で粟立つリオの首筋を舌でなぶりながら嗤った。
「自分のお気に入りのお姫さまが、俺の手元にいて、しつけられているとわかったら陛下がどんな顔をしやがるか、ハハハッ、やべえっ、想像すると興奮してくんなっ」
オズオンは愉悦がしたたる笑いを浮かべたまま、抗うリオを荷物のように乱暴に抱え、部屋から出て行った。
21.
日が傾き、太陽の光が赤色に染まりだした夕刻、オズオンが応接間に戻ってきた。
イライス・アーゼンはまだ部屋の中におり、酒杯を手にしていた。
オズオンは腰掛けに座り、横柄な態度で背もたれに両腕をのせ、乱暴に足を組む。
アーゼンは棚に置かれている高価な血の色をした酒を杯につぎ、卓の上にのせた。
オズオンは酒杯を口にすると、満足そうに笑った。
「極上の味だな。国王が入れ込むのもわからないでもねえ」
黒い瞳の中には、手の内に捕らえた獲物をなぶることを楽しむ、野獣のような笑いがたゆたっている。
「ペットにするには最高だったぜ。しばらくは手元に置いておくか」
特に反応しないアーゼンの穏やかな風貌に、オズオンは傲慢な眼差しを向ける。
「アーゼン、お前にも後で味見させてやるよ。今回の件の礼と今後の友好を願って、な」
目の高さに酒杯を掲げたオズオンを見つめてから、アーゼンはおもむろに口を開いた。
「殿下、そのことについてですが……先ほど、殿下と話をされたいというかたがいらっしゃいました」
「話ぃ?」
猜疑で歪んだオズオンの表情が、次の瞬間、不意に凍りついた。
いつの間にか、背後から首に手を回され、喉元には冷たい感触の刃が当てられていた。
青白い光沢を帯びる刃は、わずかに喉の皮膚を裂き、鋭い痛みを伝えてくる。
オズオンは、驚愕に見開かれた瞳をわずかに動かす。
圧し殺された低い囁きが、熟成した毒液のように耳に忍び込んできた。
「叔父さん、久しぶり」
★次回
第57話「叔父と姪」




