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第22話 さようなら港街。

 10.


 ヤズロとマリア夫妻、テイトとヴァンを始め、海鳩亭の近所の人々は、何度も振り返って手を振るレニとその横で控え目に礼をするリオの姿を、見えなくなるまで見送った。


「ああ、行っちゃったわ」


 名残惜しげに呟くマリラに、ヤズロが殊更声を張り上げて言った。


「いつまでもめそめそしているな。晩のための仕込みをするぞ」

「あんたこそ、湿っぽくて辛気臭い顔しているくせに」


 マリラは前掛けで目元をぬぐいながら、夫の言葉に言い返す。


 ヤズロとマリラが宿の中に入ったあとも、テイトとヴァンはしばらくその場に立っていた。

 二人が去っていた方角をずっと見ているテイトのほうへちらりと視線を走らせてから、ヴァンは言った。


「テイト、お前、リオに告白したのか?」


 声をかけられて、テイトは夢から覚めたかのように、ヴァンのほうへ目を向ける。

 それから再び視線を、前方へ戻した。



11.


 リオを外へ連れ出せたはいいものの、いざとなるとなかなか話を切り出せなかった。

 物問いたげな青く深い瞳を向けられると、その瞳に言葉がすべて吸い込まれてしまい、頭が真っ白になるような心地になる。

 沈黙に耐えきれず「あ、えーと」という意味のない言葉を何度も繰り返した後、テイトは「リオ」と、ようやく名前を呼んだ。


 リオは返事はせず、目線を僅かに動かして反応する。

 テイトはその眼差しに囚われたかのように動けないまま、喉に絡んだ声を絞り出した。


「お、俺、その、お前を引き留められるって思っているわけじゃなくて……ただ、俺の、俺の気持ち、気持ちを伝えたいんだ」


 ジッと自分を見つめる瞳に追い詰められたかのように、テイトは不意に息を呑んで叫んだ。


「す、好きだ! リオ。お前のことを初めて見たときから……。こ、こんな、こんな綺麗な人がこの世にいるのかって……そう思って、その時からお前のこと、俺、俺は……好きになったんだ!」


 リオは先を促すように、ただテイトの顔を見つめ続ける。

 テイトはその視線に耐えきれなくなったように、顔を赤らめて目を伏せた。沈黙が下りないようにするためだけに、言葉を紡ぐ。


「分かっている。俺なんかお前とは釣り合わないだろうし……お前が俺のこと、何とも思っちゃいないのは。分かっているけど、お前、行っちまうから、こ、この気持ちだけは伝えたかった」


 ふと。

 テイトは顔を上げた。

 目の前のリオはテイトのほうを見てはおらず、瞳を伏せていた。

 しばしの沈黙の後、リオは淡く色づいた唇を動かし呟いた。


「行ってしまうから、言えるのですか? 好きだと」

「……え?」


 リオは顔を上げた。

 そしてテイトの手を取った。

 テイトの顔が、瞬時に真っ赤に染まる。


「リオ……」


 テイトの言葉は、リオの耳には入っていないかのようだった。

 いや、テイトの言葉どころか、他の何物も目に入らないかのように、リオはテイトの掌を見つめ続ける。

 リオはその掌に、自分の唇を当てた。

 テイトは呆然としたように、自分の手を恭しく両手で掲げるリオの姿を見つめた。


 リオはしばらく瞳を伏せていたが、やがて顔を上げた。

 自分を真っすぐに見つめるリオの姿を見て、テイトは何度か瞳をしばたかせた。

 強い意思を秘めた眼差しを持つ目の前の人間が一瞬、誰だがわからなくなり、初めて見るような心地でその顔を眺める。

 不意に。

 目の前の美しい女性のものとは信じられないような強い力で手首を握られ、テイトは驚愕で目を見開いた。

 

「テイトさま」


 そう呼びかける声も、テイトを魅了した美しい旋律を奏でるものとはかけ離れた、鋼のような硬さを感じる。

 リオは何かを無理に抑えつけたような、不自然に無機質な声音で話し出した。


「レニさまは、分け隔てなく人と接するかたです。ですから、テイトさまが失念されたのも無理はございせんが」

 

 リオの視線に、刃物のような暗い敵意に満ちた輝きが宿った。


「あの方は妙齢の女性です。今度こちらに寄りましたときは、それをお忘れになりませぬように。気軽に体に触れることは控えていただきたく存じます」


 リオは僅かに皮肉げな響きを帯びる素気ない声を吐き出し、挑戦的な眼差しをテイトに向ける。

 テイトは驚きの表情のまま、体を固まらせた。

 目の前に突然現れた、全身に自分やそれ以外の何かに対する怒りと反発をみなぎらせている少年の姿を、しげしげと眺める。


 「お前は……」

  誰だ?


 思わずそう言おうとした瞬間、少年の姿は幻のように消えた。

 テイトの前に、風にも耐えぬたおやかな美しい少女が再び現れる。

 リオは、まるで王宮に伺候しているかのような優雅な仕草で長衣の裾を手に取り、礼をした。


「テイトさま、再びお会いするときまでお元気でいらっしゃいますよう」


 テイトが毒気を抜かれたように反射的に頷くと、リオはもう一度軽く一礼し、その場から立ち去った。



 テイトはリオが唇を当てた自らの掌を見ながら、その時のことを思い出す。


「……幻みたいだったな」

「あ?」


 テイトは心の中で呟いた。

 心の中に浮かんだ月光のような美しい姿と、胸を締めつけられるような歌声にしばし思いを馳せる。


(本当に……一瞬だけ地上に舞い降りた月の幻影みたいだった)


 自分は幻影に恋をしたのだ。

 

 テイトはヴァンに見つからないように、掌に軽く口をつけた。

 しばらくそのままジッとしていたが、やがて午後の仕事に戻るべく踵を返した。

 


12.


 「海鳩亭」に別れを告げた数刻後、レニとリオは隊商の馬車のひとつに乗り込んでいた。

 幌に覆われた荷台を引く馬車が何台も連なり、街道を進んでいく。

 レニとリオは肩を寄せ合うようにして、遠ざかっていく港町の風景を眺めた。


「リオ、いい街だったね」

「はい」


 レニは夕暮れの中、しばらく港町の風景を眺めたあと、リオのほうを振り返って言った。


「また来ようね。ヤズロおじさんやマリラおばさん、テイトやヴァン、街のみんなに会いに」


 レニの言葉に、リオは微笑んで答えた。


「はい、レニさまが望まれる通りに」


 それから、そっと体を寄せて来るレニの小柄な身体を支えるように身を寄せる。

 二人を乗せた馬車の隊列は、夕暮れの中、ゆっくりと北へ向かって進んで行った。



 次章、レニとリオは北にある学府に行くためにキャラバンに乗り込んで、新しい仲間に出会う。


第三章「北への旅路」(キャラバン護衛編)

第23話「にぎやかな相客」

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