第199話 あの人に似ている。
「知っているかい?」
リオは口の中で呟く。
「グラーシア将軍の……」
アストウは複雑な表情で、赤い髪をかきあげた。
「ああ、そうだね。今やイルクードと言えば、グラーシア将軍だ。『イルクードの悪魔』のことは、この大陸に住む人間なら、五歳の子供だって知っている。将軍はイルクードの血は引いているだろうが、部族の出身じゃないんだけどねえ」
「あなたは、イルクードの人なのですか?」
見事な赤い髪を見つめるリオに向かって、アストウは笑った。
「そうだよ。あたしは今のイルクードの長だ」
「長?」
リオは軽く目を見張る。
「奴隷商人に仲間が騙されて連れて行かれてね。ここまで取り戻しにきたんだ」
アストウは赤茶色の瞳を細めて事も無げに言う。その顔に一瞬獣のような剣呑な表情が浮かんだが、すぐに安心させるように表情を緩めた。
「あんたもさらわれてきたんなら、家に帰してあげるよ」
リオはうつむき、風に揺れたかのように微かに首を振った。
アストウは、リオの反応を十分予想していたようにこめかみをかく。迷うように考え込んだ後、口を開いた。
「あんたさ、寝ている時、ずっと言っていたよ。『レニ』って」
リオは手の中の粗末なかけ布を握りしめる。アストウは、黒い髪に隠された横顔を見つめながら、遠慮がちに言った。
「家族、じゃないよね? あんたのいい人?」
リオが答えないことを予想したように、アストウは付け加えた。
「その人のところには、帰れないのかい?」
リオは再び小さく首を振った。
帰ることは出来ない。もう二度と……。
「そうか」
アストウはそう呟くと、それ以上は何も聞かなかった。
「まあ行く当てがないなら、うちの部族にしばらくいりゃあいいよ」
リオは顔を上げる。
「ご迷惑ではありませんか?」
「食うぶん働いてくれれば、それでいい。人手はいくらでもいるから、いてくれるって言うなら大歓迎だ」
アストウは笑いながら言ったが、すぐに真面目な顔つきになる。
「ただね、あんたも知っているかもしれないけれど、北の人間は迷信深い。あたしはまあ、事情があるなら、って思うけど、うちの部族の中でも、男が女の恰好をするなんてもっての他だっていう人間がほとんどだ。エリュアとは考え方が違うからね」
大陸でもそれぞれの地方で、文化や価値観は大きく異なる。人の行き来が多く貿易も盛んな南方に比べて、北方の人間は保守的な考え方の人間が多い。
アストウもリオに気を遣ってかなるべく表情は出さないようにしているが、「男が女の姿をすること」に対する違和感を、完全に抑えきることは出来ないでいるようだった。
「あたし以外のこの船の人間は、あんたを女だと思っている。頭の固い連中が相手だと、男だとバレたらあんたの身が危ない。そういう奴らが頭に血を上らせたら、あたしでも抑えきれる自信がないんだ」
だからね、とアストウは続ける。
「あたしらの部族にいてもらうのはまったく構わないけど、いる間はあんたは女で通すことになる。バレたら冗談抜きで命に危険がある、ってことだけは覚えておいてくれ」
アストウの言葉に、リオは素直に頷いた。窓から入る陽射しの中に浮かぶリオの姿をしばらく見たあと、アストウはほうっとため息をつく。
「あんた……本当に綺麗だねえ。ただ綺麗って言うだけじゃなく、何だか見ていないと空気に溶けちまいそうって言うか。捕まえておかないと、見ているほうが不安な気持ちになってくるよ」
半ば独り言のように呟いてから、アストウはリオの顔を覗きこんだ。
「いやかい? こういう風に言われるの」
真っ直ぐに自分に向けられる生気に満ちた赤茶色の瞳を我知らず見つめたまま、リオは何かに導かれるように首を振る。
実際に、この赤毛のイルクードの長といると、不思議と心に穿たれた穴が慰められるのを感じた。
リオはその気持ちを素直に口に出す。
「あなたは、私が知っている人に似ています」
アストウの赤い髪をリオは見つめた。
「あなたを見ていると、その人のことを思い出す……」
眩しげに瞳を細めたリオを見て、アストウは笑った。
「そんなことめったに口にするもんじゃないよ。あんたみたいな人にそんな風に言われたら、大抵の奴なら好きになっちまう」
「済みません」
小さな声で呟いたリオを、アストウはおかしそうに見つめる。
「謝るようなことじゃないけど。素直な子だね」
アストウはリオの顔を見たまま言った。
「似ている、って、『レニ』とかい?」
★次回
第200話「ただ、それだけだった」