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第189話 もういいよ。

16.

 

 そのあともてんやわんやで身支度をし、何とか八の刻にエリカは応接室に入った。

 部屋の中にはシンシヴァと、向かい合うようにしてレニとリオが座っていた。

 エリカが入ってくると三人は立ち上がる。シンシヴァとリオは貴人を迎える礼をしたが、レニは立ったままだった。

 エリカは用意された中央の椅子に腰掛けながら、横目で三人の様子を観察する。

 リオを伴ってきたということは、首尾がうまくいったということだろうか。

 それにしては、場の空気がいやに静かなことが気になった。

 落ち着かない気持ちになり、そのことでエリカは一層不機嫌になったが、何とか内心を押し隠してレニに向かって微笑みかけた。


「こんな朝早くからどうしたの? もちろんあなたに会うのはいつでも嬉しいけれど、余りないことだから驚いたわ。朝食がまだなら、一緒に食べましょうか」

「いらない」


 レニのいらえはひどく静かで明瞭だった。

 エリカは思わずシンシヴァのほうを見た。シンシヴァの端整な顔は一見冷静に見えたが、付き合いが長いエリカには、自分の側近が常になく驚いていることに気付いた。

 朝から感じている気だるさや苛立ちが消え、にわかに不安が生まれる。

 これみよがしに優しく振る舞いさえすれば喜びに顔を輝かせるレニを、内心馬鹿にし鬱陶しく思っていた。だがいま目の前で、冷徹な眼差しで自分の顔を見る人物は、エリカを無条件に母と慕う娘とはまったくの別人に見えた。


「エウレニア、ずいぶん怖い顔をしているのね?」


 半ば探るように半ば機嫌を伺うようにそう言ったエリカに、レニは静かな瞳を向ける。


「母さま、もういいよ。そんな風に無理に優しい振りをしなくて」

「何ですって?」


 エリカは驚いて叫んだ。

 エリカだけではなく、シンシヴァもリオも驚いたようにレニに視線を向ける。

 レニは自分に集まった視線に動じた風もなく、真っすぐにエリカを見つめて言った。


「母さまが私を……本当は顔も見たくもないほど嫌っていることは知っている」

「そんな……」


 エリカはうろたえて隣りにいるシンシヴァを見、そのあと慌てて娘のほうへ身を乗り出した。


「な、何で……何で、そんなこと……っ! そんなわけないでしょう? あなたは私のたった一人の娘よ。そんな……」


 エリカは視線を目まぐるしく動かしたが、ややあってハッとしたようにレニの隣りにいるリオに目を向けた。レニを心配そうに見つめているその姿を、怒りのこもった眼差しで睨みつける。


「寵姫に何か言われたのね?」


 声をかけられて振り返ったリオをのめつけて、エリカは怒りで体を震わせた。


「お前、エウレニアに何を言ったのよ!」


 鞭を打つような鋭い怒声を浴びせられて、リオは顔を白くし身をすくませる。

 レニは怒りに瞳を燃え立たせるエリカの顔を、恐れ気もなく見た。


「リオは何も言っていない。あなたに命令されて、私の部屋に来させられたことも」

「なっ……」


 鋭い声で指摘されて、エリカは息を呑む。

 ジッと自分の顔を見つめる娘の瞳から逃れるように、視線を宙に彷徨わせた。何とか抗弁しようと、必死に言葉を探す。


「そ、それは……その……あの、ね」

「恐れながら妃殿下」


 言葉に詰まっているエリカを見て、横に控えていたシンシヴァがさりげなく言葉を添えた。


「太后陛下は妃殿下と寵姫さまが親しいことをお知りになり、一晩ゆっくりと友誼ゆうぎを温められてはどうか、と勧められただけです」

「そ、そうなの、そうなのよ、エウレニア」


 エリカは勢いこんで身を乗り出す。


「昼間だと、どうしても人目に立つでしょう。妙な噂が立つかもしれないし。宮廷の中は、口さがない者も多いから。夜にゆっくり会えば、変に勘繰る者もいないだろうと思ったのよ」


 必死に言い繕う母の顔を、レニはジッと見つめる。


「どうして?」

「え?」

「どうして、私とリオが会うところを人が見ると『妙な噂が立つ』と思ったの? ほとんどの人はリオの素性は知らないだろうし、見たってお気に入りの侍女と話をしているとしか思われないよね?」

「それは……」


 絶句したエリカに代わって口を開こうとしたシンシヴァを、レニは一瞥べつして黙らせる。顔を青くさせているエリカのほうを向き、レニは言った。


「あなたはリオが男だって知っている。そこにいるシンシヴァさんも。知っていて、私のところへ行くようにリオに強要した」

「そんな……」


 エリカはなおも抗弁しようと、レニの顔を見つめて言葉を探す。

 しかし感情が浮かばないその顔を見ているうちに、不意にエリカの心に強い憤りがわいた。

 この後のことがどうなろうと、どうあっても目の前のこのしたり顔の娘を面罵してやりたい。

 そんな発作的な激情が、顔にピッタリと張りついた優しい仮面の内部で荒れ狂い、壊そうとしている。

 エリカは何とか内面の嵐を抑え込もうとした。

 だが、石のように動かない娘の顔を見ていると、怒りで脳が沸騰しそうな心地がした。こめかみが細かく痙攣し、扇を持つ手に力が入るのがわかる。


「何よ……その顔は」


 エリカは白い歯の隙間から、軋んだ低い声を漏らす。

 隣りでシンシヴァが息を呑んだことがわかった。目顔で制止しようとするシンシヴァを、無視してエリカは娘の顔を睨みつける。

 レニのハシバミ色の瞳とエリカの翡翠色の瞳は、お互いの内部を見通すように、ピタリと合わさった。二人の間に張りつめた空気が流れる。

 シンシヴァとリオは、母と娘の間に割り込むことが出来ず、ただ睨み合う二人を見つめていた。

 次の瞬間、エリカは感情を爆発させ紅い唇からほとばしせた。


★次回

第190話「そんなことはどうでもいい。」

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