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第210話 女に見える男

「男お?」

「何を言っているんだ、酔っ払いすぎだろ」

「違う! 男だ! 間違いねえ。女じゃねえぞ!」


 通路中に男の声が響き渡る。

 リオは男のほうを振り返る。

 今まで欲望を向けてきた人間たちは、リオが男であることを気にしたことがなかった。むしろ男が女の恰好や立ち居振る舞いを強いられていることに、倒錯した価値を見出す人間がほとんどだった。

 多くの人間は、美しい女性だとばかり思っていたモノが実は男であること、そのモノを自分の自由に出来ることを喜んだ。


 だがいま、リオに触った男が浮かべているのは、欲望から生まれる喜びとは反対のものだった。

 自分というモノに触れてしまったことに、男が恐ろしいほどの怯え、嫌悪を感じていることがはっきりと伝わってきた。

 恐怖とも呼べそうな、強烈な忌避の感情だった。


「男? んな馬鹿な。だって……女じゃねえか」


 残った二人は、怯えた眼差しをしている仲間とリオの姿を見比べる。

 その隙にリオは駆け出した。


「あ」

「に、逃がすな! 村に出すんじゃねえ! 化け物だ!」


 背後から半ば怯えたような、だが半ばはその怯えを打ち破る怒りの声が上がる。

 しかし男たちは状況に困惑し、なかなか追いかけることが出来ずにいるようだ。

 これならば逃げ切れるかもしれない。

 男たちは、船内に伝えるように「化け物がいる」「外へ出すな」と叫んでいる。

 リオは暗闇の中を、壁にぶつかるようにして走り続けた。

 そうしていると、ずっと以前から灯りがほとんどない薄闇の中を進み続けていたような、そうしてこれからも永遠に近い時間を進み続けなければいけないような、奇妙な錯覚を覚えた。


(レニ)


 脳裏に赤い髪の小柄な少女の姿が浮かぶ。

 それはどこまでも続く暗く狭い世界の中で、ただひとつ、はっきりと目に見えるものだった。


(リオ、外の世界を見に行こう)

(一緒に行こう。二人で)


 暗闇の中でさしのべられたレニの手に、リオは手を伸ばそうとする。

 その瞬間、視界が開けた。

 雪解けの水に濡れた甲板が、月光に照らされて白い光を放っている。


 出られた!


 そう思い、視線を外へ向ける。視界に橋げたを渡って陸から船へ上がってくる男たちの姿が映り、喜びと希望が心の中から消えていった。

 先頭を歩いているのはランスで、そのすぐ後ろを赤毛の大男ジグが歩いている。

 二人もすぐにリオに気付いた。


「いた! いたぞおおお!」


 それと同時に、先ほどリオを追いかけていた三人が、船内の仲間たちを引き連れて甲板に出てきた。

 リオを真ん中に挟むようにして、陸から上がってきたランスやジグたちと、リオを追いかけてきた男たちは向き合う。

 ジグは色めき立っている船からきた男たちの顔を眺め、状況を察したようだった。


「ジ、ジグ……」


 リオの体に触った髭面の男が、リオに指を突きつけた。


「そいつは男だ! 女に見えるが男なんだ!」


 ジグは自分の手元にいる、リオの姿を見下ろした。

 そして反射のような動きで素早くリオの体を捕らえ、有無言わさずに下腹部に手を伸ばす。

 性別が明らかな部分を確かめると、まるで電流が流れたかのように手を引き、呆気に取られてマジマジとリオの姿を眺めた。


「信じらんねえ」


 ジグはまだ、視覚と触れて確かめた事実のどちらも受け入れられないといいたげな顔つきで、ただただ背けられたリオの顔を凝視する。


「間違いねえ、男だ」


 自分の腕を振り払おうとするリオをしっかりと捕らえたまま、ジグはランスのほうへ視線を向けた。

 その口から低い、奇妙に押し殺された声が漏れる。


「おめえの言う通りだ、ランス。こいつは男だ」


 ジグはランスの顔に強い視線を当てて言う。


「おめえは知らなかったんだな? アストウから何も知らされていなくて、女だと思って『妻にする』って言っただけなんだな?」


 ジグの声には硬質の響きがあった。

 それはランス個人の問題では済まない、彼ら全員が今まで生きてきた世界を根底から壊しかねないほどの恐ろしい出来事なのだ。普段のジグからは考えられないほど静かな声が、そういう男たちの心情をはっきりと表していた。

 辺り一帯に、怒りとも敵意ともつかない強い緊張がみなぎる。

 イルクードの男たちは、自分たちの立っている地盤を壊す脅威としてリオを、そしてランスを見ていた。

 永遠とも思えるような長い沈黙のあと、ランスが口を開いた。普段と変わらない抑揚のない声だった。


「俺もさっきその娘に触って気付いた。外見からはわからないからな。気付いたから、すぐにお前らに話を持っていったんだ」


 ジグは値踏みするような視線でランスを眺める。


「アストウが、知らないわけがないな? こいつの面倒は、アストウが全部一人でみていたからな」


 リオの腕を掴むジグの力が強くなる。

 骨を握りつぶそうとするかのような力に、リオは歯を食いしばって耐える。

 その強い力は、ジグの……男たちの敵意そのものだった。


「アストウは、船でずっとこいつを飼っていやがった。忌みモノを俺たちの中に引き入れたのか」


 男たちが発する気配が変わる。

 怯えと困惑は、恐ろしいまでの怒りと嫌悪へと色を変えていった。


「こいつは、アストウのイロじゃねえか。南の奴らは、男にわざわざ女の恰好をさせたりするっていうしな。アストウが南で拾ったんだろ」

「俺にはわからん」


 感情のない声で繰り返すランスに、ジグは強い眼差しを向ける。


「どうするんだ? ランス。こいつは船を、イルクードを穢した」


 ジグに執拗に腕を締めつけられ、痛みから額に汗を浮かべているリオを、ランスは無表情のまま観察する。

 それからおもむろに言った。


「忌みモノは船でも陸でも殺せない。穢れが残る」

「だから、どうするか? って聞いている」

「海で清める」


 男たちの間から囁きが漏れる。

 そうだ、それがいいと何人かが小さい声で言った。

 ランスはその声には反応せず、ジグに向かって言った。


「新しい年の初めに、海に沈める。そうすれば船の穢れが消え、船と海は再び結ばれるだろう」


 ジグは何か言いたそうな顔をしたが、結局はランスの判断が正しいと認める顔つきになった。

 自分の腕の中にいる、リオを忌まわしそうに睨む。

 その顔からは先日までのリオに対する欲望は、跡形もなく消えていた。


「おい誰か、こいつを元の船室に連れていけ。新年まで絶対に逃がすな」


 指示に従うことを悩むように、男たちは逡巡し、お互いの顔を眺め合う。誰もがリオに触れることはおろか、近づくことさえ躊躇っているようだ。

 苛立ったジグがもう一度声を張り上げようとした瞬間、ランスが進み出た。


「新年までは俺が預かる」


 ジグは鋭い視線をランスの顔に向ける。

 だがランスに見返されると、すぐにリオの腕を放した。


「これからはおめえが長だからな。長の判断に従うさ」


 ランスはリオの腕を掴むと、船内のほうを向く。男たちは慌てたように両方に割れ、道を作った。

 再び暗い通路の中に戻ったリオは、引き立てられるままにランスの後を従う。

 暗い闇の中では、もうレニの姿を見ることは出来なくなっていた。


★次回

第211話「北へ向かうレニ」

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