第200話 ただ、それだけだった。
問われた瞬間、リオの脳裏にアストウよりは茶色に近い赤い髪が浮かんだ。旅のあいだ、とかしたり編んだり結んだりした、その柔らかな手触りがよみがえる。それから赤みが強くよく動くハシバミ色の瞳が浮かび、すぐにレニの笑顔と小柄な体が浮かんでくる。
リオ。
嬉しそうに自分を呼び、弾かれたように側に駆け寄ってくる。
リオは少し黙ってから、ここにはいない何かに訴えるように答えた。
「私の望みは、ただあの人の側にいることだけでした」
リオは震える唇を噛みしめる。
心の奥底から熱い何かが溢れそうになり、思わず片手で両目を押さえた。
「側にいたい……。ただそれだけが……望みだった」
涙を止めようとしても出来ず、リオは声を殺して肩を小刻みに震わせる。
自分以外の誰であっても何であっても、レニのそばにいることは出来るのに。
何故、自分は自分以外の者ではないのか。
その苦しみが、絶え間なく心を苛む。
レニ……。レニ……!
叶わないとわかっていても、その幻に向かって手を伸ばし、心が血を吐くように叫び続けている。
アストウは、リオの心の痛みを察したように、その肩に手を置いた。
「ただそれだけでもね、叶わないことがある。辛いけれど」
アストウはリオの様子を観察しながら、付け加えた。
「その子のことが好きだったんだね? とても」
リオは何も答えなかった。
この痛みが、この苦しみが「好き」という言葉で表されるものなのだろうか。
今見ている現実が幻影のように薄れていき、代わりに記憶の中で鮮明なレニの姿が目の前に浮かんでくる。
赤茶色の髪、生き生きとした瞳、明るく優しい笑顔、幼さが多分に残る顔は、一人になると不安そうに寂しげになる。
レニを初めて見た時から、その表情を見ると胸が締め付けられそうな心地がした。
自分を見つけると、その表情が溶けて消え、心の底から嬉しそうで幸福そうな顔になった。
(寵姫さま)
自分の差し出した手を、レニがおずおずと、おっかなびっくり握り返してくる瞬間にいつも思う。
自分はこの時のために生まれてきたのだ、と。
父親を殺し、母親に捨てられ、兄に利用され、夫に疎んじられたこの少女を、この世界で一人ぼっちになることを運命づけられたこの人を一人にしないために、その奥底に封じ込められた寂しさや悲しみを慰め癒すために生まれてきたのだ、と。
その気持ちは、リオにとっては選びようのない、自分という存在の意味だった。
夢の中であるかのように、アストウの声が響く。
(その子も……あんたと一緒にいたかったと思うよ)
リオはしばらく黙ってから、消え入りそうな声で呟く。
(本当に?)
リオの前にいるレニが指を伸ばし、リオの白い頬を伝う涙を優しくぬぐって囁いた。
本当だよ、リオ。
私、リオのことが大好きだったんだ。
本当ですか? レニさま。
うん。
リオの目の前にレニの照れ臭そうな笑顔が浮かぶ。涙を流すリオを抱き締めて、小さな声で囁く。
私も、リオの側にいたかったよ。ずっと……。
リオは寝台の中で静かに涙を流し続ける。
レ二。
あなたの居場所を作ることが、俺がこの世界で生きる意味で、俺にとっても唯一の居場所だったんだ。
俺のそんな気持ちを、あなたは知っていただろうか。
「もう少し休んでいなよ。後で食事を持ってくるから」
アストウは労わるように声をかけると、物思いに沈んだリオを寝台に残してソッと席を立った。
★次回
第201話「手に入れたくなる」