第18話 ここではないどこかへ。
6.
翌日。
レニとリオは朝食を食べ終えると、街の中心地にある商人組合に向かった。
「東方世界へ行く船は、検問が厳しいよ。王権が代わって、お上が神経質になっているんだ」
商人組合の受付係の男の言葉は、半月前と変わらなかった。
レニはガックリと肩を落とす。
東方世界へ向かう船の荷改めは、かなり厳しくなっている。
国がゴタゴタしている今が幸いと密輸業が横行したり、前政権下で暴利をむさぼったり平民や兵士を抑圧していた貴族や商人が、いち早く逃げ出そうとしているためだ。
「急ぎじゃないなら、出発は延期したほうがいい。世の中がどうなるか分からないからな。行ったはいいが帰って来れない、なんてことになるかもしれないぞ」
受付係の男の言葉に、レニは不安そうな表情を浮かべた。
「戦になりそうなの?」
男は首を捻る。
「新しく出来た王国と最大の公国のレグナドルトが、緊張関係だからな。新しく即位した王を認めるのと引き換えに、空いている領地を寄越せと言っているらしい。それは新しい王も認められないだろ。足元を見られるわけにもいかないしな。レグナドルトが痺れを切らして強行手段に出たら、……ひと悶着あるだろうなあ」
男はうんざりしたように首を振る。
「戦になりゃあこの街にも、軍隊が入ってくる。商人のための自由都市だ、自治区だっていったって、軍隊がくりゃあ、言いなりになるしかねえからな」
レニは顔を曇らせて呟く。
「そんな風にはならないよね?」
「そう願いたいがね。王様やお貴族さまの考えることは、俺らにはわからんよ」
男はそう言って、肩をすくめた。
7.
「はあ、しばらくは東方世界には行けそうにないのかなあ」
商人組合から外に出て、レニは落胆したように呟いた。
船に乗り込むことは出来るだろうが、万が一にも身元がバレたら、どんな面倒事に巻き込まれるかわからない。
「状況が落ち着くのを、しばらく待たれますか」
真昼の陽射しの中でも目立たないよう目深にかぶっているフードの陰から、リオがわずかに顔を覗かせる。
レニは潮風の匂いが漂う、明るい町並みを眺めながら答えた。
「そうだね、もう少ししたら行けるようになるかもしれないもんね。この街はいい街だし……」
この街はいい街だ。
知り合った人もいい人たちばかりだ。
明るくて賑やかで、海の香りと活気に満ちていて、美味しい食べ物、様々な土地の人々、珍しいもので溢れている。
でも。
と、レニは考える。
もっと別の場所を見てみたい。
ここではない場所に早く行きたい。
慣れ親しんだ居心地がいい場所に留まるのではなく、まだ見たことがない、自分の知らない場所へ行ってみたい。
体の内部で膨れあがっている未知の場所への憧れが、常に自分を外の世界へと駆り立てる。
とてもあてどもなく、ひとつの場所で何かをただ待ち続けるなど出来ない。
「私、とにかく色々な場所に行きたい。もっと色々なものが見たいんだ。この世界にあるありとあらゆるものを見てみたい」
青い空が広がるさらにその先に視線を向けるレニを見て、リオは言った。
「レニさまは、旅をなさりたいのですね」
レニはリオの言葉に、ハッとしたように振り返る。
「リオは、この街でゆっくりしたい? ヤズロおじさんとマリラおばさんはいい人だし、みんなリオの歌を喜んでいるもんね」
惑うようなレニの言葉に、リオは微笑んで首を振った。
「私は、レニさまが行きたいとおっしゃるならそれに従います。レニさまがいらっしゃる場所が、私のいたい場所ですから」
「そ、そっか……」
頬が急速に熱くなってきて、レニはそれを誤魔化すように正面を向いて足を速めた。
