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第203話 極北の地

 リオが困ったように瞳を伏せると、アストウはため息をついた。


「ランスが言っていたことが、少しわかったよ」

「ランス? あなたの片腕だという人ですか?」

「ああ、あんたは男にとっちゃあ少し魅力がありすぎる、って言ってたんだ。あの時は、何を阿保なことを、って思ったけれど」


 最後のほうは口の中で呟くように言うと、アストウは真剣な顔つきになり、リオのほうへ向き直った。


「リオ、あたしが前に言ったことを覚えているかい? あたしらの中で暮らすのは構わないけれど、その中にいる限りは女で通さなきゃいけないっていう話をさ?」


 リオは青い瞳を翳らせて、肯定のしるしに微かに頷く。

 これ以上、女のフリをすることは苦痛ではあったが、他に行くところがないうちは仕方がない。何より自分が男だとわかって匿っていたことがわかれば、アストウにも害が及ぶ可能性がある。

 アストウは豊かな赤い髪をかき上げながら言った。


「うちの部族は、元々が海賊だ。今は違法なことは滅多にしないが、それでも男たちの中には、欲しいものは力ずくで奪うべきだって思っている奴もたくさんいる。あんたみたいに若くて綺麗な娘に見える人間が入ってくれば、そういう奴らがどう思うかは……わかるね?」


 アストウに言われるまでもなく、そう言った危険は、リオが今まで生きてきた過程の中で常につきまとってきた。この地では、そういう目に遭い男であることを知られれば、命を落とす危険がある。

 アストウは言った。


「こんなことにまで怯えて警戒しなきゃならないだなんて嫌になるけどね、十分に警戒しておくれ。まあ一族の男たちにはよくよく言い聞かせてある。ランスや信頼できる奴には、気を付けるように伝えているしね」

「……済みません」


 リオは小さく呟く。

 世界はこれほど広いと言うのに、自分はどこに行っても異質で居場所がない。常に庇護され、誰かの手に守ってもらわなければならない。

 レニのそばにいられなくなったのも、結局はそのためだ。

 そう思うと、胸がきりで突かれたように痛む。

 リオの心情を察したのか、アストウは労るように表情を緩める。


「謝るこたあないよ。北の暮らしに慣れて、あんたがイルクードに必要な人間になりゃあ、変な目で見る奴もいなくなるさ」


 アストウの言葉に、リオは素直に頷いた。


※※※


 船がイルクードの居住地であるカシュガ湾に着いたのは、その三日後のことだ。

 港には何十人もの部族の者が出迎えに出ていた。船が港に錨を下ろし固定されると、アストウを先頭に船内にいた者たちは橋桁はしげたを渡り北の地に下りる。

 リオは、頭からフードをすっぽりと被った姿で、甲板からその様子を見守っていた。


おかにも家はあるけど、普段もこの船で生活しているんだよ」


 イルクードは成人になると、大半の時間を船で過ごしそこで生活する。家族を持つと陸に家を持ち、年を取ると船での生活を終える。

 船が北に着く前に、アストウはそうリオに説明した。

 それから、イルクードの女の衣装を身にまとって腰かけているリオのほうへ視線を向ける。


「あたしがここにいる時は船で暮らせばいいが、ずっとあたしが連れ回すわけにはいかないね。誰かあんたを預けられそうな人に折りを見て話すよ」


 アストウはリオの気持ちに負担をかけないためか、何でもないことのように言ったが、「事情を飲み込んで預けられる人」を見つけることが難航しそうなことはリオにも察しがついた。

 自然の中で生きる多くの部族がそうであるように、イルクードの人間は神に対する信心と畏怖が強い。また魔物の脅威が大きい地域のため、自分たちの理解の外の物に対する警戒や抵抗の意思も強い。

 彼らは自分たちが受け入れるものと受け入れないものを厳しく峻別することで、内部の結びつきを高め、過酷な環境の中で生きてきたのだ。


 リオにとっては、余所者であり複雑な事情を抱える自分の面倒を、アストウがこれほど親身になってみてくれることがありがたくもむしろ不思議だった。

 その心情を素直に吐露すると、アストウは少しのあいだ黙りこんだ。それから窓の外から射し込む陽の光に目を向ける。


「あたしにも亭主がいたんだよ」


 呟いたアストウの目元に、僅かに寂しさを漂う。


「あたしと同い年の働き者でね。よく笑う人だった。ちょうど今のあんたくらいの年の時に一緒になったんだけど、その半年後に冬の海に落ちて……それきりさ。もう十年以上昔のことだけど」


 アストウはここではない、どこか遠くを見るような眼差しで言葉を続ける。


「何かの間違いじゃないかとか、あいつは泳ぎが達者だからどこかに流れ着いて、助けを待っているんじゃないかとか、そうだったら早く探しに行かなきゃとか、そんなことばかり……そうだね、一年くらいは考えていたね。ずっと」


 リオが何も言わずに黙っていたため、室内には長い沈黙が下りた。ややあって、アストウは顔を上げ、ジッと自分の様子を伺っているリオに向かって微笑んだ。


「あんたを見ていると、その時のことをやたら思い出すんだ。あたしも、きっとこの子みたいな顔をして、いつもあいつがいるかもしれない遠くの場所を見ていたんだろう、あいつがひょっこり帰って来て、あたしに『心配かけて悪かった』って笑ってくれるのを、こんな顔で夢見ていたんだろうって」


 アストウはしばらくリオの顔を見ていたが、不意に照れ臭そうに笑って顔を横に向けた。


「まっ、だからいいんだよ。あんたを助けるのは、あたしの自己満足っていうか、そうしなきゃ寝覚めが悪いからやっているだけだから」


 リオはしばらく笑っているアストウの顔を眺めていたが、やがて青い瞳を真っすぐに向けて言った。


「アストウ、感謝します。あなたのご厚意に」

「ほんと、あんたって真面目な坊さんみたいな子だよねえ」


 照れ隠しにか、アストウはわざと冗談めかした口調でそう言い、リオの顔を覗き込む。


「まあだからね、あんたがここにいるうちは、あたしがちゃんと守るつもりだよ。あんたもなるべく、ここの生活に溶け込むようにしておくれ。そのほうが危険がずっと少ない。あんたは賢いからわかっちゃいるだろうけどね」


 アストウの言葉に、リオは小さく頷いた。



 陸の上で部族の人間に囲まれるアストウを見守りながら、リオはそんな話を思い出していた。

 ふと顔を上げると、フードの外に青く澄んだ空が見えた。視線の先には空よりもさらに深い青さをたたえた海が広がっている。

 頬に当たる秋の風は、エリュアよりはもちろん、王都の冬の風よりも冷たく感じる。

 リオは陸に目を戻し、さらに大陸の先、遥か南へ目を向けた。

 この視線の先のどこかに、レニがいる。いまどこで、何をしているだろうか。自分のことを探しているだろうか?


 レニさま……。


 いつの間にか顔を隠していたフードが海から風に煽られて、絹糸のような黒い髪と白い横顔が露わになっていた。

 いくつかの視線を感じ、リオはフードの目深に被り直し甲板から離れる。

 リオは新しく自分の住処となった船の通路を足早に歩き、船室に向かった。


★次回

第204話「俺自身として」

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