第233話 リオを助けるために・2
「じゃ、中で待たせてもらうわ」
兵士の一人の案内に従って、コウマは館の中に入る。抜け目のない目付きで館内の様子を探りながら、兵士には愛想の良い口調で話を続ける。
「俺も色んなところを旅しているが、こんな立派な屋敷はお目にかかったことがねえよ」
コウマは意味ありげに兵士に向かって目配せする。
「だいぶ遣り手みてえだな、お宅のところの司祭さまは」
「こらこら、そんな言い方はないだろう」
兵士は形ばかり咎めるが、言葉の調子はすっかり打ち解けて砕けていた。
「ここだけの話……」
兵士は辺りを見回してから、声を潜めて言う。
「うちの司祭さまは、ちょっとやりすぎだ。余りやりすぎると村の人間たちも黙っちゃいまい」
「今日も村から娘を連れてきた、って言っていたな」
「ああ」
コウマの問いに、兵士は頷いた。
「今ごろ自室に連れ込んでいるのか。前は館には入れず、神殿のほうで教導するっていう建前だけは守っていたんだがな。最近はお構い無しだよ」
コウマは館の造りに感心したように眺めながら言った。
「それにしても金がかかった造りだなあ。司祭さまの部屋は一番上の奥か?」
兵士は肩をすくめて言う。
「ああ、俺たちは足を踏み入れたこともない。何でもお貴族さま顔負けの凄い部屋らしいぜ」
「死ぬ前に一度くらい見てみてえな」
コウマは軽く口笛を吹く。
俺たちには一生縁がない世界さ、と兵士は受けたあと、ひとつの扉の前で立ち止まった。
「ほら、ここで待て」
「待っていればいいのか?」
兵士は首を振る。ここから先は、自分たちのような下っ端の衛兵が関与することではないと言いたいのだろう。
コウマは兵士に礼を言うと、中に入った。
中は館内とは比べ物にならない質素な造りで、古ぼけた木の卓を挟んで、背もたれもついていない二脚の椅子が置いてあるだけだ。
コウマはすぐに、入って来たのとは反対側の扉を開ける。
そこからは司祭の日常的な住まいにつながっているらしく、華美な空間が広がっている。
出来るだけ館の内部の様子を把握して置こうと、辺りを見回していると廊下の奥から人が来る気配があった。
コウマは室内に戻り、なに食わぬ顔で椅子に腰掛け、人が来るのを待つ。
ほどなくして扉が開き、お仕着せの執事の服を着た、四十歳ほどの影のように薄暗い顔つきをした男が入ってくる。
男は猜疑深そうな尊大な眼差しを、薄汚れた旅装姿のコウマに向けた。
「村の使いの者か」
いつもと違う人間のようだが、と言い、執事は胡散臭げにコウマを眺める。
コウマは執事の様子を素早く観察する。
目の前の男の細部まで見て取り、この男に対してどんな態度を取れば、自分の思いどおりに事を進められるか考える。
仕える主人の威を借りて尊大に振る舞っているが根は小心者。
自分の権威の源泉である主人の機嫌を損ねることを、常に恐れている。
そう見て取ると、コウマは立ち上がって頭を下げる代わりに、座ったまま横柄な態度で背中をそらした。
「あんたじゃ話にならないな。司祭さまはどうしたんだよ?」
予想外の態度に、執事は僅かにこめかみをひきつらせる。怒りが反射的にわいたと同時に、コウマの馴れたふてぶてしい態度の中に「司祭との暗黙の了解」を感じとり、迷っているようだった。
この男は、自分の怒りに身を任せるには余りに計算高く小心だ。
執事が陰険な顔つきでジッと黙り込んでいる様子を、コウマは見守る。
「自分はどちらでもいい。こっちも忙しいから早くしてくれ」という態度を装っていたが、内心では心臓が凍りつきそうな心地がしていた。
執事の返答にリオの運命がかかっている。
永遠とも感じられる短い時間のあと、執事は何とか焦りを気取られまいと謹厳さを装って咳払いをする。
「うむ……司祭さまへの御用は、私がすべて受けることになっているのだが」
「そうか、じゃあ司祭さまからあんたに、話は通っているんだな?」
間髪入れずコウマは畳みかける。
案の定、執事は自分から呑み込まれた話の流れに逆らうことが出来ず、コウマの望む通りの方向へ誘導されていく。
「も、もちろんだ。しかし……確認もせずに、司祭さまをお呼びするわけにはいかんからな」
「ああ? 確認だあ?」
「そう、急くな。どういった話だったかな?」
コウマは、これみよがしに大仰なため息をついた。
「村からはとびっきりの上玉を差し出しただろ。まさか、あんな誘拐まがいの真似をして、後始末もまかせっきりで、はいさようならってわけじゃねえだろうな?」
「誘拐?……あの娘は、斎戒と告白の儀式のために、自ら進んで司祭さまの下へ来たのだ」
「だから」
コウマは胡乱そうな目つきで執事の顔を睨み、低い声で言った。
「そういう話にしてくれるよう、こちらの司祭さまが俺らに頼んだんじゃねえか。村の様子がどうなったか教えてくれ、その時に直々に礼は弾む、そういった話だったよな? ええ? あんた、本当にわかっているのか?」
コウマは辺りを見回して、室内に反響させるように声を大きくした。
「司祭さまがよしなに頼む、っつうから、こちとら色々とお偉いかたの満足のために汗水垂らしているんじゃねえか。ただ働きさせて後は知らんっていうなら、こっちにだって考えがある。出るとこ出たっていいんだぜ? あんたのところの司祭さまは、だいぶやることが派手だからな。もみ消すっていっても限度があるだろ?」
コウマは威圧をこめて、執事の顔を睨んだ。
「自分だけ美味い汁を吸うっていうなら、俺たちも誰と付き合うかを考え直すことになるぜ?」
「わかった、わかった。そう大きな声を出すな」
執事は慌ててコウマを押しとどめる。
困惑を押し隠して何とか威厳を取りつくろいながら、執事は咳払いをした。
「司祭さまにお伺いを立ててくる。ここで少し待っておれ」
「早いとこ、頼みますよ。まさか、司祭さまのようなお偉いかたがしらばっくれるわけないだろうからな」
コウマの横柄な態度に気圧されて、執事はそそくさと部屋の外へ出ていった。
★次回
第234話「お前、男だったのか」