第173話 俺を差し出した。
3.
同じ夜。
シンシヴァと別れ部屋に戻ったあと、レニは一人で宿の露台から外の風景を見ていた。
エリュアの夜は昼間以上に賑やかだが、ここまではその喧騒は届いてこず、波の音しか聞こえない。
広大な海は、月明かりによって時折白く輝いて見えた。
その光を見ているうちに、ふとリオのことが思い出された。
(リオ……)
今ごろ、イリアスと二人で同じ月を見ているのだろうか。
そう思うと胸に鋭い痛みが走った。
いつかこの気持ちもなくなる。ただ心を温める優しい記憶として、リオのことを思い出すようになる。
自分に言い聞かせているその言葉とは裏腹に、リオの記憶はむしろどんどん鮮明になっていく。
時々、リオの夢を見る。
夢の中のリオはいつも優しくレニの世話を見たり、見守っていてくれている。一緒に旅をしていた頃、そのままだった。
それなのに。
最近は夢の中にイリアスが出てくるようになった。リオは、レニの存在になどまるで気付かないように、イリアスの腕に抱かれ胸にもたれかかり、陶酔しきった甘い表情をしている。
イリアスは自分の腕の中のリオを、愛情のこもった眼差しで見つめている。
(夢ぐらい……残してくれてもいいのに)
それともこれが、遠く離れた王宮で起こっている現実なのだろうか。
レニは俯きながら考える。
もう諦めろと、自分自身に言い聞かせようとしているのだろうか。
わかっている。
リオと一緒にいられないことは。
それが現実だということは。
だからお願い、こんな夢を見せないで。
そう思い固く目をつぶった瞬間、レニはふと背後に気配を感じる。
見つめ合うイリアスとリオの姿から逃れるように振り向いたレニは、瞳を大きく見開く。
「リオ……!」
「何故、目を逸らすのです? レニさま」
リオは、今まで聞いたことがないような無機質で冷たい声を唇から洩らした。
レニはその姿をマジマジと見つめる。
リオは、レニが見慣れた女の姿ではなく、貴族の子息が日常で着る簡素な略装をしていた。いつもは美しく結い上げている長い黒髪は編み紐でひとつに束ねられ、毛先が肩から胸に垂れている。
護身用の剣を帯びたその姿は、美しい少年や男装の麗人には見えても、国王が寵愛する姫君には見えなかった。
男の姿をしたリオは、固く強張った表情でレニの顔を見下ろす。
たじろいだように視線を逸らしたレニの肩をリオは掴み、強引に前を向かせた。
「よく見てください。俺はあなたが望んだ通り、女の格好をした愛玩物としてあなた以外の人間に仕えています」
ガクガク震えるレニの肩を強い力で押さえたまま、リオは低い、何かを嘲るような声で言った。
「あなたは自分が王宮から逃げ出すために、俺をイリアスさまに差し出したのですよね? 俺を生贄にして、その見返りに自由を手に入れるために」
「え?」
レニはギョッとしたようにリオのほうを振り向き、必死に首を振る。
「ちっ、ちが……っ! 違う! 違うよ、リオ! そんなの……っ!」
自分を見下ろすリオの瞳には、怒りが緑色の炎となって瞬いているのを見て、レニは言葉を飲み込む。リオがこれほど強い感情を表すのを見たのは初めてだった。
目に暗い怒りを湛えたまま、リオはゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
★次回
第174話「あなたの夢をかなえるために。」