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第202話 ここではない、どこか。

「あんなに若くて綺麗な娘を妻にすることが犠牲? イルクード中どころか、大陸中の男たちがあんたを袋叩きにするだろうよ」

「あの娘を妻にしたところで、決して俺のものにはならない。あの娘は、俺のことが見えてすらいないだろう。そんな女といなければならないことは、刑罰のようなものだ」

「ああ、ああ、まったくどの口が言うのかね。あんたがそんなに大口を叩くとは、今の今まで知らなかったよ」


 心安立てにからかうような口調で言うアストウに、ランスは暗い眼差しを向ける。


「アストウ、なぜ俺の言うことがあんたにこんなにもわからないのか、伝わらないのか、俺には理解できない。あんたがもし……」


 そこまで言って、ランスは諦めたように口をつぐんだ。

 アストウはその表情にどことなく不安を覚えたが、次の瞬間にはそんな自分にも、そんな気持ちを起こさせたランスにも腹が立ち、グッとその顔を睨みつける。


「あんたの言いたいことくらいわかっているよ。あの子が一族に馴染んで、あんたなり他の男と一緒になってもいい、と言うなら、そりゃあめでたいことだって思うよ。ゆくゆくはそうなるだろうが……ただ、馴染めるかどうかもわからない今、決めることじゃないだろ? いくら何でも、北に戻る前に誰かの妻にしろというのは乱暴すぎる。そう言っているだけだ」


 ランスは視線を横に向けた。

 自分の言葉が、いささかもランスの心に響いていないことを感じ取り、アストウは声を荒げる。


「あの娘はしばらくはあたしの手元に置く。これは族長としての決定だ。他の奴らにもそう言っておきな。いいね? ランス」


 ランスは押し黙ったまま、どこか胡乱そうな眼差しでアストウの顔を見る。アストウはカッとなりかけたが、どうにか自分を押さえ、さらに強い横柄な口調で言った。


「返事はどうしたんだい? ランス。不服ならそう言いな」

「あんたがそうすると言うなら従うさ」


 ランスは口の中で呟く。それからはっきりとした口調で付け加える。


「だが、アストウ。今、俺が言ったことを忘れないでくれ。俺はあの娘が一族の害になるなら、あんたの手の中にあろうが遠慮なく始末する」

「ご挨拶だね」


 剣呑な光をたたえた瞳をスッと細めたアストウに向かって、ランスは軽く片手を上げる。


「誤解するな。俺だって、そんなことをしたくない。そんなことをして、俺に何の得がある? だから気が変わって、あの娘を俺の妻にしてもいいと思ったら言ってくれ。そうなったら、あんたからの授かりものとして大事に家にまつるさ」


 ランスの言葉に底意がないことを見てとると、アストウは構えを解いた。

 ランスの言葉が、自分に対する悪意や反発に基づくものではないことは分かる。ランスがリオに「惚れた」わけではないこともその通りなのだろう。

 むしろランスは、この件に関してかなり心を打ち割った自分の正直な意見を述べているのだ。そう直感でわかる。

 それにも関わらず、アストウは自分の腹心である男が一体何をそんなに懸念しているのかを測ることが出来ずにいた。


「あんたの意見は分かったよ。ただとにかく、あの娘のことはあたしに預けてくれ」


 アストウがそう言うと、ランスはそれ以上は何も言わずにその場から離れた。

 アストウはその後ろ姿を見送りながら口の中で呟く。


「こりゃあ、男どもがあの子にちょっかいをかけないように気を付けてみていないとね」


 男だとバレたら、思ったよりもとんでもないことになりそうだ。


 アストウは心の中でそう付け加えた。



4.


 船は大陸の西を回るようにして、一路北へ向かう。イルクードの居住地域である北の海についた時は、既に秋の風が吹き始めていた。


「エリュアがある南とは、気候や風土がまったく違う。特に冬の寒さは格別だからね」


 アストウは時間が許す限り、リオに北で生きるための様々な知識を伝えた。族長であるアストウがリオといられるのは、夕飯の後から寝るまでのわずかな時間だったが、リオはアストウが驚くくらい知識の吸収が早かった。


「少し前に大陸の東北に住む部族に、世話になったことがあります。ユグ、という一族ですが」

「へえ」


 アストウは感心したように目を丸くした。


「驚いたねえ。都の貴族のお姫さまみたいな物腰なのに、地方の部族と一緒に暮らしていたこともあるんだ」


 古ぼけた木の椅子に控えめな様子で腰かけているリオを、アストウはジロジロと眺める。


「あんたは、あたしが思ったより色々な経験をしているみたいだね」

「そんなことはないですが」


 リオは困ったように首を傾げる。

 アストウは、その整った憂いを帯びた横顔を眺める。

 黙っていると風にも当てられないように育てられた、深窓の姫君のようにしか見えない。だが、話し出すと物静かで生真面目な学者か僧侶のように見える時がある。

 男であることを知っているせいかもしれないが、その外見の美しさにも関わらず、本人がそう装おうとしない時は意外なほど女性らしさはない。

 女性の姿をしていることを忘れることすらある。

 

「あんたが中身そのままの外見だったら、無口で堅物で、何を考えているかわからない面白みのない男と思われていただろうね」


 アストウは半ばからかうように、半ば好奇心に目を光らせてそう言った。


「男はそういう美人がけっこう好きだけどさ、女は修行している坊さんみたいな奴なんか、すぐに飽きちまうよ」


 遠慮のないアストウの言葉に、リオは苦笑する。

 半月以上の船旅の中で、リオはこのイルクードの女族長とすっかり打ち解けていた。

 アストウは陽気で裏表がなく明け透けな物言いをするが、必要以上にリオの境遇や内面に立ち入らない聡明さを持っていた。生まれた時から自分ではない者として振る舞うことを強いられてきたリオにとって、自分を隠す必要のない関係は生まれて初めてのものだった。

 何より、レニに似た赤い髪と赤茶色の瞳を持つ女が話している姿を見ていると、レニもいまどこかで、こうやって元気に笑っているのではないか、そう思い、心が慰められた。

 アストウは笑いを収め、リオの前で居心地悪そうに身じろぎする。


「あんたね、そんな目で人を見るんじゃないよ」

「目?」

「そんな風に、ここじゃない別の場所の何かを見ていて、それが幸福だ、みたいなさ」


★次回

第203話「極北の地」

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