第51話 心が知りたい
11.
パッセは、一階の廊下を曲がり切った先にある自分の部屋に飛び込むと、寝台にうつ伏して盛大に泣き出した。
扉が開けっぱなしだったため、レニはすぐに中に入って扉を閉めると、パッセの側に駆け寄る。
「パッセ、大丈夫?」
「レニいぃぃぃっっ!!」
レニが躊躇いがちに声をかけると、パッセはレニの首にしがみついておいおいと泣き出した。
レニは慌てて、パッセの肩や背中を撫でて慰める。
パッセはしばらく感情を爆発させるように泣き続けていたが、しばらくするとようやく気持ちが落ち着いたのか鼻をすすり上げながらレニから離れた。
部屋にあった布で涙を拭くと、力が抜けたようにベッドに座り込む。
「コウマ、やっぱりリオのことが好きなんだ……」
「ち、違う、違うよっ!」
レニは寝台に座わり、パッセの顔を横からのぞきこみながら慌てて言った。
「ちょっとは気に入っているかもしれないけれど、そっ、その、いいな、とか綺麗だな、くらいは思っているかもしれないけれど、ただの興味で、恋愛とかそういうのじゃないよ、きっと」
「いいな、とは思っているんだ……」
「え、えっと……」
暗い声で呟かれて、レニは戸惑う。
「陽だまり亭」に初めて来た日にレニとパッセは意気投合し、しょっちゅう一緒にいるようになった。
自然と一人でいることが多くなったリオを、コウマが誘うことが多くなった。
リオがいるとパッセと恋愛話が出来なくなってしまうという不都合がある。加えてパッセはリオをライバル視しているので、連れて行くと白けた雰囲気が漂ってしまう。
リオを一人にする申し訳なさと、パッセと語り合う楽しさの狭間でレニは密かに悩んでいた。
それでもリオが寂しそうにしていたら、レニはパッセと恋愛話をする喜びに未練を残しつつも、リオと一緒にいることを選んだだろう。
レニには考えられないことだが、リオは一人でいることが苦ではない、むしろ一人でいることを好んでいるようだった。さらに言えば、レニに同世代の同性の友人が出来たことを我がことのことのように喜んでいた。
「レニさま、私のことはお気になさらずに、パッセさんとお話をされて来て下さい」
リオは、子供が友達と仲良く遊んでいる様子を見る母親のような表情で、微笑みながらレニにそう言った。
いつも控えめで自分の存在を消したがるリオが、レニの前でこんな風に感情を露にすることは珍しかった。
「レニさまのように尊い身分のかたにとって、身分によって隔てられないご友人は何よりも得難いものでしょう。宮廷の方々ですと、どうしても遠慮がございますから」
皇国の支配者だった祖父を打倒する。
そういう使命を与えられて育てられたレニにとって、親族も宮廷にいた侍女たちも心を許すことができない存在だった。
皇宮にいる時は、猜疑心の壁を張り巡らせた状況で一瞬の油断も出来ず、常に孤独だった。
レニは、自分を見つめるリオの眼差しから、当の自分以上に、リオが自分の孤独な境遇に心を痛めていたことに気付いた。
リオの青い瞳に浮かぶ嬉しそうな愛しそうな輝きを見ているうちに、何となく気恥ずかしくなりレニは下を向いた。
「リオは、昼間はどうしているの? 一人で寂しくない?」
レニの問いに、リオは淡々とした口調で答える。
「市場で買った新しい本を読むなどして、自由に過ごさせていただいております。レニさまに、お気持ちを砕いていただくようなことはございません」
「え? 市場に行ったの? 一人で?」
レニは思わず顔を上げる。
リオは首を振った。
「いえ、コウマさまが連れて行って下さるとおっしゃるので」
一人で外出しているわけではないのだ、とホッとしたのも束の間、「コウマと一緒に出掛けている」という言葉にレニの心中をざわつかせた。
「リオってさ、不思議な奴だよな」
リオが席を外した時に、コウマはその後ろ姿に視線を向けたまま言ったことがある。
「俺と二人でいる時と、お前がいる時とじゃ、何か違うんだよな」
「違う?」
コウマは、レニの声が僅かに不本意そうな響きを帯びたことに気付かないようだった。
なおもリオが去ったほうに向けられたままの黒い瞳が、楽しそうに煌めいている。
「なんつうか、お前がいない時のほうが自然っていうか、肩の力が抜けているっつうか」
その時にコウマが何の気もなしに口にした、「レニがいない時のほうが、リオは自然体で気楽そうだ」という言葉は、レニの心の中で落ちない黒い染みのように残り続けた。
リオにとっては、レニがパッセと一緒にいて、気の置けないコウマと一緒に出かけられる今の状態のほうが快適なのだろうか。
(リオは……)
それ以上は考えたくないのに、勝手に思考が先に行ってしまう。
(リオは、私といると窮屈なのかな? だから、距離を置こうとしているのかな?)
「決めた!」
不意に響いたパッセの声で、レニの思考は中断された。
パッセは茶色の瞳に意固地そうな光を浮かべて、宙の一点を睨んだまま低い声で宣言した。
「私、リオに聞いてみる。コウマのことをどう思っているのか」
「ええっ?!」
思わず声を上げたレニのほうを、パッセは振り返った。
「レニ、今日の午後、私とリオの二人で出かけてもいい?」
レニのことを見つめるパッセの目にも声にも、強い決意が宿っている。
「二人きりで話したいの。リオがコウマのことを、どう思っているのか」
「う、うん」
レニは、パッセの勢いに押されたように頷いた。
リオはコウマのことは恋愛対象としては見ていないし、気に留めてはいない。
それは見ていればわかる。
だが。
例え聞く内容がコウマとの関係であっても、正面から聞くことによって、リオが何を考えているかが分かるのではないか。
レニが「リオと二人きりで出かけたい」というパッセの言葉に頷いたのは、レニの心の中にパッセより、もっと切実に、リオの気持ちを知りたいという思いがあったからだった。
★次回
第52話「男同士はそんなもの」




