第248話 学府での再会
1.
四の月も半ばを過ぎると、学府にはいち早く春が訪れる。
マルセリスは、教務棟に与えられた研究室にいた。傍には生徒がおり、資料の整理や文献の下調べなどを手伝っている。
ひと月ほど前から指導を担当することになったその少年は、指示されたことを無駄口ひとつ叩かず的確にこなす。勘も良く、マルセリスが頼んだこと以外のことも、必要だと思えばいつの間にか準備していた。
ひどく無口で愛想はないことは研究に没頭出来るのでむしろありがたかった。だが、まだ十代半ばだろうにひどく老成した雰囲気があることが気になった。
「オッド」
マルセリスが手を止めて声をかけると、少年は無言のまま、金褐色の瞳を向けた。
「お茶を入れるから、ひと休みしましょう」
マルセリスはそう言うと立ち上がり、脇に置かれているサモワールで茶を入れる。
「何かあったのか」
オッドから声をかけられてマルセリスは振り返った。この無口な少年が自分から口を開くのは珍しいことだった。
「え?」
オッドは感情が抑制された眼差しで、マルセリスの顔を観察しながら言った。
「あんたにしちゃあ、浮き足立っている」
「わかる?」
マルセリスは苦笑する。
他の人間がまったく気付かないほんのわずかな変化も、この少年には気付かれることが多い。
資料や文献が脇に退けられた卓の上にカップを二つ置くと、マルセリスはオッドの前に腰かけた。
無愛想なオッドに向かって、マルセリスはカップを両手で持って微笑む。
「久しぶりに妹から連絡があったの。友達を連れてこっちに来るって」
オッドはわずかに眉を動かした。
「妹がいるのか?」
マルセリスは笑いながら頷く。
「正確には妹みたいなもの、なんだけどね。会うのは一年ぶりだわ。良かった、しばらく連絡がなくて心配していたから」
ホッと安堵の表情をしてから、マルセリスはオッドに言った。
「オッドにも紹介するわね」
「俺は別に……」
口の中で呟きかけたオッドに向かって、マルセリスは笑みを向ける。
「年が近いから、きっと仲良くなれるわ」
オッドが軽く肩をすくめた瞬間、部屋の扉がノックされた。
「導師、面会を申し込まれているかたがおります」
そう言われて、マルセリスは笑顔でオッドのほうを振り返る。
「来たみたい。オッドも来て」
そう声をかけると、マルセリスは返事を待たずに部屋の外に出る。
オッドはやや呆れた顔でその後ろ姿を見送ったあと、茶をひと息に飲み干して立ち上がった。
部屋から出たマルセリスは、青みを帯びた廊下を足早に進む。本当ならば人目を気にせず駆け出したいところだ。
研究棟から総務棟に入り、階段を駆け下りて受付近くの面会室へ向かう。
「レニ!」
扉を開けた瞬間、マルセリスは叫ぶ。
ほぼ同時に、椅子に座っていた小柄な赤い髪の少女が弾かれたように飛びついてきた。
「マール!」
「レニ、良かった、心配していたのよ」
マルセリスは喜びと安堵を込めて、従妹の体をしっかりと抱きしめる。
それから顔を上げて、立ち上がって自分たちの様子を見守っているリオと座ったままでいるコウマのほうへ視線を向けた。
「リオも良かった、無事で。コウマも」
「色々あったけどな。リオの奴がさらわれたり、さらわれたり」
「コウマ」
リオは白い頬を赤らめてコウマを睨む。
コウマは飄々とした調子で言った。
「んだよ、本当のことじゃねえか」
「さらわれた?」
驚きで目を丸くするマルセリスに、レニが慌てて言う。
「ええっと色々あったけど、何とか大丈夫だったんだ」
「まったく、勘弁して欲しいぜ。こちとら寒いなか駆けずり回ったり、司祭にぶっ叩かれて寝込んだり大変だったんだからな」
なおも軽口を叩くコウマをレニは慌てて制止しようとし、リオは横目で睨む。
その様子を見て、マルセリスは吹き出した。
「本当に色々あったのね」
後でゆっくり聞かせてね、そう言いかけた瞬間、マルセリスの背後の扉が開く。
怪訝そうな顔になった三人の前に来るように、マルセリスは戸口に立つオッドを招いた。
「レニ、紹介するわ。少し前に私の生徒になった……」
マルセリスはそこで唐突に口を閉ざした。
オッドとレニがお互いの顔を見て、驚愕の声を上げたからだ。
「お前……レニ」
「オッド?!」
★次回
第249話「貸し借りナシだ」