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第216話 知って欲しかった。

14.


 ランスが部屋に入ってきた時、リオはいつもと変わらず窓際に腰掛けて、外を見ていた。

 今夜は月明かりもなく、黒く塗りつぶされたような闇だけが広がっている。冷たい刃を振るっているかのような、風が吹きすさぶ音だけが壁越しに聞こえてきた。

 ランスは手を上げて見張りを遠ざけると、部屋の扉を閉めてリオの前に立った。


「お前を海に還す日が決まった」


 新年の祝いの日に、手足に重石をくくりつけて沈める。

 淡々とした口調でそう説明されても、リオの表情は変わらなかった。

 ランスはしばらくその整った横顔を見つめていた。リオが静かな了承を表しているだけなのを見て取ると、口を開いた。


「もしお前がどこで死んだか伝えたい人間がいれば、出来るだけのことはする」


 不意に青い瞳を向けられて、ランスは言葉を途切らせた。リオはわずかに微笑み、ゆっくりと首を振る。

 ランスは言った。


「誰か、待っている奴はいないのか」


 リオは再び首を振った。ランスではない、別の人物に言うかのように囁く。


「誰もいません」


 それからランスのほうを向いて言った。


「あなたには感謝しています」


 黒い瞳をわずかに動かしたランスに、リオは笑いかける。


「あなたは、いつも出来る限り俺を助けようとしてくれた。アストウもそうだ。あなたたちは、見ず知らずの俺を、この地で何とか生き延びさせようとしてくれた」


 ランスはリオから視線をそらして呟く。


「俺は最後に、お前の命よりもイルクードを取った」

「あなたの立場なら、それが当然です。アストウにも……申し訳ないことをしました。俺が来たせいで」


 ランスはしばらく黙ってから口を開いた。


「不思議だ。俺がアストウに言いたかったことが、お前には伝わっているようだ」


 ランスは独り言のように続ける。


「俺はアストウと、生まれた時から一緒に育てられた。兄弟よりももっと近く、誰よりも長い時間を一緒に過ごした。幼馴染みでライバルで仲間だった。それなのに、遥か海の向こうの別の世界の奴らのほうが、まだしも俺の言うことがわかるんじゃないかと思う時がある。アストウは、なぜ俺があいつを長の座から降ろしたか、理解出来ないだろう」


 淡々と言葉を紡ぐランスをリオは見つめる。


「アストウのことを、とても大事に思っていたのですね」


 ランスはリオの言葉を、自分の中に反芻させるように少し黙った。それから視線を横に向ける。


「わからん。アストウはイルクードの長だ。俺にとっては、イルクードを守ることが全てだ」


 リオは微笑んで、遠くを見るような眼差しになった。


「俺にもあなたと同じように、とても大切な人がいました。そしてあなたと同じように、俺の言うことも思うことも何ひとつ、その人に伝わっていないような、もしかしたら永遠に届かないんじゃないか、そんな感じがしていました。『俺』がもし、あの人の前に立てたら……そうしたら、もしかしたらわかってもらえるんじゃないか、そう思っていました」


 ランスは興味を引かれたように、わずかに眉を動かした。


「お前の女か?」


 リオは微かに笑い、わかるかわからないくらいに首を振る。


「俺は、その人のことを愛していました。出会った時から……ずっと」

「そう言わなかったのか?」

「言いました。何度も。信じてはもらえませんでした。無理もありませんが」


 レニは、自分が「寵姫」だったころ、周りの人間と同じようにレニのことを疎んじていた、と思っている。

 あの頃、自分は「イリアスの寵姫」としてしかレニに会うことが出来なかった。男とわかったらレニが落胆するのではないか、忌まわしいモノとして嫌悪されるのではないか、そういう恐怖に苦しめられていた。

 夫でありながら、グラーシアの孫としてしかレニを見ず忌避の感情を隠そうとしないイリアスを、憎んですらいた。

 もし、自分がレニの夫だったら……。

 何度もそう考えた。

 レニの夫に抱かれながら、そんなことを夢想している自分が惨めで滑稽だった。

 現実の自分は、独りで寂しそうにしているレニの側に、いてやることさえ出来ないのに。


「そいつに気持ちを伝えたいんじゃないのか」 


 ランスの言葉によって、リオは物思いから覚める。

 自分を見つめる視線を感じて、リオは首を振る。


 伝えたい。

 だが、きっと伝わらない。

 だから、言わなくて良かった。


 リオは顔を上げて、ランスに笑みを向けた。


「あなたは今まで出会った誰よりも、俺の苦しさを理解して同情してくれている。そんな気がします」

「俺がお前の立場に置かれたら、生きることは出来ない」


 一拍おいて、ランスは独り言のように付け加える。


「お前は強い。イルクードの誰よりも」


 ランスはそのまま部屋から出ていった。

 錠を下ろす音が聞こえ、リオは再び部屋の中に一人になる。

 暗闇の中に響く風の音を聞きながら、ぼんやりと考える。


 強くなどない。

 今の境遇でも生きる意味があったから、その意味にすがることで生きることが出来ただけだ。

 だが、それを失ってしまった。


 リオは瞳を閉じる。

 そうすると、いつも脳裏に赤い髪を持った小柄な少女の姿が浮かぶ。


 レニ……。

 もし、俺でないものに生まれ変われたら、今度こそあなたの側にずっといられるだろうか。

 叶うなら知って欲しかった。他の誰でもない、俺の気持ちを。

 今まで、あなたに抱いてきた思いを。


 どれくらい暗い部屋の中でそうしていただろう。 

 不意に今まで見張りの寝息しか聞こえて来なかった扉の外が、騒がしくなった。

 誰かがやって来て、話し合っているような気配がある。

 切れ切れに聞こえてくる話の中から「アストウ」という名前が聞こえてきて、リオは顔を上げた。


「本当か……」

「ああ、アストウが……」

「ランスに……」


 男たちは興奮して何やら話し合っている。

 バタバタと扉の前から人が駆けていく音が聞こえ、また辺りは静かになった。

 物音を立てないように扉に近づき外の様子を伺う。辺りはシンと静まり返り、扉の外には人の気配を感じない。

 リオは思い切って、扉の取っ手を掴み押した。扉を封じる鎖が鳴る音が響き、指も通らない僅かな隙間が開いただけですぐに扉は押し戻される。

 リオはジッと、自分と外界を隔てる閉ざされた扉を見つめた。


 例え見張られていなくとも、自分にはここから出る力はない。そんなことはわかっていたことだ。


 その時、風の吹きすさぶ音に紛れてコツと小さな音が聞こえ、反射的に顔を上げた。

 最初は空耳か、風に吹かれて小石が窓に当たったのかと思った。

 だが続いて、コツコツと何度か室内に響いた。

 リオは立ち上がり、音のほうへ歩み寄る。


 リオ……。

 

 その声が聞こえた瞬間、何か目に見えないものに打たれたかのように身を震わせ立ち止まる。

 その声が本当に現実のものなのか、自分の内部から生まれた幻聴なのか確かめることが怖かった。

 だが逡巡する心を無視して、体が勝手に動き出す。


「レニ!」


 リオは窓に駆け寄ると、固くなった窓枠を力を込めて持ち上げた。

 身を切るような冷たく鋭い風が、室内に流れ込む。

 光のない空間を見上げると、闇の中から垂らされたロープと、それを伝って下りてくる黒い小さな塊が見えた。

 それが見る見るうちに大きくなりレニの姿になるのを、リオはただ瞳を見開いて見つめていた。


★次回

第217話「助けに来たよ」

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