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第227話 それだけの存在

3.


 二の月に入ると、リオはしばしば体調を崩して寝込むようになった。

 元々温暖な気候のエリュアで、生まれた時から風にも当てぬよう、深窓の姫君のように育てられたのだ。

 作法や芸事、立ち居振る舞い、上流階級の人間に仕える術や知識などは厳しく仕込まれたが、「労働」と呼ばれる類のことは何ひとつしたことはない。何もかも自分の手でやらねばならない厳しい環境で生きるのは初めてだった。

 レニといる時は「男として振る舞わなければ、レニを支えなければ」という意識が常にあり、率先して力仕事や外の仕事を引き受けたり、どこに行くにもついていった。


「リオ、いいよ。水汲みは私がやるから。そんなに積もってないから、雪かきも一人で大丈夫だよ」

「外の仕事は俺がやります。男ですから」


 何かをするたびに、そんな押し問答を繰り返す。

 そうしてそのたびに、なぜ男に戻った今も、レニは以前のように自分を気遣うのだろうという苛立ちが積み重なっていく。

 レニの態度は、リオが「寵姫」だったころと変わらない。何であれ自分でこなそうとし、頼る気配がない。それどころか、なるべくリオに負担をかけないように、常に気遣い小まめに動いている。

 レニの中では相変わらず自分は「守らなければならない姫君」なのだ。

 そう思うと、体の内部が屈辱と羞恥でカッと燃える思いがする。

 レニよりもひ弱で力もない、日常的には何の役にも立たず何も出来ないのであれば、「寵姫」であったころと何も変わらない。

 そう思い、殊更男として振る舞おうとしたことが、さらに心身を疲弊ひへいさせた。


「レニさま、申し訳ありません」


 朝がきても体が熱っぽくだるく起き上がることが出来ない。そんなことが増えた。

 朝の食事を持ってきたレニは首を振る。


「私のほうこそごめんね。リオは体が強くないのに、無理させて」


 食事を終えて横になったリオに、レニは笑顔を向けた。


「暖かくなったら、学府に行こうよ。マールもきっと心配しているだろうし」


 早く元気になってね。

 そう笑うレニの顔を、リオは寝台の中からジッと見る。

 一緒に暮らすようになってから、レニは変わった。

 まるで日陰で固く閉じられていた蕾が、日の光を浴びて急速にほころびるように、少女の面影を残しつつも成熟した女性になろうとしていた。

 元々リオにとっては、レニは世界一可愛らしい存在だった。

 だが最近は、ふとした拍子にレニの姿に見たことのない美しさを感じて、心を奪われることがある。


 こんなに綺麗な人だったろうか。


 今までは周りの人間がレニを、目立つところのないごく平凡な少女として扱うことに慣れて安堵していた。

 顔立ちが幼いこともあり、何より大抵の人間はリオの姿に否応なしに目を奪われ、結果的に女性としてレニに注目するという発想を持たなかった。

 

 でもこのままレニが成熟していけば、その魅力に自分以外の男も気付くようになるのではないか。

 例えばコウマのように、自立した男として生きてきた人間に好意を持たれたら、レニは果たしてどうするだろうか……。


 そうなったら、「寵姫」として側にいればいい。

 

 夢うつつな心の奥で、誰かがそう囁く。


 美しい人形としてその夫君にも仕えれば、レニさまの側にいられる。

 

 何故だろうか。

 レニと一緒に暮らすようになってから、頻繁に「寵姫」であったころの夢を見る。

 レニの前で男であろうとする「リオ」を嘲笑うように、男たちに犯されることに屈辱を感じながら、その屈辱にすら快感を覚えていた時の記憶が繰り返し甦る。

 自分の本性は、こちらなのではないか。

 男たちに与えられる快楽に喘ぎながら、「リオ」は思う。

 なれもしないものが自分であると信じ、叶わない夢を見ているだけではないか。

 だからレニを抱くことが出来ないのではないか。


 夢の中で、かつての主人であるグラーシアが自分にのしかかる。

 傷だらけの巨大な体躯を持つ、残虐な赤髪鬼。

 体を繰り返し弄ばれているうちに、相手の男の姿は次々と変わっていく。

 エリュアにいた頃の娼館の主、グラーシアに呼ばれた貴族や兵士などの男たち、自分をかどわかした盗賊団、レニと共に乗った船の船長、オズオンやシンシヴァ、そしてイリアス。


 その姿を、緑色の瞳を持つ美しい女が見ている。蔑み、嫌悪、嘲り、憎悪といった感情の奥に、時折わずかな憐れみが揺れる。

 

(そいつは、男に抱かれて喘ぐしか能がないのよ)

(楽しんでいるみたいじゃない)

(男たちに可愛がれることを)


 それはオルムターナの公女に生まれ、後に皇后になり、女帝を産んで国の母たる太后の地位までのぼりつめた女の声だ。


(エリカ太后……)


 自分を組み敷く男たちの太い腕の隙間から、リオはその女に視線を向ける。

 女はリオの視線を避けるように背けた顔を扇で隠し、嫌悪に染まった声で呟いた。


(女よりもっと女なのね)


 その瞬間、視線の先にいるエリカの姿が別の人物に変わっていく。

 赤い柔らかそうな髪、年の割には幼い顔立ちと小柄な体、大きなハシバミ色の瞳がジッと自分を見つめている。


(レニ……)


 リオは恐怖に瞳を凍りつかせる。

 次の瞬間、まるで全身が切り刻まれ、そこから血が吹き出すように絶叫した。


 レニ、違う、違うんだ!


 リオは何とかレニに言葉を伝えようと、そちらへ向かって叫んだ。


 こんなのは俺じゃない。

 こんなのは、何もかも嘘で……俺には、何の関係もないものなんだ!


 上から荒々しく押さえつけてくる力に、リオは必死に抗う。

 普段は大人しく従順な寵姫が狂ったようにもがき抵抗する様に、男たちは一瞬驚いた表情を見せる。だが最初の驚きが過ぎ去ると、いつもと違う反応にむしろ愉悦をしたたらせた。


 止めろ、放せ! 放せ!


 抗っても抗っても、自分を押さえつける力はビクともしない。

 怒りの声は悲鳴に代わり、その力も尽き果ててる。やがてリオは、顔を伏せて弱々しい声で哀願するばかりになった。


 頼む、レニ、見ないでくれ……。

 見ないで……。


 なす術もなく男たちに辱しめられ蹂躙される。

「リオ」もそれだけの存在に過ぎないのだとしたら。それが本来の自分なのだとしたら。

 どうかもうこの世界から自分を消して欲しい。

 そう祈りながら、リオは涙を流し続けた。

★次回

第228話「男なのだから」

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