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第170話 全部、あなたのため。

 シンシヴァは、レニの視線を避けるように視線を伏せる。その姿は「とんでもないことになってしまった」という悔恨に、打ちひしがれているように見えた。


「太后陛下は、国王陛下と妃殿下の仲がうまくいっていないのではないか、とずっと心を痛めておられました。国のための婚儀であるからある程度は仕方がない、しかし何とか人並に穏やかな愛情は手に入れて欲しい、母親である自分がそれを与えてやれなかったから、そう常日頃から気を揉んでいたのです」


 シンシヴァは自分の言葉によって、レニの大きな瞳が感情のさざ波で揺れ動き出したのを確認すると、再び顔を伏せる。


「しかし国王陛下は、卑しい出の者にちょうを与え入り浸られ、妃殿下のことは『簒奪者であるグラーシアの操り人形』と蔑み、打ち捨てられているご様子。妃殿下が王位を譲られれば様子も変わるかと思われていましたが、お二人の仲はよくなるどころか妃殿下は表に出てこないほどお心を閉ざしている。何とか仲を取りもてないかと、太后陛下はそう思っておられました。

 国王陛下がお体を悪くし、妃殿下がその看病をなされば、きっとお二人の仲にある冷たい壁も解けるのではないかと思われたのです。陛下を害そうとした、という噂が流れたことは、寵姫さまには申し訳なきことでした。それも国王陛下から寵姫さまを遠ざけられれば、と思っただけで、寵姫さまに陛下を殺害する容疑をかけようとしたわけではございません」


 シンシヴァは唇を噛み締めて、自嘲するように首を振った。


「妃殿下は、さぞや愚かな母親の浅知恵、馬鹿で筋違いな愛情、迷惑だと思われたでしょうな。事が発覚してから太后陛下はご自分をそう責められ、国王陛下の裁可についてはお沙汰を待つより他にはない。ただ、妃殿下に迷惑をかけたのではないかとそのことばかりを悔やんでおります」

「本当に……?」


 シンシヴァの言葉が終わると、レニの唇から言葉が零れ落ちる。


「本当に……母さまが……そう言ったの? 全部、私のためだって? 私と陛下がうまくいっていないことを心配して……それでって?」

「はい」

 

 シンシヴァは低いはっきりした声で答えた。


「思いつかれた後は、その案に子供のように熱中されて。これでようやく、エウレニアは『グラーシアの孫』というくびきから逃れられる、国王陛下もあの子がどんなに優しい子かわかって下さるはずだ、とおっしゃっておりました。それがよもやこのようなことに……」


 シンシヴァは声を震わせた。よくよく目端が利く者が観察すれば、その仕草はやや芝居がかって見えたかもしれない。

 だがレニは、シンシヴァのことを見てはいなかった。大きく見開かれたハシバミ色の瞳は、庭から遠くにかすんで見える涙玉宮だけを映し出していた。

 しばらくした後、レニは呟いた。


「母さまは、陛下の申し出については何か言っていた? そのう……王宮に伺候しこうすることについては……」


 レニの焦りが伝わってくるまで、シンシヴァは十分な間を取った。

 思い余ったレニが口を開こうとしたその瞬間に、自然に口を挟む。


「今の事態は、すべてご自分の浅はかさが招いたこと、責任を取らなければならないとおっしゃっています。ただ……」

「ただ……?」


 れたようなレニの問いに、シンシヴァはいかにもレニの熱意に圧された風に言葉を続けた。


「ただ……もし罪に問われ、幽閉されるようなことになれば、妃殿下には二度とお目にかかれないだろう。それだけが心残りだと……そう言われておりました」

「私に会えなくなることが……母さまにとって心残りなの?」

「はい」


 シンシヴァは頷いた。


「このたび、妃殿下が国王陛下の使者としてこちらへ参られたことを、太后陛下は怖がっておりましたが……喜んでもおられます。王都に幽閉される前に一目でも妃殿下にお会い出来れば……許してもらえなくとも、これまでのことをひと言詫びたいと」

「シンシヴァさん」


 シンシヴァを呼ぶレニの声は、押さえても押さえきれない強い感情で震えていた。

 自分の中の大きな感情に突き動かされて、レニは身を乗り出し咳き込むように言った。


「私はちっとも恨んでなんかいないよ。母さまが大変だったってことは分かっているし。母さまが私に謝ることなんて何もないよ。私……知らなかった。母さまが、そんな風に思っていたなんて」


 シンシヴァは控え目な様子を装いたいが、どうにも感に堪えないと言いたげな様子で瞳を軽くつぶる。


「太后陛下のお言葉を妃殿下にお伝えして、もし心ないお言葉を返されたら、陛下にどうお伝えすれば良いかとずっと頭を悩ませておりました。それがこのように杞憂きゆうに終わり、私も胸をなでおろしております」


 シンシヴァは少し黙った後、そっと言葉を添えた。


「妃殿下のお心にわだかまりなどなかったと、もっと早くわかっておれば、実の母娘であるお二人が引き裂かれることもございませんでしたのに。わたくし如きがこのようなことを言うのははばかりがございますが、お二人が共におられる時間が残り少ないということが口惜しくてなりませぬ」


 心底悔しげなシンシヴァの言葉に、レニは弾かれたように顔を上げる。


「そんなっ……そんなことないよ! これから、もし」

「もし?」


 レニの言葉尻を捉えた瞬間、シンシヴァの黒い瞳の奥に奇妙な光が瞬く。

 レニはそれに気づかず、追い立てられているかのように言った。


「もし、母さまが私にそばにいて欲しいって言うなら……いるつもりだから。ずっとそばに。これまでいられなかったぶんも一緒に」


 シンシヴァは、思いが溢れてどうにも隠すことが出来ないと言いたげに顔を伏せた。


「そのお言葉、太后陛下が聞いたらどれほど喜ばれるか。ぜひ一刻も早く、お母君にお伝えください」


 感極まったようなシンシヴァの言葉に、レニは大きく頷く。

 明日の昼すぎに迎えの馬車を差し向ける。

 そう伝えると、シンシヴァは懸命にこみ上げるものをこらえているレニに退去の挨拶をし、入口に向かって踵を返した。


 レニに背中を向けた瞬間、シンシヴァの端整な口元からは、先ほどまであった離れて暮らす親子のことを思う優しい感情は跡形もなく消えていた。

 代わりに浮かんでいたのは皮肉とも嘲りともつかない、見る者の背筋を凍らすような冷たい笑いだった。


★次回

第171話「母・エリカ」

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