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第21話 手に入らないとわかるから

9.


「学府を目指して北に向かおう」と決めた数日後には、レニとリオは街を出る準備を整えていた。

 二人が出発する日、「海鳩亭」には別れを惜しむ人々が、朝からひっきりなしに訪れていた。


「レニ、リオ、本当に行っちゃうの?」

「何だよ、レニ。もう行くのかよ、つまんねえな。コマの上手い回しかた、教えてやろうと思っていたのに」

「今日からリオの唄は聴けないのか」

「聴くだけで寿命が延びるような心地がしたのにねえ」

「レニ、酒を飲みすぎるなよ。馬鹿なことして、リオを困らすんじゃねえぞ」


 ヤズロとマリラは、旅立つ二人のためにいささか多すぎる食料を荷袋に詰めていた。


「レニ、お前の好きな肉入りパイを焼いたからな、今日の夜にでも食べな。乾燥させた果実も、袋に詰めておくぞ。日持ちするから、非常食として最後まで取っておけよ」

「替えの肌着を作ったから持っていきなよ。北はすごく寒いらしいからね。薄着して風邪を引かないようにね」

「やだなあ、おじさんもおばさんも……子供みたいに」

「子供みたいなものだよ。あんたはお調子者で無鉄砲なところがあるから心配だわ。リオがしっかりしているから、大丈夫だろうけど」


 マリラの言葉に、リオが微笑んで頷く。

 照れ隠しにぼやくレニに食料と肌着を手渡すと、マリラはレニの小柄な体を抱き締めた。


「またこっちに来たときはね、絶対にうちに寄るんだよ。あんたたちのお父さんとお母さんの家だと思ってね」

「おばさん……」


 マリラの言葉に、レニはハシバミ色の大きな瞳を涙で潤ませる。


「出発は昼すぎか」 


 二人の荷物を整えてやりながら、ヤズロが寂しげに呟いた。

 レニが頷く。


「組合の紹介で、隊商の護衛の仕事を紹介してもらったんだ。北方までは行かないけれど、途中までは一緒に行けるから」

「護衛? あんたがかい?」


 驚くマリラの顔を見て、レニは笑った。


「おばさん、私、こう見えて強いんだよ」

「まあまあ、でもねえ、あんたみたいな女の子が、そんな危ないことを」


 レニの姿を見て頭を振るマリラに、ヤズロは寂しさを圧し殺すためにわざとぶっきらぼうな声を出した。


「ばあさん、辛気臭いことばっかり言うな。二人にとっちゃあ旅の門出だぞ。それを風邪をひくだの、危ないだの、何だ」

「若い娘二人の旅なんだから、心配して当たり前じゃないの。あんたみたいな、うるさいおじいさんが旅をするのとは訳が違うんだから」


 いつも通り言い合いを始めた二人の様子を、レニは半ば楽しげに半ば名残惜しそうに眺める。

 その時、背後からやってきたテイトに、赤い頭を掌で乱暴に撫でられた。


「レニ、達者でな」

「テイトもね」


 テイトの言葉にレニは笑って頷いた。

 次の瞬間、テイトがいつになく緊張した様子でいることに気付く。

 テイトは、レニの背後にいるリオに視線を向ける。再びレニのほう向くと、普段とはまったく違う真面目な表情で言った。


「レニ、ちょっとリオと話がしたいんだがいいか?」


 テイトの言葉に、レニは顔を強張らせる。

 レニの心の内を読み取ったかのように、テイトは苦笑を浮かべた。


「そういうんじゃねえよ。ちょっと話すだけだ。最後だし……」

「そ、それは私が決めることじゃないから」


 テイトはリオのほうへ歩み寄った。

 全身を緊張で固くして、テイトはリオに話しかけた。


「リオ、ちょっとだけいいか? そんなに時間は取らせない」

 