いくら「リオは純粋な忠義の心からそう言っているだけだ」と自分に言い聞かせても、心臓の鼓動が速くなり、顔が笑みで崩れてきてしまう。
気恥ずかしさの余り、前だけを向いていたレニの耳に、背後から小さな悲鳴が聞こえた。
レニは、すぐに後ろを振り返る。
「おお、綺麗な姉ちゃんだな」
「お放し下さい」
「いいじゃねえか、ちょっと顔を見せろよ」
いつの間にか少し距離が開いていたリオに、柄の悪い男二人が絡んでいた。
風体からしてこの街の人間ではない。
流れ者の傭兵かごろつきに見える。
一人がリオの手首を掴み、一人が背けられた顔を無理に覗き込もうとしていた。
「信じらねえ、こんないい女、見たことねえ」
男の一人が、思わずといった風に上擦った声を上げた。
「別嬪さん、ちょっと付き合えよ」
「やめてください」
道行く人は振り返りはするものの、こんなことは日常茶飯事なのか足を止めることさえない。
もがくリオの手を、男の一人が強引に引っ張った。
瞬間、男は「ぐえっ!」と息を呑んで体を丸めた。
鳩尾を抑え、空気を求めるかのように苦しげに喘ぐ。
レニが男の懐に潜り込み、鳩尾にしたたかに肘を打ち込んだのだ。
かなり強い衝撃を与えたため、男は息が詰まり動けなくなっている。
「な、何だ、このガキっ……!」
レニは、状況についていけていないもう一人の男の背後に素早く回る。
手首を後ろ手に捩じり、痛みで悲鳴を上げた男の背中に、抜いていた短刀の切っ先をピタリと押し当てた。
男は顔に冷や汗が浮かべ、口を閉ざす。
「リオに触るな」
少女の口から出たとは思えない圧し殺されたドスの効いた声が響き、捩じり上げた手首にさらに力をこめられる。
本能的な恐怖に襲われ、男は慌てて言った。
「わっ、わかった、わかった。悪かった、悪かったよ……!」
これ以上何かすれば腕を折られる、とわかったのか、男は憐れっぽい声で叫ぶ。
レニが男の腕を用心深く放すと、男はまだ息をうまくつくことが出来ないもう一人の男を連れて慌てて立ち去った。
腰の後ろにつけた鞘に短刀をしまうと、レニはリオの下へ駆け寄る。
「リオ、大丈夫だった?」
リオは、顔を隠すためフードを目深にかぶり直しながら答えた。
「申し訳ございません、レニさまのお手をわずらわしてしまって……」
レニは慌てて首を振った。
「ううん、私のほうこそごめん。リオから離れて……」
レニは唇を噛んだ。
(リオはああいう目立つ奴だ。世の中の人間から見るとな、世間知らずのとろいお嬢さんが、宝石をジャラジャラ身につけて歩いているようなものなんだよ。危なっかしくて見ていられねえ)
ここに来る途中に乗った船の船長のサイファーから言われた言葉が、胸に甦る。
世間の人間から「価値のあるもの」として狙われやすいリオを守るのは、旅に連れ出した自分の役目だ。
守れないのであれば、リオを連れまわす資格などない。
「ごめんね、リオ。今度からちゃんと目を離さないようにするね」
レニは俯いて、リオの白い手を取り握りしめる。
「レニさま……」
リオを守ろうという真摯な気持ちが浮かぶレニの顔を見て、リオは何か言いたげに唇を開こうとした。
その時。
「お嬢さん、その剣、見せてくれないか」
レニとリオが同時に振り向くと、いかにも裕福そうな身なりの男がレニを、正確にはレニが腰に差している短刀に食い入るような視線を向けている。
「えっ?」
「その剣は、ザンム鋼を使ったものじゃないか?」
「え、いや……そのっ……」
「しかもかなり純粋な……信じられん。一体、どこで手に入れたんだ?」
「え、い、いえ、ひ、人……違った、も、物違いです。リオっ! 行こう!」
レニは迫ってくる男に言葉を投げつけると、リオの腕を引き、慌てて駆けだした。
★次回
第19話「神は本当に神だったのか」