表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
169/256

第168話 母からの使者

1.


 ソフィスとルカが住むアッシュイナの街から、エリュアまでは馬で五日ほど、そこからさらに船に乗り換える。

 エリュアは円形の入り江の中に浮かぶ小さな半島だ。

 「海」と言っても外洋のように荒れることはなく、普段から湖のように穏やかだ。海面は南の海特有のエメラルドグリーンであり、その海の上に半ばせせり立つように、富裕な商人や貴族たちの保養用の別宅が並んでいる。

 気候が穏やかで景観も良く、南方世界との貿易の中継地点であるエリュアは、性産業や賭博などの遊戯が盛んになり発展した。

「眠らない街」「エリュアで手に入らない遊び、快楽はない」と言われている。


 東の海沿いの地帯は高級別荘地、南の外海に近い場所は貿易船が入る大きな港がある。その他の場所は中心地に近づくほど、賭場にせよ娼館にせよ社会の下流から上流の人々を相手にするものへと変わっていく。

 特に貴族たちの別宅にほど近い場所に立つ娼館は、エリュアに伝わる特殊な交配技術によって美しく珍しい容姿の赤子を作り、子供のころから高級な「商品」として育て上げる。

 上流貴族の深窓の令嬢と言ってもおかしくない作法、教養、美貌、芸妓を身につけた娼妓に対しては、一晩を共にするだけでも、つつましやかな平民の一家がゆうに三月みつきは暮らせる金額が支払われる。


 日が落ちてからいっそう賑やかになるこの街の中心は、「涙玉宮るいぎょくきゅう」と呼ばれる美しい建物だ。

 三つの細長い尖塔を備えた平面上の建物であり、夜は月明かりの照り返しで、海の中の真珠のように淡い光を放つ。

 おとぎ話で謡われる海の精霊の涙のような美しさだ、ということでその名がついた。

 宮殿の中には外から引き込まれた水路があり、そこに水が通っているため夏でも過ごしやすい。



※※※


 エリュアに着くと、レニはイリアスから指定された、涙玉宮のそばにある宿に入った。

 高位の貴族がお忍びの時に使う宿なのだろう。

 レニがここに来るまでに泊まった安宿とはまったく違う、手入れをされた広大な敷地を持つ贅沢な造りをしている。

 宿の支配人は汚れた旅装姿のレニを、多くの使用人にかしづかれた貴婦人を迎えるような態度で出迎えた。

 案内された部屋は、レニが宮廷で使っていた部屋と遜色ないほど広い。この宿で一番いい部屋らしく、窓からは遥か南へと続く海が見えた。


 身の回りの世話をする専用の使用人を差し向ける、という支配人の言葉を、レニは首を振って断る。

 押し問答の末に支配人がようやく納得して部屋を出ていくと、レニはホッと息を吐き出した。


 手早く旅装を解くと、窓の外の広い露台に出る。手すりに手をかけ、西のほうへ目を向けると、遠くに真珠色に輝く宮殿が見えた。

 現オルムターナ公の妹でありザンムル皇国の初代皇帝のきさき、そしてレニの母親でもあるエル・リ・カーニア・オルムターナ……エリカ太后たいこうは、あの宮殿にいるはずだ。


(母さま……)


 レニは我知らず、小さな手を胸の前で握り締める。その手は、わずかに震えていた。

 


2.


 その日の晩のこと。

 月の光をはじく海が見える庭でレニが夕食を取り終えると、恭しい所作で支配人が歩み寄ってきた。


「妃殿下」


 レニしか聞こえないような潜めた声で、支配人は囁いた。


「涙玉宮より、お使者が参りました。正式なお迎えは明日、殿下のお支度が整い次第参るそうですが、今日はとりあえずご挨拶に参上したとのことでございます」

「使者?」


 レニが庭の入り口のほうに目をやると、背の高い男が居住まいを正して控えているのが見えた。

 食後の飲み物下げ拝謁はいえつを許すと、男はゆったりとした足取りでレニの前に進み出る。豪奢な宿の中に見事な毛波を持つ黒豹が紛れ込んだような、そんな錯覚に襲われる。

 男はレニの前で膝をつくと、作法に則って片手をとり、口を近づけて戻す。


 レニは灯された明かりに照らし出された男の姿を、しげしげと観察する。

 歳は三十少し過ぎだろうか。細いが鍛え抜かれたしなやかな体をしており、彫りが深く端整な顔立ちをしている。浅黒い肌と黒い波打つ髪、黒曜石のように黒目がちな瞳を見れば、南方世界にルーツを持つ人間だとひと目でわかる。

 オルムターナでは奴隷貿易がさかんなこともあり、南方世界の血を引く人間が珍しくない。

 男はレニが観察するのを待つかのように、しばらく無言でいた。

 やがて礼をしたまま口を開く。


「お初にお目にかかります、エウレニア妃殿下。わたくしは、妃殿下の御母上、エリカ太后陛下のもとで補佐官を務めておりますシンシヴァと申す者。太后陛下のご下命により、妃殿下にご挨拶に参りました」


★次回

第169話「母の気持ち」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