第206話 アストウとランス
7.
リオが男であることを打ち明けると、ランスはさすがに驚きを露わにして、しばらく黙り込んだ。しかしアストウの予想に反して、反感も懸念も示さなかった。
どのようにランスに話せばいいか悩んでいたアストウは、肩の荷が下りてホッとした反面、やや気抜けした表情になる。
すっかり驚きが醒めて普段の無表情に戻ったランスの顔を、無遠慮にジロジロと眺めた。
「あんたが物分かりが良くて助かったけどさ」
何だ?と問うようにランスが眉を上げたのを見て、アストウは言葉を続ける。
「本当に納得しているのかい? そもそも女であるあたしが長であることを面白く思っていない奴らだっている。ジグとかスタンとかね。普段はあんたがうまく宥めてくれているけど、リオが男だってバレたら、あんたでもあの連中の抑えは効かないだろ」
「アストウ」
不意に呼ばれて、アストウは口をつぐんだ。
ランスの眼差しは、アストウが戸惑うほど真っすぐだった。
「あんたはなぜ、女の恰好をした小僧を匿っている?」
「何故、って」
「ジグやスタンのような連中でなくとも、俺たちの大半はそんなことを受け入れられないことは分かっているはずだ」
無機質であるがゆえに冷たく響くランスの言葉に、アストウはカッとなる。
「言ったろ? あの子は行くところがないんだ。そんな子供を放り出すのが、あたしたちイルクードのやることかい? 違うだろ?」
「惚れたのか?」
矢のように放たれたランスの言葉に、アストウは一瞬きょとんとした顔になる。それから思わず吹き出した。
「馬鹿なことを。あの子はまだ子供だよ」
「十七、八にはなっているだろう。俺たちの部族じゃ、一人前の戦士になっている年齢だ」
「あの子はイルクードじゃない。あたしはイルクードの男以外には惚れない。ランス、そんなことはあんたはよく分かっているだろう」
ランスの前で、アストウは皮肉げに唇を曲げる。
二人はしばらく、見つめ合うでも睨み合うでもなしに視線を交わしていた。先に視線を外したのはランスのほうだった。
「あんたが誰よりもイルクードであることは分かっている。俺は、な」
背けられたランスの顔を見るアストウの瞳に、剣呑な光がかすめる。
「言いたいことがあるならはっきり言いなよ」
ランスは自分に射すような視線を向けるアストウを見る。その瞳に、何か理解しがたいものを見るかのような色があるのを見て、アストウは微かに息を呑んだ。
「なぜ小僧のことを俺に話した?」
「だから……あんたになら、リオを預けられるって思ったからだよ」
「何故だ?」
「何故、って……?」
アストウは戸惑ったように眉をしかめる。
「そりゃあ、あんたのことを信頼しているからさ」
「それは何故だ?」
「え……?」
「なぜ、俺を信頼する?」
からかわれているのかと思い、アストウはランスの顔を見直す。だが長年の付き合いがある片腕の顔は、どこまでも静かで真面目だった。
「あたしらはずっと一緒にやって来たじゃないか。あんたはイルクードだし、あたしはあんたのことをよく知っている。だから……」
気圧されたようにそこまで呟いた瞬間、アストウは俄かに我に返った。反抗的な目つきでランスの顔を睨む。
「それとも何かい? あんたは全然、あたしが思っているような奴じゃなくて、何か含むところがあるって言いたいのか?」
アストウは、今にも飛びかかってきそうな危険な空気を漂わせる。それを抑えるようにランスは首を振った。
「いや、あんたは俺のことをわかっている。俺はイルクードで、部族のことが一番だ。留守を任されれば、命に代えても一族を守り抜く」
「じゃあ、何が問題なんだい。何も問題なんてないじゃないか」
アストウは苛立ちを露わにして、ランスに詰め寄る。
「一体全体、あんたは何の話をしているんだ? 訳のわからないことばっかり言ってさ」
「俺が言いたいのは、あんたが俺をわかっていないということじゃない。俺があんたのことがわからない、そう言っているんだ」
ランスの言葉に、アストウは体から力を抜いた。怪訝そうにランスの顔を眺める。
「わからない? わからないって、どういう意味だよ? あたしはあんたに何も隠しちゃいないよ。一体、何が……」
少し考えてから、アストウは戸惑ったように付け加えた。
「あたしとリオの仲を勘繰っているのかい?」
「いや、あんたがあの小僧に同情しているだけなのはわかる」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「俺は……」
ランスは口を開きかけた。
その黒い瞳には切迫したような、だが同時にひどく悩むような、相反する二つの感情が浮かんでいた。
惑うように視線を正面に戻すと、アストウが今にも火を吹きそうな眼差しを向けている。
ランスはなおも何か言葉を探すように空中を眺めたが、ややあって諦めたように微かに息を吐いた。
「長であるあんたが決めたことなら、俺は従う。これまでもそうだったし、これからもそうだ」
アストウはランスの真意を探るように、男にしては線の細い顔を胡乱そうな目付きで眺めた。
言葉にも表情にも何の底意もなさそうだ、と納得すると、ようやく表情を緩める。
「あたしだってね、あんたには悪いとは思っているんだよ。面倒なことは何でもかんでも任せてさ」
ランスは軽く手を上げる。
「あんたは長なんだから、それに従うのは当たり前だ。それが俺たちが生きるための掟だからな」
はっきりとしたランスの言葉に、アストウはようやく肩から力を抜く。
「わかってくれていてありがたいよ、ランス。あんたがいるから、安心して留守にできる」
アストウは笑みを見せて、去り際にランスの肩を叩いた。
その背中が通路の奥に消えたのを確認すると、ランスは口の中で呟く。
「従うさ。……あんたが長のうちは、な」
★次回
第207話「女は女だ」