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第205話 月に帰る。

6.


 船室の中に扉を叩くノックが響き、リオの夢想は破られた。

 ひと呼吸置いた後、扉が開き、アストウが部屋に入って来る。


「まだ寝てなかったのかい」


 アストウはリオの前に木製の椅子を持ってくると、勢いよく座る。

 それから月の光の中にいるリオを、遠慮のない眼差しで眺めながら言った。


「あんたがそうしているのを見ていると、月に帰っちまいそうで怖くなるよ」

「月に帰る?」


 アストウが半ばからかうように、だが残りの半分は不安そうにそう言う。


「ランスがそう言っていたんだよ。あんたは、本当はここにはいないみたいだって」


 リオは黙って微笑んだ。


 自分の心は、いつもレニと過ごした日々の中で生きている。まるで、現実のほうが夢であるかのように。

 この先、ずっとそうだろう。


 アストウは、月光によって照らされるリオの美貌を見つめて言った。


「リオ、あんたのことをランスに話そうかと思うんだ」


 問いかけるような眼差しを向けられて、アストウは微かに息を呑んだ。だがすぐに言葉を続ける。


「あたしが外へ行くときは、部族のことはランスに任せている。だからね、リオ、あんたの事情も話しておかないと思っているんだ。そのうえで、あんたのことを頼もうと思っているんだけれど……」


 いつになく歯切れが悪いアストウの顔を、リオは訝しそうに眺める。

 明快な物の考え方をするこの女性が、こんな風に遠回しな言い方をするのは珍しい。

 リオの眼差しに気付いたアストウは、決まり悪そうに頬をかいた。


「あんまり気にしないで欲しいんだけどね。その……ランスは、あんたのことを余り良く思っていない」


 アストウの言葉に、リオは首を傾げる。

 イルクードの人々が、身元不明の余所者である自分のことを良く思わないのは当然だ。

 過酷な地で生きる少数部族にとっては、食べさせなければならない人間が一人増えるだけでも負担だろう。ましてや、自分たちとほぼ馴染みがない異国の人間だ。

 アストウが見ず知らずの人間である自分にこれほど親身になってくれるほうが、むしろ稀有なことだ。


 アストウは、そんなリオの胸の内を正確に読み取り、さらに困ったように眉をしかめる。


「まあそりゃあ余所者には警戒するさ。でも、何だろうね、ランスは、あんたが余所者だから胡散臭く思っている、そういう風でもないんだよね」


 アストウはリオの表情を伺ったあと、思い切ったように言った。


「男どもがあんたをモノにするために争うんじゃないか、そう心配をしているんだ」


 リオは黙ってアストウの顔を見つめ返す。

 自分が男たちにとって、強烈な磁力のような魅力を持っていることを、自惚れではなくただの事実として自覚している。

 自分はそのためのみに造られた、エリュアの技術の結晶なのだ。

 落ち着いているリオの様子を見て、アストウは言葉を続ける。


「そりゃあね、あんたは外見は女みたいで綺麗だけれど、あたしはあんたが男だって知っているせいかねえ、ランスが一体、何をそんなに心配しているのかいまいちよくわからないんだよ」


 赤い髪をかきながら、アストウはぼやくように言う。

 リオは、そこで初めて不審を感じた。


「ランスというかたは、そんなに私の存在を厄介に思っているのですか?」

「厄介……そうだね、厄介、っていうのが一番、ピッタリくるね。ランスは、自分があんたを妻にするって言っていたんだよ」

「私を妻に?」


 呆気に取られたリオを見て、アストウは頷いた。


「あんたが誰かのモノになっちまえば、男どもも収まりがつくだろうって」


 アストウはため息をつく。


「だけど、そういうわけにはいかないだろ。あんたは男なんだからね。そのことをランスには話したほうがいいんじゃないかと思っているんだ」


 リオが逡巡するのを見て、アストウは安心させるように微笑む。


「ランスなら、あんたが男だと知っても逆上したりはしないよ。あたしなんかよりも、そういう部分は……ええと、ずっと合理的なんだ」


 リオは、しばらくアストウの顔を観察したあと言った。


「ランスさんのことを信頼しているのですね」

「信頼っていうか、よく知っているからね。一緒に育った兄弟みたいなものさ」

「ずっと一緒にいたら……そのぶんだけ、相手のことをよく知ることが出来るでしょうか?」


 リオの何気ない呟きに、アストウは虚を突かれた顔になる。

 そこに一瞬不安げな表情が浮かんだが、アストウはすぐに意思の力でその不安を抑え込んだ。


「そりゃそうだろ。一緒にいりゃあ、その分そいつのことを見ているわけなんだから」


 やや語気を強めてから、アストウはリオの顔を覗き込む。


「不安なのかい? ランスに男だって話すのが」

「アストウ、私はあなたを信頼しています。ですから、あなたの判断に従います」


 深い青の瞳で見つめ返されて、アストウは我知らず赤らんだ顔を隠すように、フイッと横を向いた。


「まったく……そんな目で人を見るなって言っているのに」


 アストウは自分の胸の内を誤魔化すようにぶつぶつとぼやく。それから急に立ち上がった。


「あたしに万が一のことがあっても、ランスがあんたを守ってくれる。安心していいよ」


 過酷な自然の中で生きるということは、常に命がけだ。いつどこで命を落としてもおかしくはない。

 リオが自分を心配そうに見つめていることに気付き、アストウはにやりと笑ってみせた。


「大丈夫。あたしはそんな簡単に死にやしないよ。イルクードの長だからね。海の精霊の加護がついているんだ」


 アストウのわざとらしいほど明るい言葉に、リオは微笑んで頷いた。


★次回

第206話「アストウとランス」

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