第214話 何を言っているんだ。
13.
二階に上がって部屋に入るや否や、レニはアストウに向かって言った。
「リオはイルクードにいるの? お姉さん、リオに会ったの?!」
「レニ、落ち着けよ」
コウマに寝台に座るよう促されて、レニは仕方なく腰掛ける。
コウマはアストウに椅子に座るようすすめると、自分はレニの隣りに座る。イズルは三人から少し離れた位置で、腕を組んで壁に身をもたせかける。
アストウは、酔いから醒めた瞳を自分の正面に座るレニに向けた。
「あんた、イルクードの血を引いているのかい?」
リオの言った通りだ、というアストウの呟きに、レニはハッとする。
「リオは、私のことを何か言っていた?」
「うん、そりゃあね……」
戸惑った顔つきで頭をかくアストウに、コウマが言った。
「あんた、さっきイルクードを追い出されたって言っていたな。どういうことだ? あんたは、もうイルクードの長じゃないってことか?」
「長?」
イズルがアストウのほうへ視線を向ける。
「あんたは部族の長なのか?」
「馘になったけどね」
アストウは、自嘲するように笑う。
イズルが鋭く言った。
「部族から長を降ろされるということは、無能だと判断されたということだ」
「お、おい、イズル!」
コウマの言葉に構わず、イズルは言葉を続ける。
「長は頭だ。能力と信頼がなければ一族は生き延びられない」
「能力と信頼……」
アストウはイズルの言葉に怒る様子もなく、小さく笑った。
「そうだね、その通りだ。部族を守り抜く力がある、そう仲間から信頼されなければ、そんなものは長でも何でもない」
「あんたは、その信頼を失って追い出された、そういうことか」
「まあ、そうなんだろうね」
憔悴と自嘲が浮かぶアストウの横顔を見て、コウマは首をかしげた。
「何だってそんなことになったんだ? 俺が行った時は、あんたはちゃんと長として認められていたじゃねえか」
アストウはしばらく躊躇ったあと、口を開く。
「たぶん……あたしがリオを引き取ったからじゃないか。そう思うんだ」
「リオを引き取った? そのせいであなたは追い出されたの?」
レニの言葉に、アストウは曖昧に頷く。
その様子から、アストウ自身もそのことをずっと考えてきたが、はっきりした答えがどうしても出せないでいることが見てとれた。
アストウは自らの考えを辿るように言葉を紡ぐ。
「わからないけれどね、それしか考えられない。ランスはずっとそのことを言っていたし」
「ランス?」
「あたしの片腕だった奴だよ」
「そいつに裏切られたのか?」
「そうなんだろうね、あたしの代わりにランスが長になったみたいだから」
「あんたは、片腕の心が離れていたことに気付かなかったのか」
イズルの呆れたような言葉に、アストウは唇を噛む。
「わからなかった。今だってわからないよ。ランスが元々、あたしを長と認めていたのかどうかさえね。リオのことがなくったって、あいつは裏切っていたかもしれない」
「イルクードには、困った女を受け入れることを反対する奴がいるのか」
ユグならば考えられない。そう言わんばかりにイズルが言う。
「そのランスっていう人がリオを良く思っていなかったなら、リオが危ないんじゃない? あなたはリオのことで、その人と揉めたんでしょう?」
レニに問われて、アストウは困惑したように口ごもる。
「ランスは最初、リオを自分の妻にするって言っていたんだ」
「つ……?」
「妻?」
「妻だああ?」
アストウの言葉に、三人はいっせいに声を上げる。驚きから覚めるとコウマが言った。
「そのランスって奴はリオに惚れて、あんたに一緒にならせて欲しいって頼んだ、それをあんたが断ったから、自分が長になってリオをモノにしようとした、ってえことか?」
アストウは首を捻りながら呟く。
「そう言われると、それが一番筋が通っているように聞こえるけれど、でも」
ランスは、リオが男だって知っているはずだし、と言いかけて、アストウはハッとして別のことを言った。
「誰かを手に入れたいっていう理由で、ランスが長になるとは考えられない。イルクードのことを一番に考える奴だからね」
「どっちにしろ、リオは誰かとくっついたりしねえよ。こいつのことで頭がいっぱいなんだから」
コウマは、今にも外に飛び出したそうな様子で、寝台の上でそわそわしているレニを指差す。
「ランスという奴の求めに応じないとすれば、水の器の娘が危ういんじゃないか?」
「ランスはそんな奴じゃない。でも……」
イズルの言葉に、アストウは言葉を詰まらせる。
ランスはそうではないにしても、他の男たちはどうか。万が一、誰かがリオが男であると気付いたら、どんな目に合わせるか。
遅ればせながらその可能性に気付き、アストウは表情を曇らせた。
「他の連中は何をするかわからない。すぐに迎えに行ったほうがいいね」
言ってから、アストウはふとレニのほうへ視線を向ける。
「ちょっと気になるんだけど」
レニはアストウの視線に驚いたように、わずかに瞳を見開いた。
その姿を捕らえたまま、アストウは言った。
「リオは、最初に会った時に言っていたよ。あんたの側にいることだけが望みだった。でも、そうすることが出来なかった、って」
「リオがそう言ったの?」
アストウの脳裏に、最初に話をした時のリオの姿が浮かぶ。月明かりに溶けてしまいそうな儚げな姿。心を切り刻まれているかのような苦しげな声。
(私の望みは、ただあの人の側にいることだけでした)
(側にいたい……。ただそれだけが……望みだった)
レニの顔に視線を当てたまま、アストウは言った。
「あんたたち二人の間のことに、とやかく言うつもりはないよ。何か事情があるんだろうからさ。でも……リオは辛そうだったよ、凄く。あたしがあの子を拾ったのだって、『行く場所がない』って言っていたからなんだ」
レニは、弾かれたように顔を上げた。
アストウは言葉を続ける。
「あんたらがリオを迎えに行くって言うなら、もちろん協力する。あの子が好きだし、こんな危険な立場にしたのは、あたしの責任だからね。でもあの子が帰りたいのに帰れない、そう思っているところをずっと見てきたからさ。迎えに行ったあと、あんたがあの子をまた見捨てるつもりなら……」
「違うよ!」
アストウの言葉の途中で、レニは激しく頭を振る。
アストウではない。この場にはいない誰かに訴えるように、レニは言葉を紡いだ。
「私はリオを捨てたりなんかしていない! リオを……リオを、連れて帰ろうとしたの。ちゃんと、リオを守れる人のところに」
忘れていた胸の痛みが再びよみがえり、瞳に涙が滲んだ。
自分の母親の悪意によってリオは傷つけられていた。それなのにリオを守るどころか、気付くことさえ出来なかった。
「私じゃ、リオを守れないから……」
レニは瞳から涙が溢れそうになるのをこらえながら呟く。
リオを守れなかった……。
その痛みで胸が、刺されたかのように痛み続ける。
自分のせいで、リオが傷つけられた。
「私は……リオを危ない目とかひどい目に合わせてばっかりいる。私じゃあリオのことを幸せに出来ないんだ。だから、リオがちゃんと幸せになれるように……そう思って」
顔を上げて叫んだ瞬間、不意にコウマがレニのほうを向いた。
「お前、何を言っているんだ?」
今まで見たことがないような鋭い視線で射抜かれて、レニは言いかけた言葉を飲み込んだ。
★次回
第215話「コウマの告白」