 リオは、物問いたげな視線をレニのほうへ向ける。

 リオだけではなく、テイトやテイトと一緒にやって来たヴァンも視線を向けてくる。

 レニは渋々口を開いた。


「リオ、行ってきたら? 今日でお別れだし」


 リオは頷くと、テイトの後に従って外へ出て行った。

 その後ろ姿を見送りながら、ヴァンが口を開く。


「テイトの奴、リオのこと、本気だったんだなあ」

「やっぱりそうなんだ」


 レニは外が気になって仕方がないように、チラチラと窓のほうへ目をやる。

 そんなレニの姿を見て、ヴァンは笑った。


「仕方ねえよ。リオはただ美人ってだけじゃねえ。自分の手の中に捕まえておきたくなるような、そうしないと消えちまうような、そんな魅力がある。見ているだけで、体の一番奥の部分が狂うみたいな、な。ああいう美人は手に入らないとわかっていても、男は放っておけないもんさ」


 ヴァンは独り言のように付け加えた。


「……手に入らないとわかっているから、かもな」


 レニはよく物事が飲み込めず、何となく面白くなさそうにヴァンの顔を横目で見た。


「ヴァンもリオのことが気になっていたの?」

「そりゃあ、あんないい女を見たのは、生まれて初めてだからさ」


 ヴァンは、ふと表情を改めてレニの顔を見た。


「お前……リオとできているのか?」

「へっ」


 レニの顔が、髪の毛よりも赤く染まる。

 まさかリオとの関係をそんな風に見られていたとは、思いもよらなかった。


「なっ、何で」


 顔を真っ赤にし目を白黒させて、ろくに話すことも出来ないレニを見て、ヴァンは「やっぱりそうか」と独り言のように呟いた。


「様子を見ていて、もしかしたら、って思ったんだ。この街は、あちこちから色んな人間が来るからまだいいが、北はここほどおおらかじゃねえからな。同性同士の関係が禁忌の場所もある。気を付けろよ」

「そ、そ、そんなに露骨に態度に出ていた?」


 レニとしては、自分がリオにそういう感情を持っていることを出さないようにしていたつもりだった。「様子を見ていればわかる」という指摘は不本意だし、何より恥ずかしい。

 レニの言葉に、ヴァンは苦笑して肩をすくめる。


「無言の圧が凄かったぞ。それでも通じないと、話しかけると牽制したりしていたじゃねえか。割って入ったりしたら殺されかねねえな、と思ったよ」


 ヴァンの言葉に、レニは首を捻る。


「え? え? そう? そんな……そうかなあ? そんなことしていた?」


 確かにテイトがリオを気に入っている様子には多少やきもきしていたが、そんなに殺気立った記憶はない。

 むしろテイトやヴァンとは気が合っていたので、一緒にいても二人のリオに対する態度が気になることはほとんどなかった。

 ヴァンは、レニの顔を凝視しながら言った。


「お前、気付いていないのか?」


 どんだけ鈍感なんだよ、というヴァンの言葉に、レニは慌てて文句を言う。


「だ、だって、私、全然そんなつもりなかったよ? テイトはともかく、ヴァンがリオのことを気になっていた、なんて知らなかったし」


 ああ、とヴァンは不意に得心がいって呟いた。


(お前のことじゃねえよ)


 レニと話し、その体に気軽に触るたびに、背中に刃をずっと押し当てられているような視線を感じていた。 

 あの物静かな姿のどこから、あんなに冷たい威圧感が生まれるのか。

 ヴァンは、まだ困惑し焦っている様子のレニの肩に腕を回す。


「リオはいい女だ。大切にしろよ」

「う、うん、もちろん」


 ヴァンは肩に回した腕と反対側の手で、レニの赤い髪を乱暴にかき回した。


「うわっ! なに、何だよ!」

「この赤毛のチビっこ野郎が」


 ヴァンは抗議するレニにお構いなく、笑いながら言った。


「また来いよ、レニ。お前とリオが来るのを待っているからな。俺もテイトも他の奴らも」


★次回

第22話「さよなら港街」

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