第34話 物の価値
11.
次の日も日の出と共に仕事をするため、ある程度飲み食いし終えると村人たちは自分たちの家に帰っていった。
家主一家は残った少数のごく親しい友人と話をしたり、食事の片付けものなどを始める。
レニも手伝いを申し出たが、家主の男は笑いながら首を振った。
「客人に片付けさせるわけにはいかんよ。明日の出発は早いんだろう? 早めに休んでおくんだな」
頷いた後、ふとコウマがいないことに気付く。
怪訝そうに辺りを見回すレニを見て、男は言った。
「コウマなら、長屋のほうかもな」
「長屋?」
男は、すっかり暗くなった窓の外に視線を向ける。
「厩舎の隣りにある長屋だよ」
レニは家の外に出て、男に教えてもらった長屋に向かう。
月明かりに照らされた建物に近づくと、ちょうどコウマが入り口から出てくるところだった。
長屋の住人らしい人間が、コウマに向かってしきりに頭を下げている。
家の中の灯りに照らされた住民の姿は貧しく、卑屈でおどおどした気配が漂っていた。
コウマは男を明るい調子で宥めると、片手を上げて家から離れる。
「コウマ」
レニが声をかけると、コウマはややばつの悪そうな表情になった。
レニはコウマの背後で、まだ二人の姿を見守っている男のほうへ視線を向けた。
コウマはその視線に気付いて、背後に一瞬目を向け、また元に戻す。
「あの長屋は、一階が家畜小屋で、二階は農奴たちの家になっているんだ」
「じゃあ、あの人は……」
レニが言葉を途切らせると、コウマは肩をすくめて頷いた。
「ああ、牛や豚の世話をするこの村の農奴だ。飼料を運んだり、小屋を掃除したりな」
「そうなんだ」
何をどう言っていいかわからず口ごもるレニに、コウマは平素と変わらない口調で言った。
「この村は、農奴の待遇はかなりいいぜ。生活は村の人間とほとんど変わらない。自由な時間も多いし、家族とも住める。乱暴な扱いをする奴もほとんどいないしな。ひどい持ち主だと、鎖でつないで管理したり、鞭でぶっ叩いて死ぬまで働かせたりする。家畜のほうが大事にされるだけ、まだしもマシかもな」
「逃げ出したくなる気持ちもわかるさ」と、コウマは口の中で呟く。
「あの人たちにも、何か売りに行ったの?」
レニの言葉にコウマは、肩をすくめて素っ気なく答えた。
「あいつらは金は持っていないから、取引は物々交換だ。村に来たときは必ず寄るんだよ」
「呼んでくれれば手伝ったのに」
半ば不思議そうに半ば不満げにそう言うレニを、コウマは不機嫌そうに一瞥した。
「取引」とは名ばかりで、売り物としての価値などない布の端切れや色の珍しい石などと引き換えに、嗜好品や調味料などを土産のように分け与えているのだ。
損を承知で取引をするなど、コウマの信条からすれば恥でしかなく、殊更他人に喧伝するものではない。同じことを他人がやっていたら、下らない偽善だと鼻で嗤っただろう。
レニに気付かれないように長屋へ来たのはそのためだ。
コウマはレニの言葉には答えず、顔を前に向けて足早に歩き出す。
すぐに追いかけてきたレニに、チラリと視線を走らせた。
「お前こそ、いつまで起きてんだよ。明日、時間通りに起きられなかったら置いていくからな」
「コウマだって寝ていないじゃん」
愛想のない声でどやしつけられて、レニは口の中でブツブツ文句を言う。
「うるせえ。お子さまはとっとと寝ろ」
コウマが気まずさを誤魔化すために乱暴にレニをこずいた。
レニが顔をしかめて抗議の声を上げようとした瞬間、後ろから小さな囁き声が届いた。
「お兄ちゃん」
振り返った先には、汚れた格好をした五、六歳くらいの子供が立っている。
夜の暗闇と長く伸びた不揃いの髪に隠されて、表情はわからない。ひどく怯えたような気配が伝わってくる。
あの農奴の男が持つものと、同じ気配だ。
子供は振り返ったコウマの手に、何かを押しつけると、逃げるように家に走っていった。
家に入る寸前に、二人に聞こえるくらいの大きさの声で叫ぶ。
「お菓子とおもちゃ、ありがとう」
レニは、子供が入っていった長屋をしばらく眺めたあと、ハシバミ色の瞳に笑みを含ませて言った。
「あの子とも取引をしたんだ?」
コウマは笑みが浮かんでいるレニの額を、人差し指ではじいた。
「いっ、痛ったあ!」
何するんだよ! とレニが抗議の声を上げる前に、コウマは捨て台詞のように言った。
「品物の価値は絶対的なものじゃねえ。取引によって決まるんだ、って言ったじゃねえか」
「忘れたのか」と愛想のない声で言われて、弾かれた額を押さえているレニの顔に、徐々に笑みが戻ってくる。
「はあい、師匠」
元気な声で返事をすると、レニはコウマの隣りに並び歩き出した。
★次回
第35話「商人の血」




